スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第19回では、オリンピックの正式競技になることが議論されているeスポーツを取り上げ、ゲームとしてのスポーツと、eゲームの違いを考察します。


スポーツは民主主義の非暴力社会のなかで人間が進化させたゲームだが、
eスポーツはヴァーチャル世界で人間を退化させる?

 eスポーツも、言葉の原義(元の意味)に照らせば、立派なスポーツの一種だということを前回書いた。そこで……来年の東京五輪の次、パリ五輪からは「eスポーツが正式競技(official sports)となる」と断言する人もいたのだが、結果、パリ五輪でeスポーツが正式競技として採用することは見送られた。
 eスポーツは、はたしてスポーツか? オリンピックの正式競技となっていいのか? それを考察することは、今日われわれの時代──21世紀という時代のスポーツのあり方を考えなおすうえで、非常に多くの示唆に富んでいる。
 まずIOC(国際オリンピック委員会)が、eスポーツをオリンピックの正式競技に認定しようとした理由だが、それはeスポーツが世界中の多くの若者たちのから人気を集めているからだった。
 現在、世界的にスポーツの人気は大いに盛りあがっているように見える。が、現実にはスポーツを「やる人」と「見る人」の二極化が進み、スポーツを「やらない人たち」が、とくに若年層のあいだに増えているという。そこでIOCは、スポーツをやる若者たちを増やすために、若者たちのあいだで爆発的人気を巻き起こしているeスポーツに、目を付けた。それをオリンピックの正式競技することで、eスポーツも、より体力を使うスポーツとしてのレベルも上がり、それによって若者たちのスポーツ離れを少しでも止めようと考えたのだ。
 もちろん反対の声も少なくなかった。たしかにeスポーツは、チェスや囲碁、ビリヤード、ダーツ、トランプのコントラクトブリッジ(前回説明しましたよね)と同様、「マインド・スポーツ(頭脳競技)」の一種と言えよう。が、激しい身体活動を伴わないマインド・スポーツが、五輪競技に加わることで、他の競技とのバランスを著しく乱すことにならないか……?(だから今年の茨城国体では、eスポーツが文化プログラムのなかで行われることになった?)
 そのような懸念があっても、IOCがeスポーツの正式競技化に固執するのは、スポンサーとなる世界のゲーム・メーカーからの金銭的支援を期待してのことだろう。要は、eゲームの五輪正式競技化も、近年のオリンピックにおける、商業主義の一環に過ぎない……。
 それに対してeスポーツ擁護派(五輪推進派)のひとびとは、3時間も4時間も、あるいはそれ以上もネットでつながれた相手と競うeスポーツでは、スタミナをつけることや、コントローラーを長時間操る筋力を身につけることも不可欠。世界一流のゲーマーたちは、ランニングや筋力トレーニングを欠かさず、他の五輪競技との本質的違いは存在しない、と反論する。また、ゲームを制作・販売する企業が五輪のスポンサーになることも、現在のスポーツ関連企業のやっていることとなんら変わらない……。
 しかし、そんな論争が世界的に広がろうとした矢先の昨年9月、アメリカ・フロリダ州で開かれたeスポーツ大会で、大事件が起きてしまった。その大会の予選ラウンドで敗退したゲーマーは、過去の大会で優勝したり、決勝ラウンドに進むことの多い有力選手だった。その選手が、予選敗退をしたことで精神的な不安定に陥ったのか、会場でライフル銃を乱射。犯人自身もふくめて3人が死亡する大事件となった。
 IOCやパリ五輪の組織委員会は、この事件に対して直接的には言及しなかったが、組織委員がパリ五輪での競技種目を発表する前に、IOCのバッハ会長が次のように発言した。
 「eスポーツはオリンピックの価値観と明らかに矛盾します。暴力や差別を助長するような競技が、われわれの競技の仲間に加わることはありえません」
 一時は五輪の正式競技にも……と考えられたeスポーツを、「暴力や差別を助長するような競技」と断じたとも解釈できるこの発言は、将来「五輪の正式競技化はあり得ない」ということを意味するに等しい強い言葉といる。
 eスポーツそのものと、現実に起きた殺人事件を結びつけるのは難しい。が、あらゆるスポーツは暴力を否定した民主主義社会のなかで、暴力行為を非暴力化するゲームにすることから生まれたものだ。ところが、eゲームのなかでも、戦闘型のゲームや格闘型ゲームのように、それがヴァーチャルな世界(仮想現実の世界)であるために、暴力を否定することなく「ヴァーチャルな暴力」として許しているところがある。
 グローブを付けない殴り合い、殺人につながりかねない絞め技、あるいは銃の乱射。それらが「ヴァーチャルな行為」として許されるゲームは、暴力を完全否定する近代民主主義社会のなかから誕生した近代スポーツの価値観とは、相容れない考えにもとづくものにほかならない。
 スポーツとは、非暴力の民主主義社会のなかで人間が「進化」させたゲーム(遊び)だ。しかし、一部のeスポーツは、ヴァーチャルな世界のなかで、人間を民主主義社会以前の暴力の支配する世界へと「退化」させるゲームともいえそうだ。
 来年の東京五輪で正式競技と認められたスポーツクライミング、スケートボードだけでなく、ビーチスポーツ(ビーチバレー、ビーチサッカー、ビーチレスリングのような砂上で行う競技)や、フライングディスク(フリスビー)……などなど、今日でも新しいスポーツは次々と生まれている。
 そんななかで、私は、暴力を非暴力するところから生まれた近代スポーツをさらに進化させた、人命救助を想定した技術を競うライフセイヴィングこそ21世紀の新しいスポーツと言えるのではないか、と考えている。
 そしてパラスポーツ(パラリンピック・スポーツ)も……次回最終回は、そのような新しい未来のスポーツについて考えてみたい。

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com