スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。


ヨーロッパの球技であるサッカーやラグビーではなく、
アメリカの球技であるベースボールが、
日本で一番の人気スポーツとなったのはなぜか?
 欧米から日本にスポーツが伝播したのは明治時代初期。文明開化の明治4~10年頃に、西洋のさまざまなスポーツが伝わってきたといわれている。
1883(明治16)年には、東京大学の「お雇い教師」だったF・W・ストレンジが『アウトドア・ゲームズ』という小冊子を出版し、さまざまなスポーツが紹介された。以降も、走ることや跳ぶこと(陸上競技)も、西洋式の泳ぎ方(水泳競技)も、西洋式の乗馬も、西洋式の釣り(フィッシング)も、サッカーも、ラグビーも、ホッケーも、ベースボールも、クリケットも、それらの球技の祖先とされるラウンダーズと呼ばれる球戯も、ゴルフも、テニスも、バドミントンも……と、多くのスポーツが知られるようになっていった。
 ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩れ込んできたが、庶民のあいだで瞬く間に圧倒的な人気を獲得したのが、ベースボールだ。
 テニスやゴルフは上流階級の一部の人にしか広がらず、サッカーやラグビーは一部の大学や高等学校の学生にしか広がらなかった。一方でベースボールは、明治20~30年代には、北は北海道から南は九州・沖縄まで、さまざまなチームが誕生している。
 多くの男たちはボールを投げ、ボールを打ち、ベースを駆け抜けることに興じるだけでなく、野球の強い学校――第一高等学校(現在の東京大学教養学部)、青山学院、明治学院、慶應義塾、早稲田大学、東京高等商業大学(現在の一橋大学)、駒場農学校(現在の東京大学農学部)、工部大学(現在の東京大学工学部)などの試合には、見物人も大勢集まるようになった。そして明治27年には、第一高等学校の野球部員だった中馬庚(ちゅうまん・かなえ)によって、「野球」という訳語も作られ、一般化するようになったのだった。
 ではなぜ日本では、多くのスポーツ(ボールゲーム)のなかで、野球(ベースボール)だけが突出した人気を博したのか?
 その理由については、昔から多くの人々が多くの意見を述べている。投手と打者の対決が相撲の立ち合いに似ていて、日本人に理解しやすかった……、日本人は数字が好きで、打率、本塁打数、打点、勝利数、敗戦数、防御率……など、多くの数字が並ぶ球技が理解しやすかったから……。
 本連載をお読みの読者は気づかれたかとも思うが、野球のように試合中の中断の多い球技は、その時間を利用して観客がさまざまな「ドラマ」を思い浮かべることができる。だから少々野球のルールがわからなくても、苦しんでいると思われる投手に「がんばれ!」と声援を送ったり、チャンスだと思える打者に「それいけ!」と励ましたりすることができる。つまりベースボールのような、アメリカ型のドラマ性の高い球技は、競技のルールや選手の技術、試合の戦略や戦術などを知らない人々にとっても、とっつきやすいスポーツと言えるのだ。
 それに加えて日本という風土には、他国と較べて珍しい過去の歴史があった。
 世界的には、19世紀まで一般市民が兵士となる戦争が続いていた地域が多かったが、日本では1600年の関ヶ原の合戦でほとんど幕を閉じ、その後徳川幕府の平和な時代が250年以上続く。戦国時代の1543年、ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えて以来、わずか半世紀のうちに戦いは終結しているのだ。
 軍人だけでなく、一般の人々が武器を持って戦うためには、チームプレイの理解が必要となる。3組に分かれた鉄砲隊が順々に入れ替わって火縄銃を撃ったり、左翼の鉄砲隊が射撃したあとに、右翼の騎馬隊、中央の歩兵隊が進軍する、といった具合に、鉄砲という武器は(狙撃兵という特殊な役割の兵士を除いて)、戦争に参加したあらゆる兵士に、必然的にチームプレイを要求することになる。
 鉄砲が出現する前の戦争は、基本的に、一人ひとりの力が中心となる。兵士は個人で手柄をあげようと先陣を切り、「やあやあ我こそは○○○、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」と大音声で名乗りをあげ、戦いに臨んだ。そして大将は、戦いに勝てば兵士(市民)に論功行賞を施したのである。
 戦争を早く終え、多くの人々が鉄砲での戦いの経験が未熟なまま平和な時代に突入した日本では、当然チームプレイに対する理解も進まなかった。「徳川の平和(パクス・トクガワナ)」の時代に語り継がれた戦いは、源義経や那須与一を中心とした一の谷、屋島、壇ノ浦の源平の戦いでの個人戦であり、上杉謙信・武田信玄の川中島の一騎打ち、あるいは宮本武蔵・佐々木小次郎の巌流島の戦いだった。
 そんな日本の社会に、勝敗を争うチーム(集団)の戦いであるスポーツ(ボールゲーム)が伝わってきたのだ。日本人が、サッカーやラグビーでなくベースボールに飛びつくのは当然だろう。
 集団のなかから一人の武士(打者)が「やあやあ我こそは……」と名乗り出て、マウンドに立った一人の武士(投手)と対決する。そして大将(監督)は論功行賞を施す。そうして日本人は明治時代にいち早く野球(ベースボール)を好きになり、他のスポーツもすべて野球を基準に考えるようになったのだった。
 サッカーやラグビーやバスケの団体競技はもちろん、陸上(駅伝)も水泳(リレー)も卓球などのような個人競技も、指導者(コーチ)が、ベースボールのように監督(マネジャー)と呼ばれるようになっている。また、柔道、卓球、テニス、フィギュアスケートなどの団体戦、つまり一人ひとりが力を発揮してチームで勝利を目指す競技の団体戦と、一人ひとりが異なる動きをして一つのチームとして機能するサッカーやラグビーのような団体競技の違いが、はっきりと理解されなくなったり……と、野球の普及は、無自覚的に、日本のスポーツ界全体に悪影響を及ぼした、ということもできる。
 日本人の多くがチームプレイというものを理解できるようになったのは、1993年のJリーグ発足以降ともいえそうだ。


この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com