スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第17回では、スポーツの民主主義の関係を追いながら、近代日本において柔道が誕生した要因を探ります。


柔道は、なぜ江戸時代以前には生まれず、
明治時代になって生まれたのか?
 前回の最後に、ノルベルト・エリアス(1897~1990)が唱えた、「スポーツは民主主義社会からしか生まれない」という説を紹介した。
 たしかにスポーツと呼べる文化を先駆けて生み出したのは、古代ギリシア社会と近代イギリス社会。両者とも、世界に先駆けて民主主義という政治制度、民主主義という社会制度を生み出した社会である。
 古代ギリシアでは、千年以上も続いたオリンポスの祭典(古代オリンピック=BC776~AD393)において、徒競走(スタジオン走)や幅跳びや円盤投げ、ボクシングやレスリングやパンクラチオン(ボクシングとレスリングを組み合わせた格闘技)、馬車による戦車競走などが行われていた。アテネやスパルタ、テーベやコリントなど、各都市国家を代表して出場した選手たちは、主神ゼウスが見守るなかで4年に一度、あらゆる争いや戦いを休止して競技大会に臨んだという。
 近代イギリスでは、19世紀中頃からフットボール(サッカーやラグビーやホッケー)やボート、ボクシング、陸上競技の統括団体が生まれている。そして、ケンブリッジやオックスフォードの大学、ラグビー校やイートン校のパブリックスクールで、いろいろなスポーツ競技が盛んに行われるようになった。その頃イギリスに留学していたフランス人の教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵は、スポーツ競技に目を付け、それを古代ギリシアのオリンポスの祭典と結びつけて、世界をスポーツによって平和な社会にしようと志した。そして、1896年に近代オリンピック第1回アテネ大会を開催したのだった。
 エリアスが指摘した(発見したと言ってもいいだろう)「民主主義社会がスポーツという文化を生む」「民主主義社会しかスポーツという文化を生まない」という法則は、きわめて簡単な原理によって説明できる。
 それは、民主主義社会以前の社会、あるいは民主主義以外の社会とはどんな社会か、ということを考えてみればわかる。それは王様や独裁者といった支配者が、暴力や戦力といった力によって支配する社会である。新たな支配者が登場するときも、それは暴力や戦争といった武力によるものであった。
 しかし民主主義社会は、そのような暴力をいっさい否定し、人々が選挙によって社会のリーダーを選ぶものだ。また、選ばれた複数の人々が、議会で話し合いによって社会の進む方向を決めたりする。つまり、民主主義社会(民主政社会)の根本原理は、暴力(武力)の全否定であり、暴力に代わるものとして選挙や話し合いの場(議会)を設けるものであると言えるのだ。
 そんな民主主義社会が誕生すれば、それまで相手を屈服させることを目的とした、暴力行為もいとわない競技は否定され、ゲーム化することになる。ルールを定めた「遊び」となる。殴り合いはボクシングに、摑み合いや投げ合いはレスリングになり、ボール(丸いモノ=太陽=支配者の象徴)の奪い合いにも一定のルールが定められ、サッカーやラグビー、ホッケーといったゲームになる。
 だから民主政社会でない社会、潜在的に暴力行為に価値を有している社会では、スポーツという文化を取り入れることはできても、生み出すことまではできないのだ。
 古代ギリシアのスパルタという都市国家は、今も「スパルタ教育」という言葉が残っているように、強い兵士を作りあげるための過酷なまでの訓練システムが存在し、男子は子供のときから集団生活で鍛えあげられたという。が、塩野七生さんが『ギリシア人の物語』(全3巻)のなかで書いているように、肉体的に鍛えられているはずのスパルタ人たちも、オリンポスの祭典では、競技によってはあまり成績がふるわなかったようだ。スパルタは優秀な重装歩兵を多く生み、最強の陸軍を誇ったが、競技大会での成績はイマイチ。このあたりが、実際の暴力(武力)と、暴力をゲーム化したスポーツ(遊び)の違いとも言えそうだ。
 もっとも古代ギリシアで行われた競技は、近代イギリスで整えられた近代スポーツとは異なり、かなり暴力的な要素も残されていたようで、戦車競走では戦車をぶつけ合って死者が出たり、徒競走(スタジオン走)でも、身体をぶつけ合うことは認められていたらしい。とはいえ、暴力によって支配者となることが否定された社会で、ゲーム化されたスポーツと呼べる「力比べ」の競技大会の期間中だけは、最大の暴力行為すなわち戦争までも否定されていた。そんな古代の民主主義社会が否定され、武力(暴力)が蔓延る中世・近世社会が続いたのち、近代になりイギリスに議会制民主主義社会(立憲君主制)が生まれ、近代スポーツも考案されたというわけだ。
 その過程を知ると、いまや世界中でサッカーに次ぐほど多くの競技人口を誇る柔道が、明治時代の日本社会で生まれた背景も容易に理解できる。すなわち「刀」という武器を腰に帯びた武士が支配する時代(鎌倉幕府から江戸時代まで)が終わり、明治天皇が「五箇条の御誓文」によって「万機公論に決すべし」(すべては話し合いで決めよう)と宣言された新しい時代を迎え、立憲君主制という民主主義社会に突き進み始めた。そのとき、嘉納治五郎(1860~1938)が現れ、柔術という戦場で武器(刀)をなくしたときの「戦闘術」から、1882(明治15)年に講道館柔道というスポーツを生み出したのだ。
 「柔術から柔道へ」という大転換をやってのけた嘉納治五郎という人物もなかなかの傑物に違いない。が、その大転換もノルベルト・エリアスの説に従えば、日本が立憲君主制の民主主義社会になったからこそ可能になった、と言えそうだ。
 「柔術(武術)から柔道(武道)へ」という変化が、いかに民主主義的で、非暴力的かということは次回に書きますが、では、武道(柔道、剣道、空手道、合気道、相撲道……など)はスポーツといえるのでしょうか? 「武道はスポーツではない」と断言する武道家も多いようですが、貴方は、どう思いますか?


この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com