スポーツ文化評論家 玉木正之

2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために── 
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
最終回では、オリンピックとパラリンピックの未来を考えます。健常者と障がい者が同じ競技をすることで、スポーツのすばらしさを発見することができる。そんな可能性を探ります。スポーツの素晴らしさって、なんだ?


そもそも
スポーツって何だろう?

「オリンピックとパラリンピックを、同時に、一緒に開催することはできないものでしょうか?」
 東京都のオリンピック・パラリンピック準備局に所属する女性職員の口から、そんな言葉が飛び出したのは、2013年10月に宮城県石巻市で開催された『2013武道フェスティバル石巻』の親睦パーティの席でのことだった(そのフェスティバルは、2011年東日本大震災以来、復興を目指すイベントとして東京都と一般社団法人日本アスリート会議の主催で現在も続いている)。
 そのイベントの約1か月前の9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2020年のオリンピック夏季大会の東京開催が決定していた。そこで私は、東京都職員の言葉を聞いた途端、小躍りしたくなるほど嬉しく思った。
 オリンピックとパラリンピックの融合。
 それこそ未来のオリンピックを語るうえで、いや、未来のスポーツを語るうえで、絶対に理想の目標として目指さなければならないものだと私が考えていたことだった。
 オリンピックはいま、肥大化、商業化、ドーピング問題……等々、さまざまな問題を抱えている。そして、その根底に横たわっているのは、スポーツの「絶対化」、オリンピックの「絶対化」という考え方ではないか、と私は考えている。
 「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉があるが、そうは言いながらも出場選手は誰もが勝利を目指し、国民は国の代表としての選手を応援し、メディアは国別獲得メダル数を比較し、それがあたかも「国力」を示しているかのような幻想を振りまいている。
 選手が勝利を目指すのも、最初はスポーツマンとして、またスポーツウーマンとして、純粋に「勝ちたい」という気持ちに駆られてのことと言えるだろう。が、そのうち勝利の結果として高い評価と多額の報酬が伴っていることに気づき、何としてでも勝ちたいと思い、勝つことを熱望する選手も現れる。そして勝利を得ようとしてドーピングに手を出す選手も出てくるようになった(選手も指導するコーチも、勝利という結果に伴う評価と報酬を目指し、選手にドーピングを勧める事態も起こっている)。
 そういった「勝利至上主義」(勝利が何よりも素晴らしいという考え方)の根底にあるのが「スポーツの絶対化」の考え方だ。
 たとえばオリンピックの陸上競技100m走決勝で優勝した「世界王者」は、本当に「世界一速い男」として讃えられるべき存在なのだろうか?
 そこで、もしもオリンピックとパラリンピックが同時に、同じ場所で、一緒に開催され、100m走決勝も、順々に行われるようになったら、いったいどうなるだろう?
 ウサイン・ボルトのような超人的な走りで100mを駆け抜ける選手たちのレースのあとに、片足義足の選手の100m走決勝が行われ、続いて両脚義足の選手、手に障がいのある選手、車椅子の選手、視覚障がい者、聴覚障がい者、知的障がい者……と、100m走決勝が続けて行われたら、見ているひとたちはいったいどんな印象を持つだろう?
 タイムだけを較べれば、ボルトのような、いわゆる健常者が「一番」かもしれない。が、それを見ている観客のなかには、懸命に走る障がい者こそ「一番」だと思うひとも少なくないだろう。
 私がはじめてパラスポーツ(障がい者の陸上競技大会)を取材したとき、片足でけんけん跳びをするようなアプローチから、高さ1m80m以上のバーを背面跳びでクリヤーした選手を見て、彼こそ「世界一のジャンパーだ!」と思ったモノだった(その後、片足ジャンプの世界記録が1m98cmだと聞いたときには、さらに仰天した)。
 オリンピックとパラリンピックの融合は、あらゆるスポーツの「絶対化」を否定し、スポーツを「相対化」する。
 いまオリンピックでのスポーツ競技に、マスメディアは大騒ぎし、勝利を賞賛し、われわれスポーツ・ファンも「凄い!」と思う(ことが多い)。しかし、それと同じように「凄い!」と思えるようなスポーツや、それよりももっと「凄い」と思えるスポーツも存在しているのだ。そのことを、パラリンピックは教えてくれるのだ。
 もちろん見るひとによって印象は異なるかもしれない。が、そんなふうに、スポーツを「絶対化」することなく、「相対化」して見ることによって、さらに大きなスポーツの価値、さらに多様なスポーツの素晴らしさを発見することができるはずだ。
 2020年の東京大会では、残念ながら、まだオリンピックとパラリンピックの融合は実現しなかった。が、近い将来には、是非とも実現してほしいものだ。
* * * * *
 この連載を終えるにあたって、最後に、もうひとことだけ付け加えておこう。
 ある後輩のスポーツライターに、次のような質問を受けたことがある。
 「今までに見たスポーツのなかで、一番素晴らしかったのは、どんな瞬間でしたか?」
 そこで「キミは?」と訊き返すと、彼は、「オリンピック・シドニー大会男子柔道決勝で見た、井上康生選手が鮮やかな内股の一本を決めた瞬間」という答えを返した。
 私の答えは全然違った。
 「うちのガキが幼稚園に通っていたときの運動会のリレーだよ。あれほど素晴らしいスポーツの瞬間はなかった。今でも、そう思ってるよ。歯を食いしばって必死に走る子、笑顔で手を振り、余所見しながら走る子、反対方向に駆け出す子、バトンを落として泣きじゃくりながら走る子、そして、子供たちに向かって大声を張りあげ、一生懸命応援する母親や父親。お爺さん、お婆さん。勝っても負けても、みんな笑顔で大笑い。あんな素晴らしいスポーツ大会は、ほかにないだろうね……」
 こう言うと、彼は「ズルいなあ」と言って、一緒にハハハハハ……と大笑いしたのだった。

この記事を書いた人

玉木正之(たまき・まさゆき)
スポーツ&音楽評論家。1952年4月6日、京都市生まれ。東京大学教養学部中退。現在は、横浜桐蔭大学客員教授、静岡文化芸術大学客員教授、石巻専修大学客員教授、立教大学大学院非常勤講師、 立教大学非常勤講師、筑波大学非常勤講師を務める。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館『GORO』)になる。その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。雑誌『朝日ジャーナル』『オール讀物』『ナンバー』『サンデー毎日』『音楽の友』『レコード藝術』『CDジャーナル』等の雑誌や、朝日、毎日、産経、日経各紙で、連載コラム、小説、音楽評論、スポーツ・コラムを執筆。数多くのTV番組にも出演。ラジオではレギュラー・ディスクジョッキーも務める。著書多数。
http://www.tamakimasayuki.com/libro.htm
イラスト/SUMMER HOUSE
イラストレーター。書籍・広告等のイラストを中心に、現在は映像やアートディレクションを含め活動。
http://smmrhouse.com