第5回 「人間豹」明智と対決する怪人たち【後編】

江戸川乱歩研究者  落合 教幸

 乱歩の長篇で明智の敵となったのは、「蜘蛛男」「魔術師」「黄金仮面」といった犯罪者たちだった。
 長篇のタイトルからも推察できるように、乱歩が描きたかったのは、こうした特異な犯罪者たちの姿であったのかもしれない。題名に選ばれたのは、例えば「シャーロック・ホームズの冒険」「ブラウン神父の童心」といった探偵の名前ではない。また「黒死館殺人事件」「獄門島」といった、事件の舞台となる場所でもない。こうしたところにも、乱歩の意識が垣間見えるのである。
 一般の人間が持つことはあっても、行動に移してしまうことはためらうような欲望を、乱歩の描く犯罪者は、極端なまでに突き詰めていってしまう。一方で、例えば人間改造のような、おそらく普通の人には縁のない発想にとりつかれた犯罪者も登場する。犯罪者の動機については、長期にわたって探偵小説の重要な問題となっていく。乱歩にとっても犯罪の動機は重要であることは言うまでもないが、極端であること、過剰であることが乱歩の描く多くの犯罪者の特徴だと言えるだろう。
 前回の第4回で並べてみた、自分の世界を作り上げるといったものも、そういった欲望のひとつだ。それと関連するのは、美術品などを盗むことである。乱歩の長篇の源流のひとつに、ルブランのアルセーヌ・ルパンがあることを考えると、これは当然ともいえる。黒蜥蜴も、宝石や美術品を狙う女賊である。
 さらにその欲望は、人間を盗む、という誘拐にもつながっていく。誘拐事件といえば身代金目的というのが通常だし、乱歩の小説でもそういうものはある。だが、美しい人間を誘拐し、いわば美術品のようにその身体をでるというのも、乱歩の小説では頻繁に描かれる。ときにそれは、身体の一部分という残虐なかたちにもされてしまうのだが。
 もちろん異性への執着もある。明智小五郎が登場する乱歩の長篇の、初期から末期までこの動機は含まれている。しかし単純な恋愛感情や性欲とはかなり異なっている。
 また、復讐というのは犯罪の動機として比較的多く、複数の長篇で使われている。直接その人に対しての恨みはなくても、親などに代わって、その子の代の人物に復讐することもある。
 このように動機だけを見ても、さまざまな理由を持った犯罪者たちが現れ、世間を騒がせていく。
 さて「人間豹」は、冒頭の場面から怪人が登場する。
 乱歩も書いているように、この人物の容貌は、村山むらやま槐多かいたの小説の影響を受けている。槐多の「悪魔の舌」に登場する、針の生えた長い舌を持つ男である。
 この人間豹恩田は、容姿だけでなく、行動でも異常性を示す。ここで書かれているカフェーというのは、コーヒーを飲ませる喫茶店ではなく、酒を提供し女給が接待するような店である。その店内で、神谷の相手をしている女給の弘子が恩田の目に留まる。恩田は弘子に自分の席へ来るよう要求するのだが、拒否されてしまう。恩田はテーブルを殴りつけ、血を流すのである。
 神谷は店を出た恩田のあとをつける。インバネスという長いコートを羽織った恩田の姿は、巨大な夜のちょうや黒い蝙蝠こうもりを思わせる。恩田は吠えかかる犬にとびかかり、上顎と下顎を引き裂いて殺した。神谷は恩田を追って武蔵野まで行くのだが、恩田に脅され、逃げ帰ってしまった。
 弘子が行方不明になったことを知った神谷は、再び武蔵野の森へと向かい、洋館を見つけ出した。恩田がその老父と住む家だ。弘子はそこに囚われていたのだが、神谷の目の前で殺されてしまうのだった。
 恩田親子は消えたが、神谷は脱出することができた。その1年ほど後、神谷には新しい恋人ができる。レビューの女王と讃えられる歌姫、江川蘭子である。恩田が次に狙ったのが、この江川蘭子であった。
 最初の段階での恩田の行動は、ひとりの女性への執着であったように見える。しかし、犯罪が連続したことで、その動機が読者にも見えなくなっていく。
 この長篇で描かれた犯罪者は人間豹の恩田だけではない。
 その父親もまた怪人だった。いやむしろ、この父親のほうこそが、特異な欲望を持った人物であったことがわかってくるのである。息子のほうは、テーブルを殴りつけたり、犬を殺したりするなど、欲望の抑えが効かず、自らの獣性に突き動かされている様子が冒頭から描かれている。一方で父親は、息子をかばうことを動機としているように見せながら、豹をはじめとする猛獣に執着する姿が描かれていく。そして後半では、この老人はサーカスの団長になって、虎と熊との対決を演出するのである。
 息子は女性への執着から始まり、神谷と関係する女性を狙うことへと動機を変化させていく。それを支える父親のほうにも、「孤島の鬼」で書かれた人間改造を行う男にも似た、特異な欲望を見ることができるのだった。
 さらに物語後半での人間豹の犯罪は、明智夫人を狙ったものになる。人間豹の敵視する対象が、神谷から明智へと移ったということだろう。これは「黒蜥蜴」の緑川夫人が、宝石を手に入れることから、明智に打ち勝つことへと重心を移していったこととも近い。
 しかし黒蜥蜴が明智に敗れていったのとは異なり、「人間豹」の結末では、恩田についてはっきりとした最期を描いていない。結末にあいまいな部分を残すことで、いくつかの可能性を示すのは、「陰獣」などにも見られる乱歩の特徴だった。「人間豹」の結末はそこまでの含みはないだろうけれども、人間豹の出生についてもはっきりと書かれていないことも合わせて、不思議な読後感を残すものになっているのではないだろうか。
 乱歩の長篇小説に登場する犯罪者たちは、それぞれが異様な、極端な欲望を持った存在として描かれる。
 こうした怪人たちは、怪人二十面相のいくつもの姿に、一部は引き継がれていったと見ることもできるだろう。そうすると、少年物で描かれた犯罪には、これらの犯罪者の持つ各種の欲望へとつながる要素が含まれているとも言えるのかもしれない。

江戸川乱歩文庫『人間豹』(春陽堂書店)より

 次回は、「陰獣」を取り上げる。
 乱歩と同時代の探偵作家との関係を見ていきたい。
『人間豹』(春陽堂書店)江戸川乱歩・著
本のサイズ:A6判(文庫判)
発行日:2018/8/1
ISBN:978-4-394-30160-8
価格:1,045 円(税込)

この記事を書いた人
落合教幸(おちあい・たかゆき)
1973年神奈川県生まれ。日本近代文学研究者。専門は日本の探偵小説。立教大学大学院在学中の2003年より江戸川乱歩旧蔵資料の整理、研究に携わり、2017年3月まで立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの学術調査員を務める。春陽堂書店『江戸川乱歩文庫』全30巻の監修と解説を担当。共著書に『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 2017)、『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店 2018)、『江戸川乱歩新世紀-越境する探偵小説』(ひつじ書房 2019)。