アウトロー俳人・北大路翼さんが、『半自伝的エッセイ 廃人』刊行にあたり、いま気になる人物と語りあう対談シリーズ『人生すべてが俳句の種。』。
2月8日に青山ブックセンター本店で行われた歌人・ささ公人きみひとさんとの対談イベント「俳句と短歌の可能性 -歌舞伎町念力-」の模様をお届けします。前編は、俳句と短歌それぞれの世界に「アウトロー」「念力」といった新風を吹き込んだふたりの「ことば」のプロは、ふだんどのようなことを考えているのか──。その一部が垣間見えるやりとりとなりました。

北大路翼さん(右)、笹公人さん


北大路翼の前世は、村山槐多⁉
北大路翼(以下、北大路) 俳人と歌人が交流することはめったにありませんが、僕が短歌関係の仕事をしていることもあって、笹さんとは以前から顔見知りです。初めて会ったのは、短歌のイベントのときでしたっけ?
笹公人(以下、笹) なにかの打ち上げでお会いしたんだと思います。そのあと、短歌とお笑いを融合させたイベント「お笑い短歌道場」に、審査員として来てもらったこともありました。俳人なのに、短歌の批評が的確でびっくりしたのを覚えています。翼さんと話して盛り上がったのが、共通の恩師というか知り合いの角川春樹さんのことでした。
北大路 そうでしたね。春樹さんとのおつきあいは、僕が俳句の出版社で編集をしていたときに、『海鼠なまこの日―角川春樹獄中俳句』(文学の森)という句集をお手伝いをしたのが始まりです。
 春樹さんには一時期大変お世話になっていました。別荘に招待していただいたり、句会にも参加していました。春樹さんは、生涯不良の俳人だから、後継者として気に入られたんじゃないですか?

北大路 いや、そのときは編集者という立場で会っているから、あまり俳句の話はしませんでしたね。春樹さんとのやりとりで印象に残っているのは、句集の表紙を決めるときのことです。顔をどんと大きく出しそうということになって、レイアウトの関係で顔の一部がちょっとだけ切れていた。そしたら、「おい、なんで俺の顔が切れてんだ!」って怒りだしちゃって(笑)。でも、「こういうのがおしゃれなんですよ」って説得したら、「おっ、そうか。これがおしゃれなのか」って意外と素直に受け入れてくれました。
 ハハハ、春樹さんはご自身を天武天皇、チンギス・ハン、武田信玄の生まれ変わりだと公言しているし、戦国武将的に縁起などを気にされる方なので、きっと“切れる”というのが気になったんでしょうね。
北大路 戦国武将か。たしかに、日本刀とか大好きですもんね。ところで、笹さんは、自分は誰かの生まれ変わりだと思ったことありますか?
 いつだったか、前世鑑定をする人から、平安時代に天皇に和歌を教えていた歌人の生まれ変わりだと言われたことがあります。自分が歌人だとは伝えてないのに。ほかにもいくつか思い当たることを言われて驚きました。
北大路 やっぱり歌を詠む人なんだ。僕はガランス(深い赤色)を多用することで有名な画家で詩人の村山槐多かいたの生まれ変わりだと思ってるんです。若い頃に、『尿いばりする裸僧』や『自画像』を見たときに、「これ、僕のことだ」と直観して、ものすごく感動しました。顔もどこか似てる気がするんですよ。

尿する裸僧(左)、自画像(右)ともにWikipediaより

 退廃的で破滅的、どこか通じる部分があるのかもしれませんね。
北大路 春樹さんほどじゃないけど、僕も前世を信じているし、縁起とかも気にするタイプ。
 そういえば厄年だって言ってましたね。
北大路 そう、去年が本厄で、今年は後厄です。去年も今年も新年早々、散々な目にあいました。去年は“ものもらい”がどんどんひどくなって手術までしましたし、今年のお正月は、高熱は出るわ脱腸にもなるわで、ほんとにつらかった。僕は電気製品とか便利なものが大嫌いで、暖房もクーラーも使わない生活をしているから、寒い部屋のなかで、ずっといきんでたのがよくなかったのかもしれないけど。
 えーっ! いくら暖冬とはいえ、さすがに暖房がないのはつらいですよ。厄年っていうより、暖房つけないことが原因じゃないですか?
北大路 それもあるかもしれないけど、厄年ってやっぱりなにかあると思う。
 たしかに厄年の頃は、「いままでのようにはいかないぞ」と身体がシグナルを発する時期ですからね。僕も寝ているときに宅急便の配達が来て、慌てて出ていこうとしたらタンスの角に足の小指をぶつけて骨折したことがあります。本当に痛かったし、あれは切なかったな……。それにしても、翼さんは去年、今年ともろに厄がやってきた感じですね。
北大路 ほんとに、バンバン来てます。数字とかにこだわりすぎちゃうから、余計に感じるのかもしれないけど。

数字の「4」から連想した「死」のイメージ
 数字と言えば、『半自伝的エッセイ 廃人』(以下、『廃人』)にも、別れた彼女を新宿駅で見かけて、彼女の誕生日の馬券を買ったというエピソードがありましたね。
北大路 そうそう、5月10日生まれだったから、5番―10番の馬券を買いました。結局、当たらなかったけど、勝ち馬に乗っていた騎手の名前が後藤(5・10)だったんです。

 シンクロニシティですね。ギャンブルは数字の魔力を感じるシンクロの宝庫だから。アメリカで同時多発テロがあった2001年の有馬記念は、1着にマンハッタンカフェ、2着にアメリカンボスという「アメリカ馬券」が来ましたし、社会的な事件などもシンクロするようですね。
北大路 有馬記念は年末最後のレースだから、とくに世相を反映するような数字や語呂なんかが来るといわれてます。僕はユングのことが好きで、シンクロはかなり気になるんですよ。自分の誕生日が5月14日だから、どうしても5と1と4は気になってしまうし、日付や時間、そのとき流行っているものとかも、一度気になるとどうしても引っぱられてしまう。公営ギャンブルでは、1枠=白、2枠=黒、3枠=赤、4枠=青、5枠=黄、6枠=緑、7枠=だいだい、8枠=ピンクって決まってるんですけど、この間、梓みちよさんが亡くなったときは、「こんにちは赤ちゃん」から赤の3枠が気になって仕方なくなる、という具合。だから今年のダービーは五輪にちなんで、5が来ると予言しています。
 数字だけじゃなくて色からも連想するんですね。ギャンブルだけでなく、ふだんの生活でもそういうのは気になりますか?
北大路 意識しますね。学校では出席番号が4番になることが多くて、身長も後ろから4番目。4という数字に取りつかれている気がして、4から連想する「死」のイメージが頭の中にずっとありました。僕が家元の「屍派」も、そこにつながっているのかもしれません。
 数字のなかで、4だけなんだかかわいそう。あ、「良い」の4だと思えばいいんじゃないですか?
北大路 それ、いいですね。4はいろんなものが安定する数字でもあるし、悪いことばっかじゃないんだな。僕たちにもっとも大事な「詩」でもある。

温泉地スナックならではの魅力
 そういえば、ツイッターに「携帯電話を持ち歩くのをやめました」って書いてありましたけど、いつ、なんでやめたんですか?
北大路 今年の2月4日、立春を機に、これからはのんびり生きようと思ってやめました。携帯は便利だけど、いまの世の中せせこましすぎてイヤになった……というのは表向きの理由で、本当は携帯を持ち歩いていると、すぐにギャンブルをしてしまうから。家から会社まで、電車に30分乗っているうちに、貯金が10万円減っていくのは、さすがにまずいなと。こんなことなら、最初から電車じゃなくてタクシーでピュッと行っちゃったほうがよかった、ということが何度もあるので、自分への戒めも込めて、携帯を持ち歩くのをやめたんです。
 そういうことですか。ギャンブルでもなんでも全力で挑んじゃうから。
北大路 そう、お酒もギャンブルも、「ちょっとだけ」っていうのができない性質たちだから。ふだんいる新宿や歌舞伎町は楽しいし好きだけど、人の流れが速くてくたびれてしまう。ちょっとのんびりしたくなって、いまから2~3年前だったかな。ふらっと熱海に行って初めて地元のスナックに入ってみたんです。そしたら、昔は銀座でナンバーワンだったというママの話がとにかく面白くてね。温泉地にあるスナックの面白さにそこからハマりました。僕はバブルのいい時代を知らないから、思い出話や自慢話を聞くのが楽しいんです。
 そういう他人の昔話、とくに自慢話を聞くのは嫌がる人が多いのに。
北大路 僕はむしろ好きですね。子どもの頃から句会で年輩の方の話を聞いてきたからかもしれないけど、昔の話を聞くのは純粋に楽しい。
 熱海のママ…元銀座のナンバーワンには、昔の面影みたいなのが残っていたりするんですか?
北大路 いや、まったくないですね。いまではリウマチで動けない、ただのおばちゃんです。熱海に別荘を持っている演歌の作詞家なんかがいまでもこっそりお忍びで来ているらしい。そのママは自分で稼いだ金で熱海に温泉付きの別荘を買って、店も構えてやってるんだから大したものですよ。不思議なのは、温泉の効能に「リウマチに効く」って書いてあるのに、毎日温泉に入っているはずのママのヒザは曲がらない(笑)。
 ハハハ。じゃ、『廃人』のあとがきに出てくる“はなちゃん”も……。
北大路 そう、伊東で出会ったスナックの女の子です。もともと別の店に入ろうとしたけどいっぱいで、知り合いの店を紹介するよと連れていかれたところに、はなちゃんがいた。一目惚れでしたね。その日は七夕で、店にはちゃんと笹が飾ってありました。新宿のキャバクラじゃこうはいかない。短冊に「また会おう」みたいなことを書いて、次の週も会いに行きました。
 へー、そうなんだ。でも、東京ならまだしも、地方のスナックに毎週通うのは大変でしょう。
北大路 地方に行くと、みんな帰りがけに「また来るよ」って挨拶で言いますよね。それに対して「どうせ来ないんでしょ」って店の人に返されるのが大っ嫌い。僕は飲み屋の約束って、すごく大事だと思っているんです。あるとき熊本のスナックで同じやりとりがあって、翌週も飛行機に乗って行ったら、ドン引きされました。
 スナックに行くために、わざわざ飛行機に乗って?
北大路 そう。前の週に一句したためた色紙が、次の週にはなくなっていて、「この野郎!」って(笑)。

 ハハハハ、そういう経験は僕にもいっぱいありますよ。それにしても、アウトローぶってるけど、翼さんはなにか、そういう純な部分があるんだよな。『廃人』にも「ライトアップ」に関するエッセイで、クリスマスツリーを一晩中ピカピカ光らせるのは、木が夜も眠れないからかわいそう……という内容のことを書いてましたね。ほかにも、「これ短歌になるな」と思った箇所がいくつかありました。発想自体が短歌っぽいし、どこかやさしい。
北大路 僕は基本的にやさしいんですよ。ま、ネオンが大好きな僕が、ライトアップのことをとやかく言うのも、おかしな話ですけどね。
〈後編〉につづく)
『半自伝的俳句エッセイ 廃人』
(春陽堂書店)北大路翼・著

“人生すべてが俳句の種”と語るアウトロー俳人・北大路翼初のエッセイ集。書き下ろし俳句も多数掲載したエッセイ48篇、2万句を超える過去作品からの肉筆自選23句、俳句をつくる実践的なテクニックを指南する俳句塾など、北大路翼が俳句をとことん遊びきった渾身の一冊。
●笹 公人(ささ・きみひと) 歌人
1975年7月8日、東京都生まれ。「未来」選者、現代歌人協会理事。「牧水・短歌甲子園」審査員。大正大学客員准教授。17歳の頃、寺山修司の短歌を読んだことがきっかけで作歌を始める。1999年、未来短歌界に入会。岡井隆氏に師事。2003年、第一歌集『念力家族』(NHK Eテレにて連続ドラマ化)を刊行。歌集『念力図鑑』『抒情の奇妙な冒険』『念力ろまん』、作品集『念力姫』エッセイ集『ハナモゲラ和歌の誘惑』、絵本『ヘンなあさ』(絵・本秀康)、和田誠氏との共著『連句遊戯』、朱川湊人氏との共著『遊星ハグルマ装置』など著書多数。
http://www.uchu-young.net/sasa/
●北大路 翼 (きたおおじ・つばさ)  俳人
1978年5月14日、神奈川県横浜市生まれ。新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」家元、「街」同人、「砂の城」城主。小学五年生で種田山頭火を知り、句作を開始。2011年、作家・石丸元章氏と出会い、「屍派」を結成。2012年、芸術公民館を現代美術家・会田誠氏から引き継ぎ、「砂の城」と改称。句集に『天使の涎』(第7回田中裕明賞受賞)、『時の瘡蓋』、編著に『新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」アウトロー俳句』『生き抜くための俳句塾』など。

写真 / 小暮哲也
構成・文 / 山本千尋