第2回 “軽妙”な新人時代と戦時下──「桃太郎侍」「崋山と長英」
さいたま文学館学芸員 影山 亮
昭和14(1939)年10月、山手樹一郎は40歳を迎えた初秋に長年勤めた博文館を辞して作家として独り立ちを果たしました。『少年少女 譚海』の名編集長として、山本周五郎や山岡荘八などの若手作家を育てていた山手にとって、専業作家として生きていくことには不安がつきまといました。そのころ私は十人近い家族をかかえていたので、月にどうしても二百円はかかる。月給はたしか百二十五円だったから、それまでも不足分は原稿料で稼いでいたことになる。
原稿料は一枚二円のころだったから、一本立ちになると毎月百枚は書かなくてはならない。つまり短篇小説にして三本は書かなくてはならないので、中年者の私としてはこれがなかなか大変だった。
(「あのことこのこと 一」『山手樹一郎全集付録』昭和35[1960]年9月、講談社)
原稿料は一枚二円のころだったから、一本立ちになると毎月百枚は書かなくてはならない。つまり短篇小説にして三本は書かなくてはならないので、中年者の私としてはこれがなかなか大変だった。
(「あのことこのこと 一」『山手樹一郎全集付録』昭和35[1960]年9月、講談社)

山手の随筆がまとめられた『あのこと このこと──山手樹一郎随筆集』(光風社出版、1990 年)

『桃太郎侍』の映画・テレビドラマの台本たち
「桃太郎侍」の反響は連載当初はそれほどでもありませんでしたが、「小生過去かゝる面白き小説に接したることはありません」「上品で美しい小説でした、さしゑも美しく、これが終るのかと思ふと大変惜しいです」といった愛読者の声が連載紙に掲載されるなど、次第に人気を博していきました。連載は昭和14(1939)年11月2日から翌年の6月30日まで続き、同年10月に『合同新聞年鑑』に収録されますが、これは『合同新聞』の別冊なので、正式な初刊本とは言えないでしょう。しかし昭和16(1941)年9月には正式に単行本化されました。その出版元こそ春陽堂書店なのです。定価1円90銭で販売されたこの単行本は、作中に登場する讃州丸亀へと向かう金毘羅船が出る室の津を想起させる装丁で、いま手元にあるものの奥付を見ると初版の3ヶ月後の12月に再版、昭和17(1942)年3月に3版が刊行されており、ここからも「桃太郎侍」が多くの読者に愛好されたことがうかがえるでしょう。ちなみにこの初版本は、山手の出世作でありながら国立国会図書館や日本近代文学館には所蔵されていない、貴重な資料です。

『桃太郎侍』初版(昭和 16 年 9 月、春陽堂)
戦時下の山手作品で同時代の高評価を受けたものとしては「獄中記」「檻送記」「蟄居記」(後に『崋山と長英』にまとめられる)の3部作が挙げられます。本作は渡辺崋山と高野長英の2人を史実に忠実に描いた歴史小説で、山手お得意の友情や男女の恋模様のモチーフを排した、山手作品中では異色ともいえるものです。しかしながらこの3部作が、昭和19(1944)年12月に新人作家の登竜門ともいえる第4回野間文芸奨励賞を受賞したことからも、同時代の評価基準の一端がうかがえるでしょう。

『獄中記』初出第1回(『大衆文芸』昭和 18 年 6 月、新小説社・崋山と⾧英』の冒頭)

『崋山と⾧英』署名入り(昭和 27 年 2 月、同光社磯部書房)
『桃太郎侍』上巻(春陽堂書店)山手樹一郎・著
TVドラマにもなった 『桃太郎侍 』の知られざる原点、遂に復刊。
アクションあり、恋あり、涙あり……
山手樹一郎の傑作長編!
本のサイズ:A6判(文庫判)/368ページ
発行日:2024/1/26
ISBN:978-4-394-90470-0
価格:1,012 円(税込)
TVドラマにもなった 『桃太郎侍 』の知られざる原点、遂に復刊。
アクションあり、恋あり、涙あり……
山手樹一郎の傑作長編!
本のサイズ:A6判(文庫判)/368ページ
発行日:2024/1/26
ISBN:978-4-394-90470-0
価格:1,012 円(税込)
┃この記事を書いた人
影山 亮(かげやま・りょう)
1988年、東京生まれ。さいたま文学館学芸員、立教大学大学院博士課程後期課程。山手樹一郎を中心とした時代小説、大衆雑誌をテーマに研究。主な論文に「占領下における明朗時代小説の躍進 : B六判雑誌『読物と講談』と山手樹一郎『夢介千両みやげ』」(『立教大学日本文学』2020年1月)など。今冬の企画展「太宰治と埼玉の文豪展」を担当、来冬に江戸川乱歩に関する企画展を担当する。
影山 亮(かげやま・りょう)
1988年、東京生まれ。さいたま文学館学芸員、立教大学大学院博士課程後期課程。山手樹一郎を中心とした時代小説、大衆雑誌をテーマに研究。主な論文に「占領下における明朗時代小説の躍進 : B六判雑誌『読物と講談』と山手樹一郎『夢介千両みやげ』」(『立教大学日本文学』2020年1月)など。今冬の企画展「太宰治と埼玉の文豪展」を担当、来冬に江戸川乱歩に関する企画展を担当する。
