第3回 明朗時代小説の躍進時代
   ──「夢介千両みやげ」「新編八犬伝」

さいたま文学館学芸員 影山 亮
 太平洋戦争に敗北した日本は、GHQの占領下におかれることになりました。それは混乱や変化という言葉では言い尽くせないほどでしたが、殊に大衆文学の領域におけるそれを探偵小説作家の木々高太郎は3点にまとめています。
 その第一は、何と云つても探偵小説の興隆である。(略)第二の特筆す可きことは、進駐軍司令部より、軍国的封建的の文化の一掃の意味から歌舞伎台本半ばが禁止せられると共に、封建的歴史小説、股旅もの等が殆ど禁止に近い処置がとられたので、大衆小説の大半を占めてゐた、時代小説は殆ど潰滅して了つたことである。(略)もう一つ特筆す可きことは、戦前の所謂大衆文芸と純文学との区別が少しづゝなくなりつゝあることである。而もそれは、作家が容易に固執を去らぬに反して、編集者の側から現はれてゐる。
(木々高太郎「大衆文芸の概観」、『文芸年鑑』昭和23(1948)年9月、桃蹊書房)
 終戦直後からGHQは教育文化政策を担当するCIE(民間情報教育局)を、さらにCCD(民間検閲支隊)を設置しました。そのCIEから日本映画に対し13の規制項目が提出され、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的であり、「忠臣蔵」などの敵討ちなどは連合国に対する敵対心を喚起する要素がある映画と認識され製作が制限されました。その制限は時代小説へも同様でした。また戦時下において歴史小説への接近を見せていた時代小説は、「面白味」が失われ、つまらなくなったと批判にさらされていました。チャンバラという最大の武器を封じられながら、娯楽を主眼に据えた作品を求められるなかで、時代小説専門作家たちは、明らかに手こずっていました。
 一方で戦時下はもちろん、元来チャンバラシーン抜きの時代小説を得意としてきた山手にとっては、占領下における制限は少しも窮屈ではありませんでした。山手の出世作である「桃太郎侍」を見ても基本的には敵を刀で斬ること避け、どうしようもなく追い込まれたときに抜刀し仕方なく斬るという描写です。武蔵野次郎との対談でも、
武蔵野 実際、考えますと、昔の人は、刀をもっていても、一生抜かなかった人だっているんですよね。
山手  ええ。そのほうが多いんですよね。
武蔵野 だから、人を切るなんていうのは、もってのほかで、ほんとうは、あれはまあ映画とか、そうゆうんで簡単に切っちゃうけれども、刀を抜くというのは、たいへんなことだったと思うんですよね。
山手  たいへんなことですよ。そして、普通の神経じゃ抜けませんよ。
武蔵野 ええ、ちょっと考えても、抜けませんね。
山手  ですから、人を切ってあだ討ちものなんかありますけれどもね、けっしてズバッなんて切っていませんからね。異常神経ですね。今日のいわゆる殺人と同じですね。性格破綻者だと思いますね。だから僕は、剣豪物というのは、あまり好きじゃない。
(「《対談》時代ユーモアの創始」『日本伝奇名作全集』第8巻昭和45年[1970]年5月、番町書房)

山手(右)と武蔵野(左)の対談の様子(『日本伝奇名作全集』第8巻より)

とはっきり言及しており、山手が人を斬らない時代小説=明朗時代小説を標榜していることが分かるでしょう。占領下における時代小説の要請は山手が標榜する明朗時代小説と見事に合致しました。その象徴的作品が『読物と講談』(公友社)に長期連載された「夢介千両みやげ」でした。

『読物と講談』創刊号表紙と、同誌に掲載された「夢介千両みやげ」第1回

 「夢介千両みやげ」は続編を含めて昭和23(1948)年2月から昭和27(1952)年6月まで連載された長編小説です。小田原の豪農の息子である夢介は父から、千両を使って江戸で道楽修業してこいと言われます。その道中、美人道中師のお銀と出会い恋仲になりながら、江戸では宿敵である大垣伝九郎をはじめ様々な敵や、災難に巻き込まれながらもその豊富な資金と土下座、最後の手段として怪力を使って解決していくというあらすじです。
以前から時代小説で、なにか新しいユーモア小説はできないものかと考へてゐたが、終戦後われ人共にあまりにもせち辛い世相を見せつけられて、こんな時代にこそのんびりした楽しい小説を書いてみたいものだと切実にその感を深くし、大人の童話のつもりで書き出したのが本篇である。
(山手樹一郎「解説」『新大衆小説全集』第9巻 昭和25[1950]年1月、矢貴書店)
山手自身がそう回想しているように、本作は敗戦と占領下における混乱のなかで、千両を自由に使えるというモチーフそのものが「大人の童話」でした。また本作で夢介は帯刀していないので、敵を斬ることはありません。「桃太郎侍」からさらに明朗時代小説という自身の作風を昇華したと言えるでしょう。『読物と講談』には毎号、「夢介千両みやげ」への感想投稿が掲載されています。
時代小説のメイン読者層であった中老の男性だけでなく、若い女性からや子供からも非常に人気を博したのが特徴的です。すなわち、老若男女問わず、家族全員が読んでいたということですが、『読物と講談』という雑誌自体が、敗戦直後に流行したカストリ雑誌とは一線を画した、明朗で家族全員で読めるというコンセプトでした。同誌に連載された「夢介千両みやげ」は占領下における時代小説の要請に応えただけでなく、同誌のコンセプトにも合致した作品だったのです。
また下記の表は拙稿「『新・山手樹一郎著作年譜』およびその制作過程」(『立教大学大学院日本文学論叢』平成25[2013]年10月)に基づく山手の創作数の変遷です。

これを見ると「桃太郎侍」を連載し“新人”作家として注目をされ始めた昭和10年代も増加傾向ですが、占領下での「夢介千両みやげ」の連載などが見られる昭和20年代の増加傾向は、連載作品数も含めて目を見張るものがあります。さらに山手はこの昭和20年代に『小説の泉』(矢貴書店)や『講談倶楽部』(講談社)、『埼玉新聞』『夕刊とうほく』など活躍の幅を拡大していきます。

『夕刊とうほく』(昭和23年7月13日)の一面に掲載された「鬼姫しぐれ」

まさに山手と明朗時代小説は躍進を遂げたのでした。この躍進期の作品では、曲亭馬琴の名著「南総里見八犬伝」を山手なりに解釈し直した「新編八犬伝」(『講談倶楽部』昭和23[1948]年12月~昭和26[1951]年9月)など単行本、文庫化されているものもあれば、『小説の泉』が企画した村上元三や山岡荘八ら5人で実施したリレー小説『五彩の情火』(山手が担当した回は「黒髪地獄」)など、書籍化されていない作品も多いのは少し残念な気がします。

「五彩の情炎」(『小説の泉』昭和23年12月に掲載された広告)

昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効され日本は主権回復し、GHQによる占領が終焉しました。その前後からチャンバラが解禁となり、時代小説全体が賑やかになり、間もなく昭和30年代の剣豪小説ブーム、週刊誌ブームを迎えます。そんななかで、作家自身の名前そのものをあらゆるメディアで目にする「山手樹一郎氾濫時代」の到来を迎えようとしていました。

【今回のおすすめ春陽文庫】※いずれも現在品切れ
『山手樹一郎長編時代小説全集』7(昭和52[1977]年11月、春陽堂書店)
※「夢介千両みやげ」収録

『山手樹一郎長編時代小説全集』12(昭和52[1977]年12月、春陽堂書店)
※「新編八犬伝」収録


この記事を書いた人
影山 亮(かげやま・りょう)
1988年、東京生まれ。さいたま文学館学芸員、立教大学大学院博士課程後期課程。山手樹一郎を中心とした時代小説、大衆雑誌をテーマに研究。主な論文に「占領下における明朗時代小説の躍進 : B六判雑誌『読物と講談』と山手樹一郎『夢介千両みやげ』」(『立教大学日本文学』2020年1月)など。今冬の企画展「太宰治と埼玉の文豪展」を担当、来冬に江戸川乱歩に関する企画展を担当する。