【第89回】


野方で見つけたジャズ喫茶「ミスティ」
 中野区の小さな町「野方のがた」が気に入って、何度も行きたくなるのだった。この日も、昔から付き合いのある編集者N君とわざわざ野方の純喫茶「無垢」で待ち合わせ。両者とも喫煙者で、紙タバコを席で吸えるこの店はありがたい。
 ところが、なんとこの日は定休日。なぜ事前に調べておかないのか。仕方ない。すぐにあきらめて、別の喫茶店を探し、野方駅南側をふらふらと歩きだす。「ヤッホーROAD」と掲げられた小さなアーケード商店街を発見。足を踏み入れてみる。すぐ右側に喫茶店があって「jazz」「ミスティ」の文字。なんと、ジャズ喫茶ではないか! 店自体は新しめで明るく清潔な感じ。ここにしよう。
 店内はけっこう広く、いつ来ても席が見つかりそうだ。年配の一般客がペアで何組か憩っている。ジャズ喫茶と意識せず、ふだん使いで利用されているようだ。フードメニューも豊富。入店すぐにN君が「タバコは吸えますか」と、インド系の女性店員に尋ねると、「はい、奥に喫煙室があります」と言う。どうやら独立して、喫煙室が設けられているらしい。そういう店、増えています。「いいよ、吸いたくなったらそこへ行こう」と、座り放題の中から4人席を見つけ座る。壁にジャズのCDやLPのジャケットが飾られているものの、店内に流れる音は小さい。注文を聞きにきた女性店員に「もうしわけないけど、ほんの少しでいいから、音楽の音を上げられますか」と告げてみると、あっさり「はい、だいじょうぶです」と返事があって、のち少し音量が上がる。応接の感じもよし。

 注文したのはアイスコーヒー。最初は気づかなかったが、私の座った席の後ろの壁に映像が映し出されている。カルテットによるライブ映像でモノクロだが、音だけではミュージシャンを特定できない。しかし、何ともいい感じだ。「これはいい店に当たったねえ」とN君に言う。「いい店だなあ」と口に出したのが、奥にいる店長に聞こえたのだろうか。お金を払って店を出るとき、わざわざ店長がでてきて「ありがとうございました」と我々に言った。異例のことである。「お近くですか?」と問われ、「いや、別の町から来て偶然入ったんだけど、すごくいい店で申し分ないです」と精一杯ヨイショをすると、ふたたび「ありがとうございます」と深々とおじぎをして礼を言われた。店長をいい気持ちにさせて、こちらもいい気分だ。
 野方はいい町です。掘ればまだまだ何か出てきそう。

昼寝、水風呂が大好きで……
 夏のお金のかからない楽しみに、私の場合は「昼寝(夕寝)」と「水風呂」がある。日中、眉をしかめて働いておられる「労働者諸君」(寅さんの決まり文句)には申し訳ないが、諸兄より収入も少ないのでお許しいただきたい。
 昼食後に少し仮眠をとることを「昼寝」というようだが、私の場合、所要時間もタイミングもまちまちである。昼食後に30分から1時間眠ることもあれば、夕方にうとうとすることもある。これが大変、気持ちがよい。起きてしばらく意識が混濁して、「あれ、もう朝か」などと混乱するのが玉にきず。幾分かはその「混乱」を楽しむ気配もある。初老の精神は複雑である。
 眠たいときに少し眠る。この解放感と充実はなにものにも代えがたい。ほとんど毎日、夜の睡眠とは別にサブ睡眠を楽しんでいた。昼寝したためにメインの夜に、なかなか寝付かれないのは、これはもう仕方がない。
「水風呂」というのはこういうことである。夜、家族が湯を張って風呂に入る。私は夏、あまり熱い湯に浸るのを好まない。体が火照るのが嫌なのだ。そこで、翌日、ぬるくなった湯が洗濯に使われたあとに残った分に水を足す。100パーセント水だと、少し冷たすぎて、そこにぬるま湯が足されたぐらいの温度がちょうどいい。
 手にタオル、入浴しながら読む本を用意して、ざぶりと「水風呂」に浸かる。ちゃぷちゃぷと汗を流し、体が冷却されるのと並行してしばし読書をするのだ。せいぜい15分か20分。それでもクールダウンし、さっぱりする。体と髪をシャワーで洗いおしまい。
 民謡「会津磐梯山」に「小原庄助」という人物が出てきて「朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした」と歌われる。非難すべき道楽者で、そうなってはいけないという戒めもあるが、同時にあっぱれな人物という憧れも含まれる気がする。「もっともだ、もっともだ」という囃子言葉に、否定しながら賛歌の気分が感じられるのだ。
 私の「昼寝」「水風呂」は、お金がかからないという点で「身上をつぶ」すほどではないが、働いていないのだから金銭的にはマイナスだ。まあ、誰に迷惑をかけるでもなし、それぐらいの楽しみは許されてほしい。


山口百恵の凄み
 私は山口百恵が住む国立市民ではないけれど、最寄り駅が「国立」で、よくうろつく街もここだ。しかし、まだ生の山口百恵を見たことがない。どこどこのスーパーで買い物をしていた等の目撃情報が人づてに入ってくるぐらい。現在の山口百恵の姿を捉えたスクープ写真は見たことがある。いるはずなのに目撃されない神秘性は、まるで原節子だ。
 相倉あいくら久人ひさと著・松村洋編著『相倉久人にきく昭和歌謡史』(アルテスパブリッシング)という本があって、ほとんど一気読みした。相倉と言えば、我々の世代では「ジャズ」評論家のイメージ。角川文庫から何冊か、相倉のジャズの本が出ていた。しかし、ここでは日本ポップスの歴史を、松村洋を相手に語りつくしている。各章が「〇〇を聴き直す」という見出しになっていて、順番に榎本健一、服部良一、戦時歌謡(2回)、美空ひばり、坂本九、ハナ肇とクレージーキャッツ、アイドル歌謡、ニューミュージックと続き、最後の1回が「平成の〈昭和歌謡〉を考える」というラインナップだ。
 相倉がいかに幅広く、体験的に日本のポップスを聴いてきたかがよくわかる。本書で初めて知ったが「日本レコード大賞」にも審査員として25年ほどかかわっていたという。それなら筋金入りだ。ここでは「アイドル歌謡を聴き直す」の山口百恵のみをクローズアップさせて同著から紹介しよう。おもしろい話の連続だ。
 相倉は山口百恵を高く評価している。その前提となるのが、「僕はこれまで三〇〇人か四〇〇人ぐらいインタビュー取材をして、その中で、ジャズ、ロック、フォークなんかを全部含めていちばん頭が切れたのが、山口百恵なんですよ」という発言。山口百恵が、「横須賀ストーリー」に始まる阿木耀子(作詞)・宇崎竜童(作曲)コンビによる一連の楽曲で成長、変身したことは自明だが、じつは「宇崎さんの歌を歌いたい」とディレクターに進言したのは百恵自身だった。相倉がインタビューすると、彼女は話の流れの途中に、必ず「でもね」以下を付け加えるという。阿木・宇崎コンビの話ではこう続いた。「でもね、阿木さんだって私が歌ったことでずいぶん変わったと思いますよ」。
 これを20歳ぐらいの女の子が言った点がすごい。醒めた目でちゃんと自分や周囲のことをわかっているのだ。相倉を含め4人のロック評論家が百恵と話をする企画で、うちの一人である鏡明が、ちょうど「普通の女の子に戻りたい」と宣言したキャンディーズ引退騒動の話題を百恵に振った。「どう思う?」と聞いて返ってきた答えが「あれは、つまんない話だと思う」だったので驚く。百恵曰く「私だって今こんなわけのわからない生活してますよ。でも、心の中では、普通の一九歳の女の子だと思っています」。普通の女の子という自覚があった上で山口百恵を演じている。「だから、あの人たちが、本当に心から普通の女の子に戻りたいって言うんだったら、さっさと辞めればいいでしょう」。この発言におじさん4人が「今の話を聞いただけできょう会いに来た甲斐があった」と感服する。
 さらに、辞めたあとはみんなに忘れられる。その覚悟を問い「寂しくなって芸能界へ戻ってくるようだったら、あの人たちの負けですよね」と言い放った。ご承知の通り、キャンディーズ3人組のうち、伊藤蘭と田中好子は女優として芸能界に復帰した。三浦友和と20歳で結婚を機に引退した彼女は三浦百恵となり、以後、いかなる形でも芸能界にふたたび顔をさらすことはなかった。
 山口百恵という存在に背筋が冷たくなるような凄みを感じる話であった。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。