【第104回】(最終回)


蹴鞠の名手、飛鳥井雅有という男
 榎原えはら雅治まさはる『中世の東海道をゆく 京から鎌倉へ、旅路の風景』(中公新書)を、まだ読み始めたばかりで、こうして取り上げるのはルール違反かもしれないが、気になる人物が出てきたので紹介しておく。
 同著は鎌倉時代の紀行文を元に、中世の東海道を使った旅について調査し書かれたものだ。江戸に入って五街道が整備されると、庶民も富士講や伊勢参りに代表される旅がさかんになる。しかし、鎌倉時代に長距離の旅をする者は限られていた。これは容易に想像がつく。ここでは1人の貴族が登場する。本書の書き出しは「弘安三年(一二八〇)十一月、ひとりの貴族が馬に乗り、わずかな随伴者とともに東海道を鎌倉へと向かっていた」。起点は京都である。この貴族が飛鳥あすか雅有まさあり。仁治2(1241)年の生まれ。細かな歴史的事項については端折る。ここで取り上げたいのは彼が「蹴鞠」の名手だった、という一点である。
 すべては『中世の東海道をゆく』に頼って書くのだが、飛鳥井家の祖となる正経まさつねは、雅有の祖父にあたる。「和歌と蹴鞠」に長け、藤原定家らとともに『新古今和歌集』の選者となり、また鎌倉で源実朝の歌と蹴鞠の師匠となった。飛鳥井家は武力ではなく、代々、歌と蹴鞠によって厚遇されたというのである。
 ここで気づいたのは、NHK大河ドラマである。前年の『鎌倉殿の13人』と、2023年『どうする家康』は400年近く時代の隔たりを持ちながら、両者ともに「蹴鞠」のシーンがあったのだ。専門家からすると、何を幼稚なことをととがめられそうだが、せっかくだから書いておく。『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の跡目を継ぎ、次代「鎌倉殿」となる頼家(金子大地)が臣下たちと蹴鞠に興じる。いつまでも偉大な父・頼朝の威光が消えぬことへの反発とも見える。
 この臣下の一人に蹴鞠の名手・北条時房(瀬戸康史)がいて、頼家のいい相手となる。時房は京へ上った時、蹴鞠によって後鳥羽上皇(尾上松也)に接近する。後鳥羽上皇もまた蹴鞠の名手として知られていた。
 最近見た回の『どうする家康』でも、今川の人質となった少年時代の家康(のち松本潤)が今川の嫡男・氏真うじざね(のち溝端淳平)のシーンで蹴鞠をする。家康が氏真を兄とも慕うようになるきっかけとなるのだ。
 だからどうなのだ、と言われると困るが、つまり日本史の中で、ずいぶん長く蹴鞠がすたれず伝承され続けたと知る。いや、「天理参考館」の「参考館セレクション」というサイトを中心に、ほか検索をかけてみると、大和朝廷時代にすでに宮中でこの遊びが行われていたという。日本の文化や文物の多くがそうであるように、蹴鞠も中国から伝わった。司馬遷『史記』にその記述があるとのこと。春秋戦国時代「せい」の首都「臨淄りんし」で蹴鞠が行われた。これは軍事訓練を兼ねた点で、フットボールの起源(中世イングランドで敵の首を切り落とし蹴りあうことで勝利を祝った)と通じる。ただの球技ではなかった。
 日本での文献の初出は『日本書紀』。法興寺で蹴鞠会が行われたという。勝敗を競うものではなく、右足で鞠を高く蹴り上げ、地面に落とさないというのがルールと言えばルール。鞠は鹿革を縫い合わせ、にかわでコーティングした。この貴族の遊びを鎌倉に伝えたのが、どうも先に挙げた飛鳥井雅有の父・雅経と難波宗長だったという。やっと最初につながってまいりました。面白いと思うのは、ここで蹴鞠がまず遊戯を兼ねたスポーツであり、社交の道具であり、また士官や出世に役立つ技術だったということ。江戸時代には庶民の間でも流行したという。
 宮中の貴族たちと蹴鞠の関係で思い当たるのは、これが彼らにとって数少ない運動になっただろう、ということ。箸より重いものを持たず、忙しく立ち働くこともなく、まして長距離を歩くことも少なかったのではないか。筋肉は使われず、腕や足は棒のように細かったはず。蹴鞠は貴重な筋肉を使う運動であった。婦女子が手鞠をしながら歌ったように、彼らは蹴鞠をしながら歌を歌っただろうか。

 先のワールドカップで一躍名を挙げた三苫みとま薫はドリブラーだが、リフティングだって上手なはず。「蹴鞠保存会」は現代でも宮中行事を伝承し、祝賀の際に蹴鞠を披露するとのことだ。一度、三苫選手に加わってほしいと思うが、どんなものでしょうか。



小津安二郎『秋刀魚の味』の経済学
1963年に死去した小津安二郎監督にとって最後の作品となったのが『秋刀魚の味』(1962年公開)。カラー作品だが、フィルムが退色して粗悪なプリントが流通していた。それが、デジタルマスタリング処理により美しい画面でよみがえったのである。「BS松竹東急」チェンネルで放送されたのを見たのだが、驚くほど画面が鮮明で奥行きを感じさせる。もう、すでに7~8回は視聴した作品だが、新しい気持ちで再び接し、細かい点についていくつか考えたことを、ここに書き留めておく。
 妻を早く失い、老境にさしかかった父親(笠智衆)とその娘(岩下志麻)を結婚させるまでのアイロニーとペーソスを含んだ作。『晩春』『麦秋』では原節子、『秋日和』では司葉子が娘に扮し、繰り返されてきた小津的テーマである。ほか、旧制中学時代からの旧友に中村伸郎と北竜二。彼らとの料亭「若松」(女将は高橋とよ)での悠々たるやりとり(下がかった話題を含む)も、小津映画おなじみの風景だ。
『秋刀魚の味』が1962年、昭和で言えば37年の作品であることを意識して以下書き進める。平山(笠智衆)は24歳の娘・路子(岩下志麻)と、大学生である和夫(三上真一郎)と一軒家に3人暮らし。家政婦を雇っているが、この時、休みをもらっていて画面には現れない。サラリーマンの長男・幸一(佐田啓二)と妻・秋子(岡田茉莉子)は団地に住む。佐田は20代後半ぐらいの設定だろうか。幸一と秋子は共働き。妻が遅い時は、夫が厨房に立ち、ハムと卵のオムレツを作るが、妻が帰宅すると途中で代わり寝転ぶ。
 夫婦の目前の望みは電気冷蔵庫を買うこと。その資金として、会社重役である父の元へ5万円を借りに行く。父はあっさり「いいよ」と返事をする。1962年当時、公務員初任給は1万5700円、コーヒーが60円、週刊誌が40円、コロッケが10円である。現在の物価換算でおよそ10~12倍ぐらいになっていると見積もった。10倍としても父親からの借金は50万円である。団地住まいで共働き、まだ子どもはいない。父に聞かれ、作らないようにしていると答えているのも経済的事情であろう。
 同じフロアの知り合いに秋子がビールを借りにいくシーンがある。その際、知り合いの家に電気掃除機が置いてあるのをうらやましそうに見る。当然ながらテレビもない。1962年の20代夫婦の生活に、まだ電化製品は高嶺の花であった。なにしろ、2人が欲しがっている電気冷蔵庫も、1962年には95リットルサイズで5万7000円もした。先の物価換算で現在なら60万円近い。現在、60万円だせば、400リットルサイズの大型が2台は買えるはず。しかも、この若夫婦もあと1年待てば、ほぼ同額でフリーザー付きが買えた。彼らが買おうとした電気冷蔵庫にまだ冷凍室は付いていなかった。ただ冷やすだけ。
それにしても60万近い金額は痛い。月賦で返すにしても、父親からの借金もあり、佐田啓二と岡田茉莉子の美しい夫婦に同情してしまう。彼らは外食もせず、観劇やスポーツ観戦ほか、娯楽らしいものも享受していない。夫の佐田がゴルフをするのが唯一の散財か。このゴルフ熱が、マクレガーの中古ゴルフセットをめぐり、夫婦に波紋を投げかけることにもなる。
 映画の冒頭近く、旧制中学の仲間が集まって同窓会をするシーンがある。そこへ、漢文を教えていた「ひょうたん」というあだ名の教師(東野英治郎)が招かれ、いじきたなく酒を飲み泥酔する。笠は恩師を家まで車で送り届けるのだが、そこは工場地帯の場末の小さなラーメン店であった。迎えるのは婚期が遅れ、老父と店をきりもりする娘(杉村春子)だ。あまりにわびしい暮らしに、同窓会仲間が2000円ずつカンパして、2万円にして恩師の元へ後日届ける。同じく、現代に換算したら約20万円になるからちょっとした額だ。
 なぜ、こんなことをくどくどと書くかと言えば、たとえば平成生まれの若者が『秋刀魚の味』および小津作品を見て、こういう物価の差異や結婚観の認識がずれてしまうと思ったからである。夫婦で共働きなら、冷蔵庫ぐらい悩まなくても買えばいいじゃん、となるのでは。24歳で女性が少し結婚に焦る(当人より親や周囲が)というのもそうだ。しかし、逆にこうした社会的背景や風俗が、古い映画に接することで伝わってくる。少なくとも私は、そう意識しながら映画を見るのだ。

ごあいさつ
 足掛け5年、隔週で書かせてもらった本連載『オカタケな日々』も今回で終了。また、新たな形での連載開始を始める予定です。長らく、ご愛読くださり、読者の方々には感謝申し上げます。また、新しい顔でお目にかかります。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
≪『オカタケな日々』終了のお知らせ≫
突然ですが、長く皆様に愛されてきました『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』は今回を以て終了となります。
次回からはオカタケさんの新たなる世界が始まります。
これまで同様、またはこれまで以上にご愛読いただけましたら幸いです。
乞うご期待!!!

(春陽堂書店編集部)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。