【第102回】


拝島へ、廃線跡を歩く
『西武沿線 行楽・散策ガイド』(実業之日本社)は1979年に出版されたガイドブック(以下『西武沿線』)。よく言うことだが、10年前のガイドブックは情報が古くなって役に立たないが、50年を経ると、今度は、がぜん面白くなってくる。今は失われた、昔の街の姿が映し出されているからだ。本書もここ4~5年のうちに、古本市で入手した。
 パラパラとページをめくり、目が止まり、付箋を貼ったのは「野方」「田無」「多福寺と多聞院」「川越」「薬用植物園と玉川上水」「小手指ガ原」、そして「拝島はいじま」だった。東京およびその周辺のガイドブックが好きで、相当量を所持しているが、「拝島」を紹介した例はほとんどない。特に観光の目玉もなく、わざわざ散策に訪れるような街ではなかったからだ。
 ああ、そうか。「拝島」と言って分からない人のために説明すると、東京西郊の昭島市にあり、すぐ北側はもう福生ふっさ市だ。米軍横田基地の第6ゲートは、歩いていける距離。最近になって「拝島」が紹介されるとしたら、住所は福生市だが、拝島駅から西へ1キロ強離れたところに「石川酒造」という酒造所があって、レストランや販売所を設置し人気を集めている。
 米軍基地が近いことから最寄り駅として利用されることもあり、日本映画『日本列島』では宇野重吉と芦川いづみが、旧木造駅の見える喫茶店で会うシーンがある。私は過去に、石川酒造を尋ねて拝島を歩いている。途中、理髪店の店先で古本を売っているのを発見し興奮したが、あれからもう10年以上が経っているだろう。
 今回再訪する気になったのは、『西武沿線』の「拝島」の紹介ページに「拝島は奥多摩や五日市方面へ出かけるときの通過駅、乗りかえ駅に過ぎないと思っている人が多い。しかし、1度おりてみれば、『おや、こんなところに……』と思うような、意外な発見があるところである」というリードの挑発に乗ったからである。愛用、酷使する『でっか字まっぷ 東京多摩』(昭文社)の「拝島」ページで確認すると、駅から「拝島のフジ」と呼ばれる巨木のある「本覚院(拝島大師)」へと南下する道が「拝島停車場通り」とあり、その一本東側を並行して「五鉄通り」という表示があった。「停車場」に「鉄」でピンと来て、検索すると、やっぱりそうだ。かつて「五日市鉄道」という鉄道が走っていたルートだと分かる。「五鉄通り」はその廃線跡だったのだ。
 もうこの時点で、なんとなくそわそわし始めて腰は浮きかけている。そして天気予報をにらみ、2月中旬の某日、最寄り駅となる中央線「国立」駅から、青梅への直通運転(乗り換えなし)となる便を選んで「拝島」まで出かけてきた。

五日市鉄道廃線跡

 現在、拝島駅は5代目となる橋上駅舎。JRの改札も橋上。以前はホームから跨線橋を上り下りして、南北に地上改札があった。NHKドラマ『照柿てるがき』(髙村薫原作)は1995年の制作だが、再放送されたのを見たら旧拝島駅が登場する。八王子署の合田刑事(三浦友和)が同僚と青梅線に乗り込み(クーラーはなく扇風機)、拝島で事件に遭遇する。ホームでもみ合った男女のうち、女性が線路に転落し轢死する。合田の乗った電車は拝島でストップ。ホームに降り立った合田が跨線橋を登ろうとする。これが地方ローカル線に見られるような古い跨線橋。エスカレーターもない。この旧拝島駅を私は知っている。
 まだ真新しい拝島駅を南口へ出ると、駅前がすっかり再開発で様変わりしていた。江戸街道を少し南へ歩き、五鉄通りを見つける。かつてこの通りに線路が敷かれ、五日市鉄道が走っていた。「五鉄」は立川から拝島を経て五日市、岩井と連絡していた。岩井には浅野セメントの工場があり、セメント需要による石灰石の運搬のために開通したとのこと。細かく言えば、最初は五日市と拝島停留所まで。立川と拝島が通じたのは1930年だが、正確なところをお知りになりたかったら、各種サイトをご覧ください。ここはそういうものがあったのか、という理解に留めたい。
 やや緩やかに蛇行しながら、坂を下るかたちの五鉄通りは、現在、郊外の一戸建て住宅の供給地となり、いまなお建設中である。新しく移り住んだ人は、まさか目の前の道路をかつて鉄道が通っていたとは想像もしないだろう。大型トラックが疾走する新青梅街道を渡ると、そこは静かな昔ながらの住宅地。さらにもう少し進めば多摩川である。
 神明通りと名付けられた通りの周辺一帯が寺町で、目指す本覚院(拝島大師)始め、普明寺、龍津寺が集まり、通りの名の元となった拝島神明神社がある。小さい社だが、掃除が行き届き清らかだ。鳥居をくぐってすぐ脇に「石臼塚」。かつて農家の必需品だった石臼が、時代の変化で使われなくなり、役目を果たしたのをこうして積み上げ、塚として祀っている(写真)。本覚院に隣接する拝島公園に内の大日堂は天慶6(952)年の創建で、滝山城主北条氏照の家臣が再建した、と『西武沿線』にあった。仁王門脇に『でっか字まっぷ 東京多摩』にも赤字でわざわざ記す「拝島のフジ」があった。歴史好きなら食いつくところだが、私はいたって淡泊。路地を抜けてたどりついた本覚院は勇壮かつ立派な伽藍で、境内の広さにも驚かされた。正月2・3日のだるま市が開かれる時期はにぎわうであろう古刹も、私が訪れた2月はひっそりしていた。鳥の声のみする。
 境内は撮影禁止、とあったので写真はない。ベンチに腰かけてしばらく息を整えていると、スマホに着信。懇意にしている知人編集者からの仕事の依頼でしばらく話す。ベンチから立ち上がり、今度はまた別の編集者から着信。これは仕事ではなかったが、愚痴のようなものを長々と聞かされる。1カ月に1度も着信がないほどの低級ユーザーとしては珍しいことであった。そのまま駅まで、ぶらぶらと歩く。バスが見つかればと思ったが、捕まえることができなかった。歩数は8000歩強。近場の未知の土地を訪れ、いい散歩になった。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
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クイズの答えは…「実は101回」。連載の記念すべき第1回には、「その1」と「その2」がありました。今となっては懐かしい、初回からボリューム満載による2分割でした。
(春陽堂書店編集部)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。