【第90回】


勝浦は果たして本当に涼しいかを検証する
 今年2022年夏は、猛暑日が連続し、記録的な暑さとニュースが伝え、じじつ暑かったのでした。そんななか、唯一涼しい顔をしていたのが千葉県の勝浦市民。インタビューに答えて「30℃を超すって記憶にない」「クーラーいらず」「夜、窓を開けて寝ると寒いぐらい」と、言いたい放題。一字違いのぶどう郷で知られる山梨県「勝」が40℃超えの猛暑で苦しむ顔と対照的であった。なぜ、そんなに勝浦だけが涼しいのか。海からの風が吹きつけるため、とかなんとか言っていたが納得いかない。下手をすると北海道の夏より涼しいのだ。
 そこで、本当に勝浦は涼しいのか、体験してくることにした。……そうです。ヒマなのです。
 オミクロン陽性で10日間、夏のロスができて、「青春18」がまだ4回分も残っている。旅のお供の散歩堂さんを誘って2回分使い(そういう使い方ができるのだ)、房総の「勝浦」へ。
 東京駅へ出て、地下深くホームのある総武線から快速で上総一ノ宮駅へ。そこで外房線に乗り換え勝浦へ。片道3時間かけての日帰り旅となった。結論は、駅前に出るといきなり日差しが強く、じゅうぶん暑い。なにが「クーラーいらず」だ。これはだまされたな、と思ったくらい。ただし、日陰に入ると体感で5度は下がる。夜になると「窓を開けて寝たら寒いくらい」というのは本当かもしれないと、“勝浦涼しい説”を擁護しておく。
 勝浦の一つ手前の駅が「御宿おんじゅく」。平岩弓枝『御宿かわせみ』で有名に。ここは海岸に向けてマンションの立ち並ぶリゾート地になっていた。そこからわずか一つ離れているだけだが、途中、何度もトンネルを抜け、別天地へ運ばれた感強し。駅前ロータリーにはコンビニが一軒あるぐらいで、立ち食いソバ、牛丼チェーン店、チェーンカフェの類はまったくない。
 とりあえず少し離れた観光案内所へ行くが無人であった。市街地のガイドマップのみもらう。駅に隣接した「駐輪所」は、自転車はほんの数台で、あとはズラリとバイク(原付を含む)が占めている。その数はこれまで見たことがないほど多い。つまり、市街地は平たんだが、住居は目の前にそびえる丘の上にあるのだろう。あるいは岬を回った側にあり、かなり離れている。とにかく、大量のバイクの放列に圧倒される。漁港を中心とした狭い市街地のほか、ぐるり周りを山で囲まれ、住宅地はその上。それでバイクが必要なんだと気づく。

トンネルの中はひんやり
 漁港近くに海鮮丼の人気店があることはリサーチ済みで、とりあえず海を目指す。目指す店は行列ができているのですぐ分かった。店名は「勝喰かっくらい」。「30分待ち」と店頭に表示がある。7~8名の後に続いて並んだが、これは予約を取るための行列で、用紙に携帯の電話番号などを書き込み、順番が来ると連絡があるシステム。予約を取るための行列というのは初体験だった。私は待つのが嫌いで、「駅前でラーメンでも食べて帰ろうか」と提案したが、苦労人の散歩堂さんは「いやいや、せっかく来たんですから、待ってここで食べましょう。すぐ時間が来ますって」と返してきた。いやもっともだ、もっともだ。ひとりなら回避していただろう。連れがあるのはやはりいいことだ。
 店から連絡があるまで散歩堂さんと漁港に沿って散歩する。釣り船もたくさん停泊し、静かな波に洗われている。いや、本当に静かだ。すぐ目の前に山が迫っていて、Y字に分岐した道の両方にトンネルがある。海に近い側の入り口頭上に「虫浦隧道むしうらずいどう」の表示が。トラック1台ぎりぎりの狭さで薄暗く、中に入るとひんやりしている。その昔、漁港を結ぶ軽便鉄道でも通っていたのかと思ったが、検索した散歩堂さんによればそんなことはないようだ。トンネルを抜けて、向こう側はさらにひっそりとしている。海はすぐ近くだが、建物などに遮られ見えない。しかしこれは貴重な体験になった。

 そんなわけで思いがけず涼を得て、そろそろ「勝喰」に戻って「かっ食らおう」。戻る途中にうまく店から連絡があり、手慣れた店員の案内で4人掛け席を独占して座る。2階席もあるようだ。コロナ禍のせいか、人気店なのに、客をギチギチ詰め込んだりはしない。ゆったり座る。頼んだ一番人気の「海鮮丼」1800円はさすがのボリューム。刺身は別皿で出る。味噌汁、ごはんに小鉢もいくつか。最初からごはんに刺身が乗っているのはよく見るが、ここは自分で調整するものらしい。刺身を醤油に漬けて、数切れをごはんに乗せ「かっ食らう」。う、うまい! 漁港で食べるというのがまた格別。しかし、コロナで弱った胃にこの量はきつく、半分を過ぎると苦行に。腹ペコさんには、これはお値打ちです。
 駅までの帰り、行きとは違ったメインストリートを抜けていく。途中、瓦屋根をお城の天守閣のごとく頂いた立派な家屋をいくつも見る。船主の家であろうか。かつての繁栄を偲ばせる。どこかでコーヒーと思ったが、見つけた喫茶店は外で立っていると中から人が出てきて「もう閉めました」と言われてしまった。駅前のコンビニでアイス(ガリガリ君梨)を買い、駅舎の待合室で食べる。いや、これはうまかった。

男たちの旅路の果ての酒どころ
 某日夕方、隣の市に住む(家は自転車で10分ぐらい)画家の牧野伊三夫さんに呼び出され、小平市小川西町「百薬の長」で飲む。私は初めて。「小川」(西武国分寺線)駅西口を出て少し歩くが、戦後の匂いを再現するため映画美術班がセットで建てたような店だった。両側から入口があり、「コ」の字のカウンターが奥でつながる。手前に焼き場。すべて店主一人がきりもりする。16時開店で20時には閉めてしまう。黒ずんだ張り紙に「焼酎は3杯まで」なんて書かれていて、ドラマ『深夜食堂』を思い出す。
 客は老齢の男性ばかり。みな常連らしく主人を気づかいながらの注文にも慣れている。ビール大瓶470円、串焼き80円、煮込み半丁(みなそうして頼む)130円、冷奴120円と、いったい時代はいつなんだという激安である。焼酎220円はコップで出され、別のコップに割材で調整するスタイル。慣れていないとまごつくかも。串焼きは具材が大ぶりでどれもうまかった。氷はないらしく、コンビニで買って持ち込む客もいた。長居はしない。さっと飲んで、さっと帰る。おそらくほとんどの客が1000円以内で済むはず。
 壁には、いつのものだろうか、大きな世界地図が貼ってあった。貼ってある側のカウンター席からは背後になって見られず、反対側(われわれの座る)の席からは遠すぎる。まあ、いちいちちゃんと見る人もいないのだろうが、ウクライナの位置が気になったりする。目の前の頭上にはテレビが設置してあって、ずっと夕方のニュースが流れていた。ひとり客も多く、テレビ相手に酒を飲むというのもいいものだ。サービスはことさらしないことのサービスを感じとれる人にとってはいい店だ。ファストフード店の過剰なサービスに慣れた人はどう思うだろうか。
 なにもかも黒ずんだような世界で、長い人生の労苦をくぐりぬけ、男たちの旅路の果てにひっそり営業する店なんだと思えた。いや、じつにいい店です。牧野さんとも、昨夜飲んだばかりで、あらためて喋ることもない。奥のガラス戸の向こう、ぼんやり灯りが点っている。牧野さん曰く、ブリヂストン(小川町はその企業城下町)が景気いいころ、新潟の方から出稼ぎにきた客たちがここで飲んで、故郷を偲ぶ祠のようなものを作りたいと申し出て出来たそうだ。灯りはその祠のものだった。さらにその奥から壁越しに西武線の電車の音が響いている。まさにドラマ『男たちの旅路』ではないか。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。