【第91回】


老人ごっこ
 小津安二郎の映画が気持ちよくて、あんまり見過ぎたものだから、ふだんでも映画の中のセリフが出てくる。「今日も暑うなるぞ」(『東京物語』)、「いまが一番いい時かもしれないよ」(『麦秋』)、「なんだか、しんみりしちゃったじゃないか」(『早春』)、「魚偏に豊で『鱧』」「いや、愉快!」(『秋刀魚の味』)などなど。「そうかな」「そうだよ」「そうかな、そうかもしれないな」なんて同語反復はどの映画ということはない、小津の定番である。
 小津映画の出演者のセリフをなぞって、作品のように一瞬だけ生きる。これがいい気分なのだ。お近くにお住まいの画家、牧野伊三夫さんもヘヴィな小津学派で、酔うと2人で、しょっちゅうそんなことをやって喜んでいる。
 同様にいつからか(おそらく60代に入ったあたり)、妙に老人くさい会話をわざとするようになった。席を立つとき「どっこいしょ」、前向きな流れになった時「もう、お迎えが近いからな」、「目がかすむ、耳が遠い」なんてのもそう。老人という着ぐるみをかぶり過熱を防ぐ。つまり「老人ごっこ」。65歳になったら、「ごっこ」ではなく、本物なのだが……。
 近視と老眼。私は両方の眼鏡を持っているが、これがしょっちゅうどこかへ消える。老眼鏡はしばらく見当たらない。そうすると、近い文字がぼやけて見えない。近視眼鏡をはずして本を読んだり、パソコンに向かう。ベッド、ソファ、デスクと移動するために、ちゃんと身に着けて運べばいいが、置き場所が変わったり、無造作に置くため行方がわからなくなる。ひょっとしてリビングかも……なんてこともある。
 私は地下の書庫で生活しているため、1階リビングへは階段を上がることになるが、たまたまそこに娘がいたら、必ずこう言うのだ。
「幸子はん、わての眼鏡が見当たりませんのやけどな。どこへいったやろ」
 すると娘は必ずこう返す。
「おじいさん、また頭の上につけてますがな」
 どういうやりとりか、分かりにくいかもしれないが、娘がもっと小さい頃から仕込んだルーティンの会話なのである。ちなみに娘の名は「幸子」ではない。設定としてはこういうことだ。私は大阪の船場の老舗商店の引退した80代の大旦那さん(たとえば亀屋庄兵衛)。代を譲った息子夫婦と同居で、息子の嫁がすなわち「幸子さん」である。息子は店に出ていて、自然、日常のやりとりを幸子さんとすることになる。
 ずいぶん手の込んだ、まわりくどいことをするではないかと言われるかもしれないが、これもやはり「老人ごっこ」で、妙に気が休まる。娘はもう何十回も相手をさせられているので、面倒くさそうに「おじいさん、また頭の上につけてますがな」と返してくれる。つい最近もやってみたが、ちゃんと返事があった。これがなくなったら、われわれ親娘の断絶であろう。
 それが何の意味があるのか。ただ「楽だ」としか言いようがない。ご老体でフルマラソンに挑戦し、「まだまだ若い者には負けません」と鼻息荒い人を実際に、またはテレビで見たりするが、私は敬遠する。大声では言えないが「みっともない」とも思う。むしろ自分の年齢より、20歳ぐらい引き上げて身を処すると肩の力が抜け、いろんなことの諦めがつく。「もう年齢としだからな」と言って、「いや、まだまだそんな」と笑われる時に、先取りして「老人」ぶる。本当に、もっと老いた時の予行練習のような気がしてきた。


オムライス、お好み焼きを作る
 オムライスが時々食べたくなる。自分で作ってもそこそこ合格点のつけられるメニューで、そもそもシンプルな料理なのだ。準備も簡単。卵を2つボウルで溶き、塩コショウしておく。具材は玉ねぎ、ピーマンのみじん切り、あとは鶏肉があれば越したことはないが、ハムでもウィンナーでもなんでもいい。これらをバターで炒め、冷凍したご飯をレンジで解凍したのを投入、さらにベチャッとならないよう、よく火を通す。ここでも塩コショウ。そしてケチャップ。ウスターソースを大さじ1杯くらい入れてもいい。
 私の場合は、これら炒めた具材とごはんを一旦皿に取り出す。次に卵だ。プロは火を通し過ぎない、半熟ぐらいで火を止めて、ケチャップご飯を投入しひっくり返す。それは見事なものだ。出来上がりも美しい。しかし、私は見た目にあまりこだわらない。薄焼き卵を作る要領で火を通し、へらで縁を少しずつはがし、ケチャップご飯の上にかぶせる。じつはうまくいかないことがよくある。破れてしまったり、片側に多く卵が寄ってしまったり。そんな場合でも落胆せず、スプーンやへらで修正する。みごとな出来栄えとはいかないが、ここにケチャップをかけてしまえば、あとはスプーンで崩して食べるだけだからまったく気にならない。うまい、うまいと自画自賛しながら食べれば、なんでも名料理になってしまうのだ。

 お好み焼きもよくつくる。これも簡単。オムライス以上に作り方はシンプルでほとんど失敗がない。山芋と出汁を粉末にして混ぜた、お好み焼き専用の粉が売っていて、迷いなくこれを使う。一人分なら50グラムか。粉を入れたボウルに溶いた卵1個と水を適量入れる。ここでは混ぜ過ぎないのがかんじん。多少、粉が残っていてもいい。なぜなら、さらにキャベツ、ネギを投入するからだ。ここで混ぜる工程が控えているので、最初は混ぜ過ぎないようにする。グルテンがどうとか、理屈としてはそういうことだ。
 なるべく空気をふくませるよう、ざっくりと混ぜることも大事。天かす、竹輪、紅ショウガなどは最後に入れてこれも軽く混ぜる。
 本当は店のように厚い鉄板でじっくり焼くのがベスト。家族で食べる時はホットプレートを使うが、私のほかはそれほどお好み焼きに執着心がなく、昼に一人で作ることの方が多い。だからフライパンを使う。十分に熱して油を引いたら、すぐ練った粉を投入するのではなく、火を弱火まで落としてしばらく待つ。熱いまま焼いてしまうと、表面だけ焦げて、中まで火が通らないからだ。ここは弱火である。豚肉のバラ薄切りを並べて乗せていく。
 このあとに蓋をする。全体に熱が回るからだ。4~5分もたてば、縁の色が変わり、油のはねる音が小さく、高くなる。この音がひっくり返す見極め時を知らせる。目より耳だ。ここ、と決めてひっくり返す。一度火が回っているので裏は3~4分でいいだろう。
 お好み焼きソースは「オタフク」が一番うまいと思う。マヨネーズに少しケチャップをまぜるのが私のやり方だ。鰹節の粉、青のりも冷蔵庫に常備してある。これまで失敗したことなどほとんどない。どう作ってもお好み焼きはお好み焼きだ。肉がない時は、キャベツと粉と卵だけでもいい。それでも十分においしい。前にテレビで、一般の人が、もやしを刻んで入れているのを見た。それもありだなあ、と感心した。やきそばの麺を混ぜるのももちろんありです。

 ここからは小声になりますが、じつは冷凍で売られているお好み焼きもけっこういけますよ。ソースや青のり、鰹節粉、マヨネーズまで小袋入りでついていて重宝する。私はレンジでチンした後、1分ぐらいフライパンで焼く。いちだんとおいしくなるのは言うまでもない。しかも300円以下と安い。
 ふだんはパソコンとにらめっこして、言葉と格闘するという地味な作業をしているので、具材を刻んでいためたり、調味料を入れることで体を動かすのが、気分転換になるのだ。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。