【第92回】


「落ち着いたら普通の人間や」
 大阪で言う「いらち(せっかち)」で「粗忽」で「慌て者」、と来れば立派な落語世界の住人だが、じつは私はそうなのだ。それでよく失敗をする。ここで失敗談を披歴しようとは思わないが、日常でこまごましたことが重なったり、慣れていない事態に直面するとバタバタと慌て、一瞬我を失う。
 そんな時、呪文のように我が胸に唱える(周りに人がいなければはっきり口に出す)のが、「落ち着いたら普通の人間や」だ。これには出典がある。
 上方落語に「いらちの愛宕あたご詣り」がある。私はいま、故・桂枝雀の口演を頭に思い浮かべていて、いささか度を越した「いらち」の男が、しっかり者の奥さんに送り出され、ご利益を期待して愛宕山へ参詣をするという話。「いささか度を越した」というのはまだ手心を加えた表現で、こういう人が本当にいたら「危ない」の域に達している。
 たとえば、参詣の朝、目覚めてから支度をするのだが、箪笥の引き出しを開けて顔を洗おうとしたり、竹ぼうきを爪楊枝と間違えたり、顔を拭くのに雑巾を手にして怒られ、猫を手拭代わりにして引っかかれるというありさまである。ここはスピーディにテンポよくやらないと、客に「そんな奴、ほんまにおるか?」という疑いをもたれることになる。チャップリンが早回しでドタバタするように、一気に通り抜けねばならぬ難所だ。もちろん、笑いを大いに取れる段でもある。
 その後も、愛宕山へ行くまでに「いらち」を存分に発揮した珍道中が繰り広げられる。あまりの失敗続きに、主人公は思わず我に返りこうつぶやくのだ。
「死んだおばん(母親)もよう言うとった。お前ももうちょっと落ち着きさえすりゃ、普通の人間や」
 しかしこの反省も効き目はなく、賽銭箱に財布ごと投げ込んだり、弁当を食べようと首にくくった包みをほどくと、風呂敷ではなく妻の腰巻で、弁当箱ではなくて枕だった……と隙間なく失敗ギャグが畳み込まれていく。
 私はここを「落ち着いたら普通の人間や」と短くアレンジして使っているのだ。この4、5年とみに乱用しているような気がする。そう自分に言い聞かせることで、少し間を取って、平常心を取り戻すのだ。これは効き目がありますぞ。
「いらちの愛宕詣り」は江戸落語では「堀之内」。同様の慌て者の男が、神信心でこれを直そうと現在も杉並区堀の内に実在する「妙法寺」(通称「堀之内のお祖師そっさま」)へ詣る。場所が変わっただけで基本的構造やストーリーはほぼ同じだ。先日、テレビの寄席番組に芸協のもはや中堅、昔昔亭せきせきていA太郎が「堀之内」を高座にかけていた。鼻っ柱が強くて明るい芸風がこの噺に合っている。ラスト近く、賽銭箱に財布ごと投げ込む場面で、財布に見立てた手拭をひょいと、本当に客席に投げてしまった。何かそういうことをやる男である。
 手拭は客の手から高座のA太郎に返ってきたが、「いいです、あげますよ」と客にプレゼントしていた。ちょっと見たこのない趣向で印象に残った。

モノレールに乗って
「赤旗」連載の「オカタケの文学館へ行こう!」の取材のために鎌倉文学館へ出かけてきた。没後35年の「澁澤龍彦 高丘親王航海記」(2022年10月2日から12月23日まで)が開催中。お供は本稿でもおなじみ「散歩堂」さん。
 鎌倉文学館の最寄り駅は江ノ電「由比ヶ浜」だが、その前に「北鎌倉」へ。赤瀬川あかせがわ原平げんぺいの墓がここにあると知り、写真を撮る必要があって立ち寄ることにした。赤瀬川原平の墓は盟友・藤森照信による設計。石を積み上げた半円形の上に苔と盆栽が乗っている。非常にユニークな墓だ。兄で直木賞作家の赤瀬川隼も一緒に眠っている。
 鎌倉駅まではバスで戻り、江ノ電に乗り換えて由比ヶ浜下車。散歩堂さんは「江ノ電は何度も乗ってるけど、由比ヶ浜で降りたのは初めてですねえ」なんて言っている。私も田村隆一展の際に鎌倉文学館を訪れて以来だから、ずいぶんのごぶさただ。文学館については「赤旗」に書くから省略。北鎌倉でもけっこう歩いて、文学館も低い山の中腹にある感じだったから、運動不足の足と体がそろそろ限界に達しつつある。ポンコツめ、しっかりしろ!
 まだ夕暮れまでに時間があった。江ノ電で藤沢へ出て、古本屋を覗いて帰ろうと最初は考えていたが、観光案内所でもらった地図をにらみつつ「そうだ、江ノ島から湘南モノレールに乗ってみよう」とひらめいた。私は乗ったことがない。散歩堂さんも以下同文。新しい体験に、ちょっと元気が出てきた。年寄りを元気にするのは大変ですよ、ほんと。
 凪いで鉛色した相模湾を左手に見つつ、そろそろ江ノ島も見えてきた。「腰越」でキュルキュル音を立てて車体がカーブすると、黒澤明『天国と地獄』を思い出す。犯人の電話で聞こえる背後の音として、現場が特定できたのだ。江ノ電「江ノ島」と、モノレール駅の「湘南江の島」は至近の距離。ビルの5階に改札とホームがある。
 湘南モノレールは1970年に大船と西鎌倉間が開通、翌年全線開通となった。レールの下にぶら下がる「懸垂式」が珍しい。湘南江ノ島から大船までは14分で運賃は320円。乗って驚いたのが、羽田空港に向かう東京モノレールのイメージとはまるで違うこと。あちらはわりあいフラットじゃないですか。ところが「湘モノ」は山あり谷あり、カーブあり、トンネルありとじつにスリリングな行程で客を運ぶ。非常に遅いジェット・コースターに乗っている気分だった。普段遣いにしている人は平然としていたが、初体験の私は、声には出さねど、「うわあ」「うぐぐぐ」「きゃあ」という興奮ぶりであった。
 車内はけっこう混んでいて、途中から立つ人もいたぐらいだから沿線の足として活用されているのがわかる。遊園地のアトラクションに乗る気分で、未体験の方はぜひご乗車ください。勢いづいて、大船駅で「鳩サブレ」をお土産に買いました。湘南モノレール最高!

映画『大いなる驀進』
 いま「ばくしん」とパソコンに打ち込んだら「幕臣」がトップで「爆心」が次だった。ちゃんと「驀進」と変換されたのは上から3つ目。まあ、どうでもいいことですが。今年は新橋~横浜間に鉄道が開通して150周年。さまざまなイベントが開かれ、テレビでもNHKが連日のように鉄道番組を放送している。鉄道好きの私としてはうれしいことですが、そうでもない(移動の手段)と考えている人はどうか。CSの「日本映画専門チャンネル」でも鉄道ものをさかんに流している。そのうちの一つ、これまで未視聴だった映画『大いなる驀進』が見られたのはありがたい。関川秀雄監督、新藤兼人脚本によるカラー映画。1960年公開。
 東京を出発し長崎まで走る夜間寝台特急「さくら」が舞台。SL「C61」です。ほとんど車内と駅で話が進む。主演は車掌(責任者)の三國連太郎。そして肩書は給仕の乗務員・中村賀津雄とその恋人の佐久間良子だ。中村は経済状態が理由で佐久間との結婚が遅れ、今度の乗車で薄給の鉄道員を辞める決心をしている。辞めてほしくない佐久間が説得のため「さくら」に飛び乗る。この恋模様の行方が物語を引っ張るが、主眼となるのは鉄道員の誇りを賭けた奮闘努力にある。国鉄が撮影に全面協力したのも分かる。
 しかし、恋人を乗せた寝台特急が東京から長崎まで走るだけでは映画にならない。この便に乗る客がじつにややこしい連中ばかりなのだ。「ややこしい」という表現に語弊があるなら「ドラマを抱えた」と言い直そう。なにしろスリ(花沢徳衛)がいる、殺人者が男を狙っている、母が危篤の報を聞き故郷・長崎へ帰る娘がいる、患者3人分の血清を運ぶ女医(久保菜穂子)、長崎で講演会を開く威張りくさった代議士(上田吉二郎)、車内で自殺をする老人と、トラブルを満載した汽車なのだ。おまけに台風直撃による崖崩れでストップと御難がこれでもかと「さくら」と三國や中村を襲う。
 私が印象に残ったのは数点。佐久間良子が日本画から抜け出したような美しさであること。あとは例によって細かいことだ。中村が白い制服の腕につける腕章には「給仕」と「BOY」と書かれている。たぶん「車掌」になるには試験があって給料格差もあるはず。
 入場券で飛び乗った佐久間が長崎までに要する運賃は特急料金を含む2970円。代議士が秘書と食堂車で使ったのは985円(「釣りはいらないよ」)、車内から打つ電報が120円だった。店のお嬢さんと駆け落ちした使用人が持ち出したのが50万円。これが高いのか安いのか。
 1960年の物価は、大卒初任給が1万800円、ラーメン50円、コーヒー60円、かけそば35円である。現在はざっと10倍か。そう考えると電報の120円は高いなあ。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。