【第93回】


「PayPay」初挑戦
 たまには日録を。10月後半の日々のことを書く。
10月23日は自転車で1時間近くかけて秋津図書館(東村山市)へ。現在執筆中(2023年春ちくま文庫入りする『ここが私の東京』の増補書下ろし章)の草野心平は最後、秋津の住人だった。それで地元の図書館にコーナーが作られている。草野心平全集と日記(刊行されている)を中心に、各著作、展覧会図録などが揃う。草野家遺族からの寄贈らしく、単行本の多くは署名入り。草野について調べるため3度目の訪問となるが、これを最後にしたい。時間をかけてノートに必要なところを筆写するつもり。
 午前中に家を出て、どこかで昼飯を食べよう。そう考えていた。30分ほど走り、どこかでペットボトルのお茶をコンビニで買おうと考えた時、財布を家に忘れてきたと気づく。しまった。もういまさら引き返せない。お茶と昼飯抜きにするしかないか。
 その時、スマホに「PayPay」のアプリが入っていることを思い出す。8000ポイントぐらいは入っているはず。しかし私はこの手のことは赤ん坊同然で、まったく対応できない。娘に一度、使い方を教わっていた。しかし、それが自分でできうるものかどうか。
 とにかくコンビニに入り、ペットボトルのお茶を買い、「PayPay」のアプリを立ち上げ、レジの店員に「初めて使うんだけど」と申し出てスマホの画面を見せると、「あ、大丈夫ですよ」と、表示されたバーコードを読み取り、レジ脇のタッチパネルの「OK」を「押して下さい」と言われ、ぶじ完了。
 私は交通機関の「Suica」以外はすべて現金主義で、お金で支払う。よってこれが初体験。意外に簡単なのね。調子に乗って昼飯もこれで済ませた。だからといって、いちいち「PayPay」が使えるか、店で聞くのも業腹ごうはらなので、現金主義には変わりがない。しかし、やればできるじゃないかと、階段を1段上ったような気持ちになったのでした。
 若い人に言えば、「嘘でしょう、なにそれ! 古代人?」と呆れられるだろうな。

ひさびさの居酒屋名店「大黒屋」へ
 10月24日夕、武蔵小金井「大黒屋」で飲む。2023年1月にちくま文庫から出る『ここが私の東京』の担当者Kくんと、雑誌連載時の挿絵と単行本の装幀を担当してくれた画家の牧野伊三夫さんを引き合わせるための飲み会である。ほか、牧野邸宴会の常連である、あかね書房の編集者Eさんも参加。
 牧野さんとKくんは銭湯に入ってきたという。これはお近づきのための牧野さんの流儀。私も2度だけつきあった。しかし、私は風呂ぐらい自分勝手に自由に入りたいという気持ちが強く、以後は断っている。牧野さんは「岡崎さんにも一緒に入ってほしいなあ、残念だなあ」と今でも言う。
「大黒屋」(小金井市本町5丁目17-20)はJR「武蔵小金井」駅北口を出て、5分ぐらいのところにある老舗の居酒屋。いつも繁盛していて、一人客も多い。調理場前に長いかぎ型のカウンター、木材のどっしりしたテーブル席が4つぐらいある。余計なものはなくゆったりしていて居心地がいいのだ。
『ここが私の東京』連載時は、まだ牧野さんと顔を合わせたことはなく、本ができあがった時、乾杯をしようというので、担当編集者のTさん、牧野さん、私の3人で飲んだ。そういう縁のある店でもある。牧野さん主導で、次々と料理がテーブル狭しと並び、ビール、焼酎、日本酒と杯が空く。何を話したんだか、忘れてしまった。それは楽しく、いい夜だという証しなのだ。


義母を見送る
 10月25日、東神奈川へ。斎場で義母の葬儀があった。17日未明に急逝、享年90。ここ数年、ずっと介護施設に入っていたが、とうとう息絶えた。とくに苦しみもせず、眠るように逝ったと聞かされ、それは何よりのこと。喪服を着て、黒いネクタイを締め、数珠(忘れないでねと妻に念を押される。私は小学生か)など支度をして、娘と2人、八王子経由で横浜線に乗れば、東神奈川まで乗り換え1度で済む。
 葬儀に出るなんて、20年ぶりぐらいのことではないか。多少の緊張もある。こちらもずっと入院中の義父、義妹親子、私ら一家に親戚の人が1名のみ参加というささやかな葬儀であった。長い読経を聞き、焼香を済ませ、棺の蓋が開き最後の対面。棺の中にたくさんの花が敷き詰められた。
 義母は優しい人で、私たち一家が遊びに行くとお寿司ほか出前をたくさん取ってくれて、低収入を気遣って、毎回、少しお金を包んでくれていた。油絵が趣味で、玄関正面に西洋人形の絵がいつも飾られていたが、技術的にしっかりしたもので、いい絵だった。
 タクシーで戸塚の焼き場へ移動。駐車場にたくさん車が停まっていて、この日、何組も葬儀があったことがわかる。少し標高が高いのか、風が涼しい。骨が焼かれるまで、別室で食事を摂る。焼かれた骨が運ばれ、専門の人が「これは左耳、これがのどぼとけ」と説明しながら、骨壺に白い骨を収めていく。最後、遺族で順に銀の箸で残った骨を拾い、骨壺に入れて無事終了。人の一生がこうして完結するのだな、と厳粛な気持ちになった。幼稚な感想だけど……。
 後片づけや事務処理を残す妻を置いて、娘と先に帰宅。そこで改めて思い出したのだが、この朝、給湯器が作動しなくなった。スイッチを入れると警告音が鳴り、水回りのすべてに温水が使えなくなる。もちろん風呂も沸かせない。「お母さんがこの世に何かを伝えたかったのよ」なんて妻は変なことを言うが、要するに建売住宅の劣化なのだ。これまでにも外壁塗装、キッチンのシンクを装替え、トイレもそっくり新しくした。20年を経た頃から、順にあちこちが傷みだした。そういえば、玄関のドアも付け替えたのだった。
 おかげで、この日から家にいて風呂が沸かせなくなってしまった。業者に修理を依頼すると、たぶん寿命で修理は無駄でしょうとのこと。部品もすでにないという。しかし、冬場に緊急を要することで、別の業者に当たったが2カ月待ちと信じがたい返事があった。住宅関連のことがすべて、現在、立て込んでいるらしい。
 この夜は、妻が帰宅してから家族で近くの温泉施設「テルメ小川」へ行く。いつのまにか料金が880円に値上げされていた。久しぶりだものなあ。温泉、ジェット風呂、露天風呂、サウナと充実しているが、家族で毎日入ったらあと2か月、かかる費用がとんでもないことになる。さあ困った。

銭湯放浪記
 さあ、10月25日から直面したお風呂難民のわれらが家族の話である。私は正直言って、冬場なら2~3日に1度でいいと思っている。ところが女性軍はそうはいかないという。私は別動隊で、2~3日に1度の銭湯、週1は「テルメ小川」で行こうと決めた。女性軍は、銭湯へ行ったり、ネットカフェのようなところでシャワーだけ浴びたり、ガスで大量に沸かした湯を家で使ったり、日替わりメニューであれこれ苦心しているようだ。
 私はさっぱりしたもので、我が市を中心に近隣の銭湯を調べ上げ、順にめぐって行こうと、むしろそれを楽しみに変えた。しかし、調べてみると近隣の銭湯がここ数年で次々と廃業していることが分かった。隣の市である小平には、団地内にかつて古い「小平浴場」があったが廃業。同市内に残るのは、西武国分寺線「小川」駅近くの「栄湯」1軒になってしまった。
 東大和市には2軒あり、「神明湯」と「富士見湯」。今ではこの2つが我が家から一番近い(といっても3キロは離れている)銭湯になってしまった。

国立市「鳩の湯」は近年リニューアルされたモダンな施設。

 ところで、問題は料金である。長い間、銭湯に入ったことがないという人は知らないだろうが、現在、東京都内の銭湯料金は一律、大人500円である。仮に親子3人が毎日通うとしたら、ひと月の銭湯料金は4万5000円にもなる。厳しい数字だ。
 家に風呂がなかった時代、人々はそのあたりどうしていたのか。いや、じつはかつての銭湯料金は、今より安かったのである。1960年と1970年の物価から見てみよう。1960年はラーメン50円、コーヒー60円、週刊誌30円、銭湯は17円だった。1970年はラーメン110円、コーヒー120円、週刊誌70円、銭湯は38円。つまり、まだ大勢の人が銭湯に通っていた時代の銭湯料金は週刊誌の半分、コーヒーの3分の1ぐらいだったとみていい。そこから換算すると、現代の銭湯料金は200円ぐらいになるはずだ。それならもっと気軽に入れる。
 そうはいかないのは、銭湯を利用する人が急激に減ってしまって、一人にかかる分担がそこに料金として乗せられてしまっているということだろう。しかし相対的価値として考えるなら、家風呂があるけれど、たまに手足を伸ばしてくつろげることの付加価値で、現在の銭湯料金500円が、だいたいコーヒー1杯分と考えれば決して高くはない。ただ、毎日入ると負担になるだけだ。現在では、市が負担して、老人には銭湯無料券が配られているケースがある。そのためか銭湯には老人が多い。
 私は自由業なので、午後3時とか4時とか一番風呂に入れる。まだ日は高く、十分に窓から浴室に光が注ぎあふれて、時々、カコーンとプラスティックの風呂桶が何かにぶつかる音が響く。まだ浴槽にもそんなに人はいない。図体のでかい私など、たっぷりの湯に思う存分体を遊ばせる余裕がありがたい。労働者の諸君(「寅さん」の決め台詞)が働いている時間に、湯に浸かれる特権と優越感も500円の料金に含まれている気がする。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。