吉田 篤弘
第八話 気まぐれな絶望[其の四]
「ということは、つまり──」
 とミサキは、ようやく話の核心に辿り着いたように思った。
「つまり、除夜さんの息の根を止めることが真の目的であるということですか?」
「息の根を止める? 僕のですか」
 この期に及んで除夜が空とぼけた発言をするのが、ミサキは憎たらしくてならなかった。
 わたしは何も分かっていない、とそう思っているのだ。
 そんなはずがないでしょう?
 分かっていないのは除夜さんの方で、謎を解くのは探偵である自分であり、謎を解くことで事件に幕が降ろされるのだから、よもや主人公と云っていい自分が、謎を解くことなく命を奪われることは断じてないと信じ切っている。
 でも、そうなるとは限らない。
 マダムの話をヒントにするなら、犯人は無差別に人をあやめ、何ら関連性を持たない犠牲者をいたずらに積み上げて、その中に真の目的を紛れ込ませている。
「その真の目的が、除夜さんの抹殺なんです」
「どうして僕なんでしょう?」
「決まっているじゃないですか。犯人にしてみれば、どれほど巧妙に犯罪を計画しても、世に名を馳せた探偵がそこにいる以上、必ず謎が解かれてしまうんですから」
「買い被りですよ。過大評価です。はっきりって迷惑ですよ。現に僕はこの連続殺人の意図がまるで読めません。だから、マダムの話といまのミサキさんの話を聞いて、感心しているんです。僕なんかより、お二方の方がよっぽど真相に近づいているんじゃないかと」
「ええ、そうなんです。だから云いたいんです。くれぐれも用心してくださいと。いえ、用心だけでは駄目なんです。マダムの云うとおり、どこかに身を隠した方がいいんです。こうなったら、外国にでも行かれたらどうでしょうか?」
「しかし、面白いですね」
 除夜は恐れを抱くどころか微笑すら浮かべ、それがまたミサキをひどくいらだたせることになった。
「何が面白いんでしょうか」
「ニワトリが先か卵が先かって話ですよね。殺したい人物がいるんだけど、その前に探偵を抹殺しておかないと足がついてしまう。しかし、殺人が起きなければ探偵が登場することもない。探偵が現れないなら、わざわざ探偵を始末する必要もないわけで──堂々めぐりです」
「でも、探偵を生かしておいたら足がついてしまうんです。だから──」
「殺人を犯す前にまずは探偵を消しておく? まだ殺人事件が起きていないのに? それはあまりにナンセンスです。僕に云わせれば、そういうことなら、犯人はさっさと諦めて、何もしない方がいい」
「そうはならないんですか?」
「ええ、ならないんですよ。だから、僕は探偵を辞められないんです。これで分かったでしょう?       
仮に僕が名探偵だとしてもです、こうして事件が続出しているということは、犯人たちは何ら僕を恐れていないということです。もし、僕が本物の名探偵であるなら、すべての犯人は恐れをなして犯罪を起こさなくなるでしょう。でも、そうではありません。だから、買い被りだと云うんです。僕はつまり、殺すに値するような名探偵ではないということです」
「たしかに」
 とミサキは急に皮肉めいた声色になった。
「たしかに、わたしは買い被っていたみたいです。除夜さんは追随を許さない名探偵だと信じていましたから。でも、どうやら違うようです。いま分かりました。どれほどの名探偵であっても、ご自身のことになると何ひとつ解き明かせなくなるんです。こんな簡単なことが分からないなんて、名探偵とは云えません。その調子では、ご自分の体のどこかにRの刻印が為されていても気づかないんじゃないんですか?」
「え?」
 除夜はそこで、それまで一度も検討していなかったことに思い当たって愕然がくぜんとなった。
「Rの刻印ですよ」
 とミサキは念を押した。
「ディスぺア──DESPAIRのRです。次の犠牲者には、間違いなく体のどこかにRの刻印が捺されているはずです」
「それが僕の体にされると?」
「ええ。もう捺されているんじゃないですか、と云っているんです」
「すでにもう?」
「ええ。気づかないあいだにです」
「はたして、そんなことがあるでしょうか」
「だって、ご自分のこととなると、まったく無頓着ではないですか。だから、きっと──」
「いや、僕のことではなく、これまでの六人の犠牲者の話です。六人は六人とも自分の体に見知らぬ刻印が捺されていることに気づかなかったんでしょうか? たしかに、ものすごく小さなアルファベットのひと文字ですし、ともすれば、黒子ほくろか何かに見えるかもしれません。でも、六人が六人とも気づかなかったんでしょうか。それとも、気づいていたけれど──」
「何を意味するのか分からなかったでしょうね。それは、この事件が世間に公表されていないからです。もし、公表されていれば、犠牲者のうちの何人かは、迫り来る身の危険に気づいたかもしれません。だから、なぜ公表せずにきたのか疑問だったんです」
 ミサキはそこでまた目を閉じた。
「公表を控えるように指示したのは除夜さんだと権田さんから聞きました。どうしてなんでしょう? それはもしかして、これは公表すべき事件ではないと確信があったからではないですか」
 除夜はミサキに問い詰められて店の天井を仰いだ。
「確信?」
 と自分自身を問い質し、
「いえ、確信はありませんね」
 と自分自身に返答した。
「僕には直感しかないんです。ただ、僕の直感は時間が経つにつれて、少しずつ確信に変わっていきます。そのときを待っているんですよ。そして、そのときは確実にじわじわと近づいています」
「そんなことでは間に合いません。いつ、次の凶行が行われるか分からないんですから。じわじわと近づいているのは、確信ではなく魔の手なんです。それも──いいですか? 他ならぬ除夜さんの身に近づいているんです。わたしはそう思います」
「もし」
 と除夜は急に声を大きくした。
「もし、ミサキさんの推理が正しくて、僕が次の犠牲者になるのだとしたら、それはそれでいいんじゃないですか」
「何がいいんですか?」
「僕を消すのが目的であるなら、それでこの連続事件は幕を閉じます。僕は誰一人死なせないと云いました。僕が犠牲者になって終わるのであれば、その宣言を全うできるというもんです」
「違います」
 と今度はミサキが声を大きくした。
「誰一人の『誰』には除夜さんも含まれているんですよ。どうして自分のことは後まわしになるんです? それに、除夜さんはそうしてさっさとあの世に行ってしまえばそれでいいのかもしれませんが、こちらは──あとに残された者たちはどうすればいいんです? 除夜さんがいなくなってしまったら、犯人が誰なのか謎のままになってしまうじゃないですか」
「それは仕方ないことです。ミサキさんの推理に従うなら、それが犯人の狙いなんですから。道理というものです。そのときは白旗を掲げて負けを認めるしかありません。ただし、それはあくまでもミサキさんの推理です」
「では、除夜さんの推理を聞かせてください」
「いや、僕は本当に何も分かっていないんです。そう云ったじゃないですか。分かっていないからこそ、さっきミサキさんがおっしゃったRの刻印に驚いたんです」
「驚いた?」
「ええ、犯人は一体、犠牲者となる人物に──ミサキさんによれば、僕もその一人ということになるでしょうから、ここは僕と云ってもいいでしょう──この僕の体に、いつアルファベットを刻印するんでしょう? 僕に気づかれることなく? まさか眠っているあいだに? 検視官の見解では、あの刻印は刺青というより焼印に等しいものであるとのことでした。いくら僕が疲れ果てて死んだように眠っていたとしても、さすがに焼印をされたら目が覚めるはずです。となると──」
「となると?」
 二人は顔を見合わせた。
 あるいは、いまこそ、ひとつの目とひとつの目が見合ったと云うべきだろうか。

Collage Illustration──Atsuhiro Yoshida

「第九話」へつづく)
著者紹介
吉田 篤弘(よしだ・あつひろ)
作家。
1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を手がけている。著書に『奇妙な星のおかしな街で』(春陽堂書店)、『つむじ風食堂の夜』(筑摩書房)、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮しの手帖社)、『おやすみ、東京』(角川春樹事務所)、『月とコーヒー』(徳間書店)、『中庭のオレンジ』(中央公論新社)など多数。