小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【4】 宮川健郎

もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『小川未明30選』に収録した、
<小川未明童話紀行>を6回に分けて転載いたします。
編者自ら作者ゆかりの地に赴き、生誕地や作品の舞台を訪ねる旅もいよいよ終盤。
未明と未明童話のふるさとである高田(新潟県上越市)を訪ねました。

童話の文章の形成
  「坊ちゃんは、きっと私と同じい色のものをこの世の中で、しかも人間の眼の中に見られることがあります。」(「はてしなき世界」)「けれど、この頃はどこへ行っても、これと同じい雲った空色で、かつてそんな美しい雲を見たことがありません。」(「山の上の木と雲の話」)──底本にはあった「同じい」を、今回は、「同じ」と訂正してしまったけれど、未明童話には、こうした言い方もある。「同じだ」という形容動詞を「同じい」と形容詞化している。逆に、「黄色な」と、「黄色い」という形容詞を形容動詞化している場合もある。「ケーは壊れかかった黄色な土の塀について歩いたり、」(「眠い町」)というように。「そのやさしな、情の深い心根を哀れに思ったのであります。」(「牛女」)の「やさしな」は、「やさしい」と直してしまった。
  「同じい」や「黄色な」「やさしな」も方言形なのだろうか。「同じい」は、「同じ」の最後の母音を強調したものと表記したような気もする。このことも、先の遠藤仁さんに今度は電話で聞いてみた。遠藤さんは、かつては、語構成がもっと自由だったのではないかというふうにおっしゃった。たしかに、「同じい」や「黄色な」を方言形だろうかと考える私のなかには、「同じだ」(形容動詞)、「黄色い」(形容詞)が一般的だという規範意識があるのかもしれない。そして、未明は、童話の文章を苦労してつくっていった人なのだろうとも思った。
 少し前に読んだ、疋田雅昭(ひきた・まさあき)の中原中也研究『接続する中也』(2007年)には、近代において、「です」「ます」の敬体による言文一致の文章がどのように形成されていったのかをたどる部分があった。「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」(「サーカス」)というふうに、中也は、敬体で詩を書く。疋田は、明治の御伽噺の作家、巌谷小波の仕事なども参照しながら考えているのだけれど、「人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。/北方の海の色は青うございました。」(「赤い蠟燭と人魚」)といった、未明の独特の敬体の文章も、文章の形成の歴史のなかに位置づけてみる必要もあるだろう。
冬の入口
 11月のはじめに、もう一度、高田へ行った。夜の8時すぎに高田に入り、ホテルに泊まって、朝起きてみると、夜半からの時雨がやんだところだった。8月とちがって、空気はつめたく、雲は低くたれこめている。相馬御風(そうま・ぎょふ)の「小川未明論」の一節が思い出される。──「毎年十月から翌年の四月までの間は、殆ど毎日のように重たい、灰色の空が北越の平野の上を蔽(おお)う。」高田はもう、冬の入口に立っていた。
 午前中に小川未明文学館をたずねる。高田図書館内のギャラリーをつかって行われている、特別展「小川未明の東京──童話作家宣言まで」(2008年9月27日~11月3日)の開催期間終了がせまっていた。東京から高田に行き、そこで、未明の東京体験の展示を見るというのはおもしろい。
 中学時代の小川未明は、数学ができなかったために落第をくりかえす。そして、とうとう中学を中退して上京、東京専門学校英文哲学科に入学する。東京専門学校は、未明の在学中に早稲田大学となる。未明が入学したころの早稲田は、どんなふうだったのだろう。つぎは、正宗白鳥(まさむね・はくちょう)の小説「夏木立」(1915年)の一節。正宗白鳥(1879~1962年)は、小川未明と同世代の小説家。やはり、早稲田出身である。未明は、正宗白鳥と親しく、大学卒業後、彼の紹介で読売新聞につとめていた時期もある。「夏木立」は、正宗白鳥の自伝的な小説で、「私」は岡山から上京して、早稲田に入学する。
「東京にもこんな所があるのかと驚かれるような端末の汚い町を通り、茗荷畑(みょうがばたけ)に挟まれた狭い小径を通って、『東京専門学校』と長い木札のかかった校門を入った。赤い煉瓦造りが1棟と、ペンキの剥げた洋館が建っていたが、規則書の文句や『遊学案内』の写真や記事によって想像していたような壮大華麗な学校ではなかった。むしろ、岡山の医学校などの方が立派だった。」

『小川未明選集』予約募集のポスター(1925年)。

 小川未明は、ここで、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)や坪内逍遙(つぼうち・しょうよう)をはじめとする師友に出会い、親交を深めていく。短い期間だが、ハーンに接した思い出は、未明の「面影──ハーン先生の一周忌に」(1905年)に書かれている。未明の卒業論文は、「ラフカディオ・ハーンを論ず」と題されていた。未明は、坪内逍遙の自宅でひらかれていた読書研究会に参加し、逍遙に創作も見てもらう。小説「漂浪児」(1904年)を雑誌に発表する際に、逍遙があたえた号が「未明」だった。
 さて、小川未明文学館の特別展「小川未明の東京」だが、未明の東京専門学校入学以来の東京での足跡がたどられていた。早稲田南町、神楽坂界隈、雑司ヶ谷……、未明は、しばしば引っ越しをしたようだ。未明は、東京で、同じ新潟県出身の女性と結婚し、子どもをもうける。ところが、作家として立ったばかりのころは、生活が苦しく、そのなかで、長男と長女を病気でうしなう。未明は、東京で、大杉栄らとも出会い、社会主義思想に傾倒していく。
※この記事は、宮川健郎 編『名作童話小川未明30選』(春陽堂書店、2009年)に掲載した「ふるさとの風光、ことばのふるさと」を、ウェブ版として筆者である宮川健郎および編集部が加筆修正いたしました。
小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【5】へ続く
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。