筋肉だけ増えてどんどん暗くなっていく

せきしろさんと又吉直樹さんの自由律句集『まさかジープで来るとは』を読んでいる。

ときどき、自由律ってなんだろう、ってかんがえる。数をきにしない句。じぶんでリズムをつくる句。

ひじがひしめく電車で、星に近いジムで、注文のこない飲食店で、ぜんぶ返し終えた日の図書館で、もうなんにも買うものはないスーパーでかんがえる。

このせきしろさんと又吉さんの本を読んでいると、自由律とは、〈そうなっちゃったこと〉なのではないかと思えてくる。

  同じ手すりを握ってきた老人  せきしろ

  こんな大人数なら来なかった  又吉直樹

どちらも〈そうなっちゃったこと〉だ。この〈そうなっちゃったこと〉を定型におさめず〈そうなっちゃったことの勢い〉とともにそのままおくりだす。

それが自由律なのではないか。そこには、えりを正すような気取りはない。ほんとうの、すっ裸の、そうなっちゃうしかなかったんだよ世界は、じぶんは、という隠すものがなにもない、素の世界がある。

世界はあるときそうなっちゃったんだよ。

そしてその世界のなかにいた自分はそうなっちゃったんだよ。

あなた、どう、おもう?

それが詩になったもの。

ぜんぶぬいだあとのむこうみずでまるはだかの素。

それが自由律なのではないか。

そしてたぶん、この自由律は、ときどき、おおきくなってゆく。おおきく、おおきく、なってゆく。そうなっちゃった世界として。そうなっちゃったわたしとして。そして、たぶん、きっと、小説、と呼ばれるように、なる。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター