世界中の野生動物や自然の風景を追い求めてきた動物写真家・井村淳。なかでもアフリカでの撮影は26年にも及ぶ。彼は今年の4月に、ケニアへ39回目の撮影旅行を終えて帰国した。サバンナの雄大な風景と、そこに生きる野生動物の姿をとらえた撮りおろし作品を、旅のエピソードとともにおくる。

第4回 雨季のサファリ
 サファリ(Safari:スワヒリ語で旅の意)をする上で大きな障害となるのが雨です。少しの雨なら地面に埃が立たないなど良いこともあるのですが、サバンナの雨季の雨は「ハンパねぇ!」です。
 バケツをひっくり返してみたことはないので、はたしてその表現が正しいのかわかりませんが、傘をささずに立っていると10秒とかからず全身びしょ濡れになります。

積乱雲は10,000メートル以上の高さまで成長する。

 広いサバンナの空は、遥か遠くまで見渡せます。積乱雲の下には、どんよりとした灰色の雨柱が見えます。車で雨柱に近づくと上空の積乱雲は見えなくなり、雨雲から地上に降りてくるいくつもの筋がはっきり見えてきます。

積乱雲の下は真っ黒な雨雲で、スコールの雨柱も見える。

 時には、雨雲を避けて行き先を変えることもあります。しかし、雨雲が巨大な場合は、避けたつもりの雨雲にいつの間にか飲み込まれてしまいます。雨雲に捕まる前にサファリカーの屋根や巻き上げ式の窓用シートを閉めなければ機材もろともびしょ濡れになってしまいます。シートを閉めると、ほとんど視界が無くなり撮影もしにくくなってしまうので、僕としては少々濡れてもギリギリまでシートを開けておきたいのです。
 スコールと呼ばれる急激な土砂降りは、大抵数十分から数時間でおさまるのですが、まれに雨がしとしとと一日中降り続く日もあります。
 また、自分のいる場所が降っていなくても、数キロメートル離れたエリアはものすごい豪雨になっていることもあります。すると、水は一気に低いところへ流れ込み、小川から川へと集まります。
 サファリでは、たまに川を横切っている道を通りますが、雨が降ると急激に水かさが増し、通れなくなります。対岸に行ったのはいいけれど、帰って来られなくなることもあります。
 雨季は川や小川を数日間渡ることができなくなることがあり、サファリができる範囲が狭くなります。

(左)増水した小川を渡るサファリカー(右)メインロードでもスタックするほどの悪路に。

 サファリの道は都会の道とは違い舗装されていません。メインロードであっても雨が降るとぬかるみ、スタック(タイヤが空転するだけで動けない状態)することもあります。サファリで一番多く目にするサバンナ仕様の2トントラックサイズのトヨタ ランドクルーザーでもスタックは免れません。
 サファリタイムに豪雨が来たら、メインロードですら危険です。叩きつける雨粒で車の前が見えないぐらいのときもあります。ひどいときは車を停め、ある程度雨がおさまるのを待ちます。そんな日は泣く泣くサファリを中止することもあります。
 何年か前のことですが、僕とドライバーのサミーの2人でサファリに出て、ヒョウを探しにブッシュ(茂み)のそばへ行くと、車が動かなくなりました。数日前に降った雨で道がぬかるんでいたのです。茂みのあるところは少し低くなっていて水のたまるところです。つまり、道路の表面は乾いていて問題なく見えたのですが、その近くの道も水がたまりやすく乾きにくくなっていたのです。

スタックからの脱出を試みてエンジンがオーバーヒート気味になった。

 まあ、スタックはよくあることだし、僕はスタックすること自体は苦ではないので、軽い気持ちでサミーと2人で脱出方法を思案し試みます。しかし、このときばかりは、簡単ではありませんでした。あまりにぬかるみが深く、もがけばもがくほどタイヤは深く埋もれ、ドツボにハマっていきます。
近くから石や、枯れ枝を集め、ジャッキアップしてはタイヤの下に敷き、数十センチ前進。これを何十回かくりかえし、5時間半後にようやく脱出できました。
日中の炎天下で喉は渇き、残っていた水をサミーと2人で飲み干しました。

5時間半後にようやく脱出できたスタック現場。

 すでにランチタイムはとっくにすぎてしまい、宿に戻っても昼食はありません。それでも疲れ果てた僕らは宿に帰ることにしました。結局、何も撮影できませんでしたが、「たまには、こんな日もあるさ」と呟きながら帰路につくと、サミーが「ヒョウがいた!」と進路を変えました。しかし、あれだけ頑張ってスタックから脱出した甲斐があった、と喜んだ瞬間、車が動かなくなりました。ちょっとしたぬかるみにまたしてもハマってしまったのです。しかし、今度は、どうにも手の施しようがありませんでした。
 仕方なく、最後の手段で誰か助けを呼ぼうということになり、車のラジオ(無線)を使ってみるも応答はありません。宿から結構遠くまで来ていたので、無線は届かずつながりません。雨季のこの時期はサファリの車も少なく、近くには誰もいないようでした。そんなときは、文明の利器! 携帯電話を使う。最近では、携帯電話はサバンナでも広範囲で電波が入ります。サミーが苦笑いをしながらこちらを向いて、「イムラ、バッテリーフィニッシュ!」と言いました。それを理解するのに1秒とかからず、「まじか!」と思いました。
 僕も携帯電話を持ってはいるものの、僕の携帯電話に今、必要な電話番号が登録されているわけがない。さらに、電波が乏しく僕の携帯電話のバッテリーの残量もわずか。電波の乏しいエリアにしばらくいたのでバッテリーの消費が激しかったのでしょう。

サファリの中、スタックのときはお互いさま精神で助け合う。

 
 頭を抱えながら絞り出した次の案は、僕の携帯電話にメールアドレスを登録しているケニアの旅行手配を頼んでいるナイロビの旅行代理店ホワイトライオンサファリの船岡さんにメールをすることでした。そこから僕らが泊まっている宿のオーナーのオフィス(ナイロビ)に連絡をしてもらい、さらにそこからマサイマラの宿のマネージャーに僕の携帯に電話(国際電話経由)をかけてもらうように頼んでもらうという作戦。まるで伝言ゲームのようです。住所も番地もないところで僕からスタックした場所を説明することはできないので、サミーから直接電話で説明してもらわなければなりません。
 「助けて!」メールを書いて、電波がたまに入る瞬間に送信。ちゃんと送れたかわからないまま祈ることにしました。30分ぐらいしてから電話が鳴りました。きっと、メールは届き手配してくれたに違いないという期待をしましたが、電波が乏しくすぐに切れてしまいました。数分後またかかってきて、つながりました。サミーからおおよその場所は伝えられたようです。それから、1時間ほどして遠くから車のエンジン音がかすかに聞こえてきました。前述したように1回目のスタックの後に、飲みものは全て飲み干していました。もし、連絡が取れなければ草原の真ん中で一晩過ごすことになったかもしれません。一晩なら凌げるかもしれないけれど、それ以上は無理だったに違いありません。
 そして、こちらに向かってくる車の姿が見え、安堵とともに空腹感を覚えました。
 その車の運転席にいたのは顔見知りのドライバーでした。ありがとうと言い終わらないうちに「水をちょうだい!」と発していました。
 生き返りました。
 最近では、サミーとスタックするたびに、あのときの7時間半の出来事が話題になり笑い話になっています。この経験の後から、サファリに出るときは必ず携帯電話はフル充電と充電器! 水は多目に! を確認しています。

カバの背後には雨雲が迫っていた。

 そんな雨季でも、僕は嫌いではありません。
 雨季は、サバンナの緑がとてもきれいなシーズンです。普段は夜行性で日中はほぼ水の中にいて顔だけしか見せないカバが、雨のときには草原で草を食べていることもあります。「丸ごとカバ」が見られるのもこの雨のおかげです。

(左)二本の虹の色の並び方は逆になる。(右)雨季の朝焼けはドラマティックだ。

また、雨が降るので虹も出やすく、幻想的な場面に出会えます。遮るものがないので、半円の虹の端から端まで見えることもめずらしくなく、ダブルの虹が見られることもあります。ちなみに、ハワイ在住の叔父に聞いたのですが、ダブルのときはニジではなくヨジと言うんだとか……。
サミーには日本語のジョークは通じませんでした。

次回は、チーターについてお話しします。



動物写真家 井村 淳のケニア紀行【5】へ続く。

著書紹介

『流氷の天使』春陽堂書店
タテゴトアザラシの赤ちゃんが母親と一緒に過ごすのはたったの二週間。その短い間にぐんぐん大きくなり、大福のように愛らしく成長していく過程を追った写真集。

『あざらしたまご』春陽堂書店
生まれてから、母親がそっといなくなる2週間後までのあざらしの姿をおさめた写真集。あざらしの愛くるしい寝顔や行動、見守る母親の姿が満載。様々なあざらしの仲間を表現した卵絵や、あざらしの4コマ漫画も掲載。
この記事を書いた人
井村 淳(いむら・じゅん)
1971年、神奈川県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業。風景写真家、竹内敏信氏の助手を経てフリーになる。公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。チーター保護基金ジャパン(CCFJ)名誉会員。主な著書に『流氷の天使』(春陽堂書店)、『大地の鼓動 HEARTBEAT OF SVANNA——井村淳動物写真集』(出版芸術社)など。
井村 淳HP『J’s WORD』http://www.jun-imura.com/