夜になると鼻はつまんだ手を手はつんだ花を思い出している

わたしはその思い出をわすれてしまっているけれど、思い出のほうがわたしを覚えているばあいがある。

ある駅に降りたらある思い出がきゅうに思い出されて、これほんとに俺の思い出なのかなあ、とおもうことがあった。

その思い出のなかのわたしはガーデンマムの2色植えの鉢植えを買い、花屋さんを出るとその花屋さんの隣にあったケーキ屋さんにすぐに入り、アップルシナモンのケーキを買った。手に花とケーキを持って歩いていた。これから誰かに会うのかもしれなかった。わたしは思い出せなかったが、思い出のなかのわたしは誰に会うのかもちろんわかっていて、おもいわずらうことですか? おもいわずらうことなんてなにもありませんよ、という顔であるいていた。いっしょにあるいているひともいた。いっしょにあるいているひとから「あなたには無理だよ」と言われていたが、そんなことはないです、という顔をしていた。そしてとつぜん二人は走った。バス停にバスがきたから。思い出がきゅうに速くなる。思い出のなかのひとたちが走り始めると思い出の速度もあがるのだろうか。りょうてに花もケーキもあるからバス代払ってもらってもいいかな、といっしょにいたひとに言って「なんであたしが」と断られている。ことわられているなあとわたしはおもう。わたしがとおざかってゆく。思い出終わり。

花やケーキやそんなことはないですの思い出。ここの駅はそういうわたしがいたとこなんだなあ、とおもった。ことわられてたなあ。またあるきはじめる。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター