日本のミステリー小説を語る際に欠かすことができない作家、江戸川乱歩。
1925年に春陽堂が刊行した『心理試験』は、「二銭銅貨」や「D坂殺人事件」といった
初期作品を収めた、乱歩にとってはじめての創作集でした。
それ以来、春陽堂と乱歩のつながりは強く、多くの書籍を刊行してきました。
1955年には、全16巻の『江戸川乱歩全集』を、
1987年には、装丁を飾った多賀新の銅版画が好評を呼んだ『江戸川乱歩文庫』(全30冊)の刊行もスタートしています。
2015年には、『江戸川乱歩文庫』の中から人気のある13冊をリニューアル版として刊行、2018年からは第二期として、残りの17冊の刊行が始まりました。
ここでは、各文庫の読みどころを紹介していきます。


2つの三角関係が交差する境界線『十字路』
江戸川乱歩(春陽堂書店)

「十字路」で、ひとが異(い)なるものと出会う。そんな神話や伝説、民話が、世界各地に残っている。たとえば、「クロスロード伝説」と呼ばれる、音楽好きには有名な話がある。アメリカのロバート・ジョンソン(1911-1938)というギタリストが、とある十字路で悪魔と出会い、自分の魂と引きかえに超人的な歌唱力とギターテクニックを手にする。その時、ブルースが、ロックが生まれた、という伝説だ。残された楽曲を聴けば、ロバート・ジョンソンの凄さを知ることができる。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズや、エリック・クラプトンといった名ギタリストたちもまた、彼から大きな影響を受けたと語っている。
さて、『十字路』と題された江戸川乱歩の小説は、昭和30(1955)年10月に、講談社の『書下ろし長篇探偵小説全集』の1冊として刊行された。本書に掲載された落合教幸(おちあい・たかゆき)氏の解説によれば、物語のプロットは渡辺剣次という人物が考え、それを江戸川乱歩が執筆したようだ。その成立過程も含め、乱歩作品の中でもちょっと毛色の違う作品とも言えるのかもしれない。
主要人物は6名で、2つの三角関係に起因する事件が展開されていく。
1組目は、伊藤商事という会社の社長である伊勢省吾、その秘書でかつ愛人の沖晴海、日輪教に入れ込む伊勢の妻・友子の3人。この三角関係から、妻・友子の失踪という事件が生じる。もう1組は、商業美術家であり現代美術家の真下幸彦、そのフィアンセでファッションデザイナーの相馬芳江、芳江の兄であり抽象画家の相馬良介の3人。結婚したい幸彦と芳江、対して大切な妹を幸彦に渡したくない良介もまた、三角関係にある。ある日、バーで幸彦と良介が、互いの芸術論の対立をきっかけに口論になり、取っ組み合いになる。その後、良介が行方不明になってしまう。
異なる場所で、同日に起きた2つの失踪事件。まったく関係のなかった2つの三角関係が、偶然にも、新宿の十字路で交錯し、奇妙に絡みあい、より大きな惨劇につながっていく……。
事件を追うのは警視庁あがりの探偵・南重吉。前職の人脈を生かして探偵業を営んでいるが、サディストで女好き、正義感は希薄で、犯人をゆすり金をせびろうとするような人物だ。彼は偶然にも、失踪した相馬良介に似ていた。それを利用しながら、失踪事件の謎を探っていくのだが、名探偵とはいえないようなキャラクターである。 
本作の面白さは、伊勢が事件に直面してどうふるまったのか、どうやって犯した罪を隠そうとしたのかが語られていく構成にある。本作品は、ミステリーの基本構造のひとつであるフーダニット(Who done it ?「だれがやったか」)の物語ではなく、倒叙型の探偵小説、つまり犯人の視点から、事件の発覚~展開を追うように描かれている。そこに、面白さと、スリルがある。
「十字路」とは、異なる道を通ってきた者たちが、一瞬、交わる場所である。交通網が過度に発達した現代では感じることが少なくなってしまったが、かつての民俗社会においては、「村はずれの辻・橋や板・峠などの境界が、内/外・生/死・現世/他界といった二つの世界のあわいを浮遊する人やモノらの棲み処であった」と、民俗学者の赤坂憲雄は指摘している(『境界の発生』講談社学術文庫、2002年)。線を引けば、そこが境界になる。自己/他者、こちら/あちらを区切る境界線が交わるところが、「辻」=「十字路」であり、そこは「異(い)」なるものと遭遇する場所となるのだ。ロバーン・ジョンソンのように、そこで悪魔と出会うこともあるし、妖怪や、異形のものと、出会うこともある。異世界に紛れ込むこともあるだろう。本書においては、伊勢省吾は十字路で、見ず知らずの死体と遭遇する。異なる道を進んでいた事件が、十字路で交錯するのだ。また、十字路で相馬良介が出会った、松葉杖をついたマリ子という娼婦も、事件解決の鍵をにぎる。普段は遭遇することのない「ひと/こと」と出会ってしまう場所が、十字路なのだろう。
物語の最後で、真下幸彦と相馬芳江の2人は、失踪事件の現場にピクニックに行こうという会話をする。そこは、物語の冒頭で伊勢と晴美が訪れていた、藤瀬という村落があった場所であり、その後ダムとなり、湖になってしまった場所である。「この湖水で起こった悲劇を葬(とむら)うために、あの古井戸のあるへんに、花束を投げようってわけなのよ」。芳江が続けて語る、色とりどりの花が湖水に広がっていく描写は、とても映像的で、美しい。しかし、その湖水から事件の被害者の顔が浮かび上がり、ニッコリ笑うという描写に至ると、おぞましくもなってくる。湖の上で、幸せそうにピクニックをする2人の下に、様々な人生の怨嗟(えんさ)が見え隠れする。そんな場所で、幸彦と芳江が、2人でいられることの幸せをかみしめようとする。プロローグとエピローグが重なり合い、生き残った者と死んでしまったものを重ねるあたりが、乱歩が乱歩たるゆえんなのかもしれない。湖の水面もまた、「生/死」を分かつ境界線である。
「クロスロード伝説」のロバート・ジョンソンは、悪魔から得た力で、ブルース歌手としてその名を馳せた。しかし、悪魔と出会ってから数年後、謎の、そして不幸な死を迎えている。伊勢の奇異なひらめきによる窮地を脱する計画も、十字路での出来事、異なる事件との交錯をきっかけに破綻し、バッドエンドに向かっていく。十字路で何とであうのかは選べないし、「こちら/あちら」のどちらに向かうのかも、ひとはコントロールできない。それが偶然なのか運命なのかはわからないが、十字路でくだすひとつひとつの選択の積み重ねが、現在という道を作っているのだ。

文/堀 郁夫(春陽堂書店)


関連書籍
『十字路【リニューアル版 】』(江戸川乱歩文庫・春陽堂書店)
推理小説界の巨匠・江戸川乱歩が、戦後、昭和30年に書き下ろしで発表した野心的大作「十字路」。伊勢商事社長の伊勢省吾は、日輪教の狂信的信者である妻・友子を嫌い、若い女秘書・沖晴美と恋愛関係にあった。晴美のアパートのへやに押しかけてきた友子を省吾は絞殺した。友子の死体をどこへ運ぶか。晴美とドライブした藤瀬ダムの古井戸が省吾の頭にひらめいた。キャディラックのトランクに死体を隠し、藤瀬へ向かう省吾は、新宿ガード下の十字路で突発事故に遭う。そのすきに車内にもう一体の男の死体が出現していた。次々に発生する奇怪な事件のナゾは?
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春陽堂書店編集部
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