変身願望を実現する悪魔のテクノロジー! 早すぎた整形小説?『猟奇の果』
江戸川乱歩(春陽堂書店)


江戸川乱歩『猟奇の果』は、趣向の異なる前編と後編がくっついた奇妙な小説だ。
前編の主人公は、青木愛之助と、品川四郎という青年である。ともに異常なものを愛する友人どうしの2人は、突然、「日頃熱望する猟奇の世界」に巻き込まれていく。
あるとき愛之助は、人混みのなかに四郎を見つけて声をかける。だが、四郎に見えた男は困惑して「自分は品川四郎ではない」と答え、足早に立ち去ってしまう。この出来事をきっかけに、四郎に似たその男は2人の前に何度も姿を見せる。愛之助と四郎はしだいに、「品川四郎と、ソックリの男が、もう一人別に存在する」ことを確信するのだった……。
前編の趣向は、いわゆるドッペルゲンガー(分身)怪談だ。品川四郎は、ニセ品川四郎とさまざまなシチュエーションで対面し、もう1人の自分が存在する恐怖を味わわされる。さらに、愛之助と四郎に気づいたニセ品川四郎が、2人に逆襲を仕掛けるという、怖すぎる展開になっていく。
『猟奇の果』は当初、1人2役トリックのミステリーとなって終わる予定だったようだ。乱歩は、その着想を次のように明かしている。
「全く同じ顔の人間が二人いたというのは、実は科学雑誌社長[品川四郎のこと…引用者注]の猟奇の果の手のこんだいたずらにすぎず、最後にその種あかしをするという、私の短編「赤い部屋」に類する着想であった」(「あとがき」『江戸川乱歩全集 第7巻』桃源社)
ドッペルゲンガー怪談に見せかけておいて、実はニセ品川四郎など存在せず、すべて四郎自身による自作自演のいたずらだったとオチをつけるつもりだったのだ。
ところが、途中で怪談のネタが尽きてしまう(ちょっと、乱歩…)。タネあかしをして小説を終わらせるにはまだ早い。そこで乱歩は連載を続けるため、編集長・横溝正史と相談し、当初の計画を変更。『猟奇の果』を陰謀SFへと書き換えることを決意する。この路線変更に伴い、ニセ品川四郎をめぐる事件は、個人のいたずらをはるかに上回る大陰謀へとスケールアップしていくのである。
後編では、いよいよニセ品川四郎の正体が明らかになる。彼は、世界征服を企む犯罪組織・白蝙蝠団の首領だった! 白蝙蝠団は、団員を世界中のVIPのニセモノに改造してすり替えることで、「全世界に悪魔の国を打ち建て」るつもりなのだ。
まずは日本が標的となり、紡績企業の社長、警視総監、内閣総理大臣らが次々と狙われ、いつの間にか白蝙蝠団員と入れ替わってしまう。ニセVIPたちのもとで、日本経済は異常なインフレと「生産工業全滅」の危機に瀕し、「無警察同然となった帝都」は大混乱に陥るのだ。後編の主人公となった名探偵・明智小五郎は、この大陰謀を阻止すべく、白蝙蝠団に立ち向かうのである。
こうして、『猟奇の果』はすっかり陰謀SFへと様変わりしたが、この偶然の変更は、その後の乱歩にとって興味深いモチーフの発見をもたらした。すなわち、人間改造術と呼ばれる整形手術である。
白蝙蝠団は、モデルと身長・骨格・容貌の近い人物を団員としてスカウトし、人間改造術を施すことで、ホンモノそっくりのニセモノに改造していた。この大がかりな整形手術は、「整形外科と、眼科と、歯科と、耳鼻科と、美顔術、化粧術」とを組み合わせたもので、本来は別々の用途に使われる専門技術を、人体改造のために結集したことがミソだとされる。
乱歩はこの人間改造術というアイデアを気に入ったようで、のちに『石榴ざくろ』や『幽霊塔』でも、登場人物を整形手術によって全く別の人間に変身させている。また、『猟奇の果』の人間改造術による陰謀というプロットはそのまま、少年探偵団シリーズ最終作の『超人ニコラ』に応用された。この小説が絶筆作となっているように、『猟奇の果』で描いた整形手術のモチーフは、晩年まで乱歩を魅了した。
それにしても、どうして整形手術がかくも乱歩を惹きつけたのか。その理由について、乱歩は次のように説明している。
「人間改造術は隠れ簑願望または変身願望を科学的に実現させる手段であって、あの子供のころからの夢がそのまま実行できるという深刻なる快感を伴うわけだが、私は人一倍隠れ蓑願望にあこがれる性格だから、機会さえあれば、重複をいとわずこのことを筆にしている」(「あとがき」『江戸川乱歩全集 第13巻』桃源社)
つまり、整形手術は、変身を科学的に可能にするテクノロジーとして、乱歩の文学的想像力を刺激したのである。
乱歩は、変身願望に憑りつかれ、変身を書き続けた作家だった。そうした乱歩にとって、整形手術はもはや、美容術や医術にはおさまらなかった。変身願望を実現するテクノロジーとして整形手術を認識した乱歩は、『猟奇の果』において存分に妄想を展開するのである。
とりわけ圧巻なのは、整形技術が虚実をまぜつつ列挙される場面だろう。人間改造術を完成したマッドサイエンティスト・大川博士は、高揚した口調で「パラフィン注射」、「脂肪摘出」、「目の切れ目の拡大縮小」などの技術を紹介していく。博士の熱狂はほとんど、乱歩のテンションにも重なるはずだ。
『猟奇の果』には、整形技術に対する憧れや陶酔が表現されている。だが同時に、「悪魔の技術」としての禁忌性や、その恐ろしさも強調されていることが重要だ。乱歩は、人間改造術を永久に封印して物語を閉じたうえで、「夢物語でよいのだ」と繰り返しカーテンコールする。ここには、人間改造術という「科学を超えた悪夢」が、フィクションのなかにしか成立しない自覚とともに、あくまで妄想を物語世界にとどめようとする乱歩のあり方がうかがえる。
『猟奇の果』とは、変身願望を実現する悪魔のテクノロジーに対する、乱歩の憧れと恐れの原点がつまった問題作なのだ。
文・柿原 和宏(早大大学院)
『猟奇の果』(春陽堂書店)江戸川乱歩・著
本のサイズ:A6判(文庫判)
発行日:2019/6/28
ISBN:978-4-394-30170-7
価格:990 円(税込)

この記事を書いた人
柿原 和宏(かきはら・かずひろ)
広島県生まれ。現在、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程在学中(専門は日本近現代文学)。『新青年』研究会会員。
主な論文に、「江戸川乱歩ミステリの戦後的転回 ―探偵作家と警察の座談会を中心に―」(『日本文学』、2019・6)、「江戸川乱歩における戦後ミステリの復興 ―エログロをめぐるジャンルの政治学―」(石川巧・落合教幸・金子明雄・川崎賢子[編]『江戸川乱歩新世紀 ―越境する探偵小説―』ひつじ書房、2019・2)、「オールド・ファンたちの乱歩 ―小栗虫太郎をめぐる一九三五年前後の探偵小説批評から―」(『『新青年』趣味』18号、2017・10)などがある。