本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第十一回 「文字を温ねて(5)〜カリグラフィーの今日と未来編〜」

カリグラフィー、トゥデイ

太田
白谷さんからカリグラフィーのお話をたくさん伺ってきて、カリグラフィーがこれまでにどのように歴史と関係しながら根付いてきたのか、とても意識させられたのですが、白谷さんはカリグラフィーの今日の状況をどのように見ていらっしゃいますか?

白谷
カリグラフィーの表現の多様化をとても感じています。コンテンポラリーアートのような勢いを感じる一方で、クラシックな作品の見せ方もとても進化しています。写本の装飾文字に興味を持つ人や、西洋紋章を作品に取り入れる人も年々増え続けています。

文字を構成するラインやカタチそのものに焦点を当て、抽象的な表現へ向かう人も多くなってきました。言葉に想いを馳せて文字を綴る人、グラフィックデザインとしてビジュアル効果を一番に考えた見せ方、本当に多種多様です。表現する媒体が増えてきていることも事実です。石やガラスなどの立体表現、光で文字を描いてみたり、動画で文字を動かしたり。手書き文字を芸術として捉えているからこそのアプローチですね。

最近の SNS では、iPad と Apple Pencil を使って描かれた手書き文字を多く見かけます。まるで実際にペンで書いているかのような仕上がりで、筆圧やインクの濃淡もコントロールできる機能があり、そのクオリティーの高さは衝撃的です。今の時代だからこその進化ですよね。

太田
ペン先を変えられたり、そういうことをするためのアプリがあるのでしょうか?

白谷
あるんです。筆やペンの種類も選べますし、墨のかすれ具合なども調節できるそうです。実際に書くところを見せていただくと驚きです。今まで私たちが時間をかけて習得してきた技術はなんだったの〜って(笑)。

こういうデジタルな表現方法に関しては、カリグラフィーの世界では賛否両論です。SNS 上でも世界中のカリグラファー達が「カリグラファーとしてそれを使うのか使わないのか」で意見を交わしていたのを興味深く読みました。でもこのようなツールが登場したのは事実であり、それを上手に使いこなすアーティスト達がいる。今の時代、自然の流れであると私は思います。iPad 上で自由に描かれる手書き文字に興味を持って、それから初めてカリグラフィーという言葉を知る人もいるでしょう。それで良いと思っています。手書きそのものの良さとデジタルで作る文字の良さは違いますから、お互いを尊重しあって高めていく、手書き文字が好きな者同士、それは変わりありませんものね。

太田
違いは「精神性」ということになるんでしょうか?

白谷
もともとのカリグラフィーが持つ歴史的な「精神性」とは違うと思いますが、デジタルなものに精神性がないとは言い切れません。違いというと見た目でしょうか。

太田
微妙なテクスチャーとかでしょうか?

白谷
そうですね。実際の道具を使って書かれた手書き文字は、紙の質感だったり、絵の具の盛り上がりだったり、手で書くことによる文字の輪郭の揺れだったり、そういう部分を肌で感じることができます。そんな「息遣いが感じられる文字」を表現するために、紙や画材を選ぶ時も慎重になります。

デジタル上で書く手書き文字は、輪郭にぶれがなく、ある意味完璧のように感じます。生のカリグラフィー作品とはまた違う、レタリングアートの世界がそこには広がっています。

そういう意味では、私がカリグラフィーからロゴを作る時も同じです。実際に書いたものをスキャンしてイラストレーターで色味や輪郭を仕上げてデータにします。これもデジタルの恩恵を受けたカリグラフィーの姿ですね。デジタル上で作った文字は修正も効率的で、量産も可能です。

白谷氏がカリグラフィーからロゴを作った例。

太田
面白いですね。デジタルなカリグラフィーは、データということですもんね。見えてはいるけど、本来の姿はデータであって、だから複製もできる。手書きは一点もので、そこに存在している実物以外に存在し得ない。

白谷
紙ベースで仕上げる場合とデジタル上で仕上げる場合と、どちらにも利点がありますから目的によって使い分けます。でもやはり私は手触り感のあるものに魅力を感じます。手を動かしながらプロセスを踏む大切さというのでしょうか。その時の「感覚」を大事にしたいなって。

太田
電子書籍と紙の本みたいな話ですね。

白谷
本当にそうですね。今の時代はタブレットを一台持っていれば何冊もの本を持ち歩けます。紙のページをめくる感触がないのは寂しいですが、軽くて便利。どちらが優れているというわけではなく、使い分けですね。

太田
実際にデジタルな人たちが手書きで文字を書くと、上手く書けるのでしょうか?

白谷
とても上手なんです。デザイナーさんが多いので文字のカタチに対する感覚がすでに出来上がっているんですね。ペンの運びなども丁寧ですし理解も早い。そして文字と真面目に向き合っています。

太田
カリグラフィーの練習の道具として、iPad であればどこでも練習できるという意味で便利だったりもしますか?

白谷
紙に書く感覚と、iPad に書く感覚は全く違います。Apple Pencil でしか文字を作ったことがない人は、リアルな筆の沈み具合や、インクの乗り具合だったり、そういう難しさを実際に体験していただけるときっと楽しいのではないかと思います。またデジタルな方を知らないカリグラファー達はぜひ現代のツールを体験してみると良いと思います。インクなどのストレスがない分、楽に書けるかと思いきや、そう簡単にはいかないです。

太田
面白いです。白谷さんも Apple Pencil で書いてみましたか?

白谷
書いてみましたよ!

太田
どうでした?

白谷
練習が必要!(笑)

♪「白谷泉カリグラフィースタジオ」にて
カリグラフィーのこれから

太田
こういう現状がありながら、カリグラフィーの世界はますます広がっているんですね。

白谷
そうですね。デジタルな手書き文字の世界が広がっているとはいえ、写本をルーツに持つカリグラフィーの世界も進化はし続けます。多様な文字芸術が発達する中で、カリグラフィーがどのような役割を果たせるか、その時代の文化的背景や芸術的背景と混ざり合ってどのような化学反応を起こすのか、見て感じていきたいと思います。そのような時代の変化を受け入れていくためには、自分の考えも柔軟でなくてはならないし、伝統ばかりを重んじて頭が固くなっていてはいけないとも思います。

白谷 泉「故ダイアナ妃の紋章」(2007年)

太田
もともとのカリグラフィーが、現代においてだんだん認知度が上がっていって、それと並行してさまざまな表現方法が生み出されていっているんですね。表現の選択肢や可能性はますます大きくなるのではないでしょうか。

白谷
「カリグラフィーは長年続けてきたけれど、自分がどの方向に行けば良いかわからない」という相談をよく受けます。選択肢が増えるほど、迷う人が出てきます。カリグラフィーに何を求めているのか、自分はどんなものが好きで、どんなことが心に響くのか、それは本当に人それぞれなので正解はありませんが、ただそれを追い求め続けることが大事、探究心をとめないでいることで何かが見えてくると信じています。

最近は特に、カリグラフィーを知るためにはカリグラフィー以外の芸術をもっと知ることの大切さを伝えています。以前カリグラファー向けに現代の抽象画家の作品を鑑賞しながら勉強会をしたことがあります。文字は描かれていなくても、メッセージ性のある作品、見ただけでは理解できないけれど、何か気になる作品に対して、なぜそのように感じるのかを考えます。そこで絞り出された言葉達はカリグラフィーと通じることばかり。

白谷 泉「Only one mind」(2010年)

白谷
太田さんのようなブックアーティストが日本に帰国して、今までにないブックアート作品を発表され、心動かされたカリグラファーはたくさんいると思います。今の時代だからこそ手でつくることの意味を考え、時間をかけて何かを表現している人たちの共通の何か、まさに太田さんが最初にお話してくださった(当連載、第7回)シンパシーがそこで生まれるのかもしれません。

まだまだカリグラフィーを通して伝えたいことがたくさんあります。経験を積めば積むほど原点を意識する瞬間が多くなりました。言葉を、文字を、現代のカリグラフィーとして 表現できる喜びを強く感じます。今後、文字芸術の世界がどのように変化していくとしても、カリグラフィーの大切な部分がぶれないようにこの素晴らしさや可能性を伝えていきたい、それを伝えていくのが自分の使命だと思っています。

この旅で温ねた文字

今回の旅で白谷さんを訪れて、僕の中で非常に強い印象として残ったのは、カリグラフィーの原点です。写本とカリグラフィーの関係が、これまでに想像していたよりも強く、常に意識されるところにあります。僕がブックアートを制作する上でも、「原点」というのは意識しますが、カリグラフィーの場合と比べた時に、その明らかさが違うのではないかと感じました。ブックアートは、その定義自体が難しいものでもありますし、ブックアートの原点と言える「本」も、どの状態のものを指すのかは、時と場合や、人それぞれによっていろいろな解釈をします。

文字を温ねる旅を通して、カリグラフィーの原点と未来を見つめることから、僕は特に原点を意識したブックアートの考え方というものに、これまで以上に可能性を感じるようになりました。今回も、文字を温ねながら、文字だけでない、ブックアートを知る上で大切なものを学ばせていただいた気がします。旅は続きます。


今回の温ね先

白谷 泉(しらたに・いずみ)
幼少から書道に親しみ、大学在学中に西洋書道(カリグラフィー)と出会う。 広告会社勤務を経てカリグラフィー留学のため渡英。
Calligraphy、 Heraldic Art(紋章美術)、 Illumination(装飾美術)の HND(Higher National Diploma)を取得後、Royal Warrant を持つカリグラフィーオフィスに勤務。ロンドンにて個展開催。
現在は日本を拠点に、コミッションワークの他、白谷泉カリグラフィースタジオを主宰、日本カリグラフィースクール、学校や企業において講師を務め、フリーランスカリグラファーとして活動中。英国カリグラフィー団体 CLAS の Fellow、NPO法人ジャパン・レターアーツ・フォーラム理事。


第十二回 「印刷を温ねて(1)〜日本のシルクスクリーン黎明期編〜」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)