本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第十回 「文字を温ねて(4)」

カリグラフィーとタイポグラフィー

太田
本に関わるところで「文字」というと、「カリグラフィー」の他に「タイポグラフィー」がありますよね。「タイポグラフィー」という言葉も、最近ではよく聞くようになったように感じます。両者の関係をどのようにご覧になっていますか?

白谷
印刷書体と手書き書体、一見相反するもののように感じますが、近年は特に、タイポグラフィーとカリグラフィーの関わり方が密になったと感じています。どちらも共通点がたくさんあり、そして互いに学ぶことが多いのです。カリグラフィーでも文章量の多い作品は特に、より読みやすく美しく文字を配置するにはどうするべきかと考えます。そのときにタイポグラフィーの知識があると大変役立ちます。

太田
僕がドイツに渡って最初に文字と向き合ったのは、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学のブックアート科に所属してすぐ、大学内の手書き文字の講座に出席していたときでした。授業の名前は「文字」で、それとは別に「タイポグラフィー」の講座があったので、「タイポグラフィー」とは別の「文字」の講座なんだというぐらいの認識で参加したのですが、初回でいきなり植物の茎を切って、インクをつけて、文字を書くことになって、「これはカリグラフィーの講座だったのか!」と認識したのを覚えています。ペンでも慣れていないのに、いきなり植物の茎でうまく書けるわけもなく、大苦戦しました。

そもそもドイツの大学の講座に参加すること自体初めてだったので要領もつかめず、もらった見本を真似して、先生に教わった通りとにかく一文字一文字一生懸命綺麗に書こうと必死になっていたら、僕の予想に反したところを指摘されたんです。それは、もっと行間を空けるようにということでした。小学生の頃、漢字を覚えるために漢字練習帳にびっしり書き詰めていたように、画用紙にびっしりとドイツ語の文章を綺麗に書こうとしていた僕の文字を見て、先生は最初に行間を指摘しました。

今思えば何ら不思議なことはないのですが、当時は何もわからずとにかく目の前の一文字を綺麗に書こうと躍起になっていたので、先生の指摘もしっくりきませんでした。

その後、ミュンヘンの活版印刷工房で作品制作のために滞在し、活版印刷の研修をみっちりと受ける機会があったのですが、そこで毎日朝から晩まで活字を組み続けて、手書き文字の講座で指摘されていたことをすんなりと理解したんです。「活版印刷研修のあとに、手書き文字の講座に参加していたら、全く違う取り組み方をしただろうな」と、ほんの数ヶ月前の自分を恥ずかしく思いました(笑)。

太田のミュンヘン活版印刷研修の様子(2014年)

白谷
手書き文字を初めて習うときは、文章を組むことよりも文字そのものを見る方を優先してしまいますから、太田さんが行間を考えずに一字一字丁寧に書いていたお気持ちはとてもよくわかります。母国語ではないので、なおさらですよね。

全く同じ事がカリグラフィーの世界でも言えるんです。カリグラファーは基本的に書体の練習を重ねますので、結果的に文字の形ばかりを気にしすぎて作品の構成力が弱かったりします。タイポグラフィーを知る事で、スペーシングの知識やレイアウトの感覚を養う事が出来ます。一方でタイポグラファーや書体デザイナー達は、文字そのものの骨格や成り立ちを知るためにカリグラフィーを学ばれます。最近は手書き風フォントも多く出ていますので、実際に筆記具を使って手書きで書いたら文字はどのような動きになるのかを知る事はとても大切です。

書体デザイナーでありカリグラファーでもある、ドイツの巨匠ヘルマン・ツァップさん(1918–2015) は、カリグラフィーのスケッチから手書き感のあるフォントを作り出しました。同じくツァップさんと一緒に仕事をされていたドイツ在住で書体デザイナーの小林章さんは、カリグラフィーを知ることの重要性を多くのデザイナー達に伝えてくださっています。影響力のあるこのお二人のおかげで、カリグラフィーとタイポグラフィーがお互いの存在に気づき、ぐっと距離が近づいたと言っても良いと思います。

白谷 泉「A toast to the new millennium」(2004年)

太田
なるほど。僕は意図せず、タイポグラフィーとカリグラフィーの間の行き来をドイツで体験していたんですね(笑)。

ところで、カリグラフィーに関わる人から「〇〇という書体を書ける」というような言い回しを聞いたことがあります。これは「〇〇という活字を持っている」とか「〇〇というデジタルフォントを持っている」という状態に似ているようにも聞こえるのですが、どう思われますか?

白谷氏が平筆で書いた、トラヤヌス帝の碑文をもとにしたローマンキャピタル体

白谷
活字を持っていることと、書体を書けるということは、少し意味合いが違います。タイポグラファーは完成された活字を組みますから、組む技術に長けています。どの活字を選択して、どう配置するかで、作品の表情が変わってくるのだと思います。カリグラファーはまず文字を書きます。書き方によって、いくらでも文字の表情を変えることが出来ます。同じ書体でも形がひとつではないのですね。なので「○○書体を書ける」と一言でいっても、基本形だけではなく、目的に合わせてさまざまなイメージでその書体をアレンジ出来るかどうか、そこに技術と経験が問われます。もちろんその後のレイアウトがうまくいかないと文字は生きてきませんから、構成力を養うことはタイポグラフィーと同じく大変重要な部分です。

白谷 泉「Kindness」(2015年)

白谷 泉「Son of God」(2006年)

タイポグラフィーもカリグラフィーもその書体選びやレイアウトひとつで見る人に与える印象が変わります。カリグラフィーの場合、手書きならではの偶然生まれる線に期待するときが多々あります。少し危なっかしい、でも人間的・感情的な線とでも言えるでしょうか。タイポグラフィーは、もっと確実なものを確実に見せていく、でもそこにセンスが問われ、文字の組み方次第でイメージが変わってくる。そしてそこには手書き文字にはない、また違った「温かみ」を伝えることが出来るのだと思います。活版印刷の文字は特に、手書き文字と似た「人の温もり」を感じるので、見ていてとても落ち着きます。

白谷 泉「REQUIEM」(2018年)
墓碑に掘られる文字をカリグラフィーで書く白谷氏


今回の温ね先

白谷 泉(しらたに・いずみ)
幼少から書道に親しみ、大学在学中に西洋書道(カリグラフィー)と出会う。 広告会社勤務を経てカリグラフィー留学のため渡英。
Calligraphy、 Heraldic Art(紋章美術)、 Illumination(装飾美術)の HND(Higher National Diploma)を取得後、Royal Warrant を持つカリグラフィーオフィスに勤務。ロンドンにて個展開催。
現在は日本を拠点に、コミッションワークの他、白谷泉カリグラフィースタジオ主宰、日本カリグラフィースクール、学校や企業において講師を務め、フリーランスカリグラファーとして活動中。英国カリグラフィー団体 CLAS の Fellow、NPO法人ジャパン・レターアーツ・フォーラム理事。


第十一回 「文字を温ねて(5)〜カリグラフィーの今日と未来編〜」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)