本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第九回 「文字を温ねて(3)」

カリグラフィーと本

太田
カリグラフィーが本という形で作品になっているものがありますよね。
カリグラフィーには写本を参考にして考えられてきた一面があるということでしたが、写本を元にカリグラフィーが発展して、そのカリグラフィーをまた本にするという流れをどのように見ていますか?

白谷
手書き文字の歴史をさかのぼると、本という形になる前から文字は存在していますよね。実際、カリグラフィーの中でも重要な基本書体となっているローマンキャピタル体は、紀元113年頃に建てられたローマの碑文が元になっています。カリグラフィーの歴史がどこから始まるかを明確に答えるのはとても難しいですが、それでもほとんどの書体は写本の文字がベースになっていますから、本とカリグラフィーはやはり切り離せない関係です。現代のカリグラファーたちが作品を制作する上で本という形態を選ぶことは自然なことだと思います。

イギリスでは「写本を模写する」という課題を多くのカリグラファーが経験します。当時使われていた羊皮紙の加工段階から羽根ペンの制作、インクやメディウムなどもなるべく当時のものを再現して使います。大変時間のかかる作業ですが、カリグラフィーを真剣に学ぶ者にとってはとても魅力的な制作過程であり、文字がどのような環境で書かれていたのかを理解する上で貴重な体験となります。このような写本を模写した作品も、本を意識した作品といえるかもしれません。

一方で、現代のカリグラファーたちは作品制作における「本」という概念をもっと広く考えています。本は綴じてあるべきという考えにとらわれず、例えば手で巻き開きながら読んでいく巻物も、箱に収まったカードを一枚一枚めくる動作も、本とつながるような気がしています。そういう意味では、カリグラフィー作品としての本の世界は無限に広がっていますし、カリグラフィーアートの可能性を感じます。

白谷氏のカリグラフィーの道具。

太田
一歩間違うと、ただ元の形式に戻しているだけに見えかねない作業を、あえてやるというところに可能性があるのではないかと思います。カリグラフィーを書いて、見せ方としてはいろいろな選択肢がありますよね。額装して一枚で見せるものもあるし、すごく大きな面で見せて、それで感じる迫力があったり、カードとかもそうですよね。そういういろいろな選択肢がある中で、あえて本という見せ方を選ぶというのは、すごく可能性があるように感じます。

もともと写本がある中でカリグラフィーを本にするのは、「とりあえず本だ」というように、下手をすると安易な手法になりかねないというか。でも反対に、元の写本との関係を乗り越えるようなところまでいったら、「戻す」なんてことは間違っても言えないような、同じ本だけど写本のときとは違う、全く新しい価値を持った、新しいステージに入れるのかなというイメージがあります。そこに本として見たときの可能性があるのかなと思います。

白谷
イギリスで「現代の写本を作る」というようなプロジェクトがいくつか立ち上がりました。模写ではなく、現代版を新しく作るのです。それは確かに写本という歴史を意識しているからこそですが、「戻る」という感覚ではありません。写本の恩恵を受けて私たちは文字を書いている、では現代の私たちが作ることの出来る新しい写本の形とはどういうものか、という試みです。世界中のカリグラファーがイギリスに集まって何年もかけて出来上がった現代の写本は、本当に素晴らしいものでした。太田さんのおっしゃるように全く新しい価値を持った芸術品になりました。

太田
それはブックアートとしても、非常に興味がありますね。

太田の作品も展示されていた、2016年のヘルツォーク・アウグスト図書館(ドイツ、ヴォルフェンビュッテル)における展覧会では、大量の写本が収蔵されている中で、ブックアート作品とヘルマン・ツァップ氏らの手書き文字の作品が並べて展示された。

カリグラフィーとブック・バインディング、それからブックアート

太田
ところで、白谷さんはイギリス滞在時に、製本のワークショップにも積極的に参加されていたとのことですが、ブック・バインディングのどんなところに面白さを感じましたか?

白谷
ブック・バインディングはカリグラファーが習得したい技術のひとつです。日本でも人気ですね。ここでもカリグラフィーと本との関係の強さを感じます。私はブック・バインディングの丁寧な作業そのものがとても好きでした。紙を真っ直ぐに切ったり、角を揃えたり、極めてシンプルな過程も、それが積み重なることで美しいフォルムに仕上がっていく。

当時夢中になっていたのは、コプティック・バインディングです。イギリスの夏は日が長いので、公園に敷物を敷いて皆それぞれに絵を描いたり編み物をしたりと好きなことをして楽しみますが、私は製本道具とランチボックスを持って行き木陰で一日中縫っていました。そんな人、見たことありませんが(笑)。ただ単純に、ひとつひとつ綴じられていく感覚が好きだったのだと思います。丁寧に綴じるとしっかりそれに答えてくれる様子は、文字を書くときの感じと似ているのかもしれません。

白谷氏のカリグラフィーの道具。

太田
白谷さんのお話を伺っていて、「丁寧な作業を集中して重ねていく」というところは、カリグラフィーとブック・バインディングで共通するなと思ったのですが、一つ、両者で違うのかもしれないなと思ったことがありました。製本の場合は、たいてい、プロのレベルでも「綴じる」という作業自体に関しては完璧な綺麗さを目指していて、それ自体には味わいとか感情みたいなものはあまりないなと思って。もし作品として何かを表現するとしたら、綴じるのはあくまで完璧に綺麗にした上で、それを何に使っているかとか、どういう素材をどんな風に仕上げたかというところに味わいが生まれるように思います。綴じ単体は、例えばキュッとしまっているべきところを緩くしたりするのは出来るかもしれないですけど、あまり見たことがありません。プロのレベルになっても、どれだけ上にいっても、綺麗にやっていくところを突き詰めていくイメージがあります。

カリグラフィーは、僕はやってないのでわからないですが、おそらく教わって最初は、書き方とか書体とか、手本がある中でそこに近づいていけるようにやっていって。そういうのが前提になったときに、もっと気持ちを込めて、表現として出てきたりとかするのではないかなと思いました。でもそれはものによりますかね。

白谷
その通りです。カリグラフィーはまず、文字の骨格を理解して、書体の特徴をつかみ、基本を忠実に書けるかどうか、書けるようになるための努力を惜しまず、練習に時間をかけられるかどうかにかかっています。それを乗り越えた人にしかわからない次の景色があります。ブックアートの世界で「綴じる作業」の完璧さが大前提であれば、カリグラフィーの場合は「基本の文字を理解している」ことが大前提であると言えます。それはお手本通りに丁寧に書けるようになればOKということではなく、その書体の仕組みを頭で理解しているかどうかということです。基盤がしっかり出来ているからこそ崩していけるのです。ただいつも思うことは、「基本」と一言で言っても、実は上に行けばいくほど「基本とは何か」が違う次元で見えてくる。

太田
なるほど。そうなってくると、たしかに白谷さんがおっしゃる通りで、ほかのいろいろなことにも言えることかもしれないですが、カリグラフィーとブックアートの共通する部分を感じますね。ブック・バインディングを引き合いに出していたのに、気づいたらブックアートに繋がってしまいました(笑)。素人から見ると、カリグラファーは美しい文字を書ける前提で崩して表現しているんだなとしか思えないことが、わかっている人からしたら、その中でも押さえるべきところはしっかり押さえられているんですね。

白谷
そうですね、何に対してもそうだと思いますが、ベースが出来ていないと絶対に乗り越えられない壁というのがあります。ブックアートもそうですよね。

太田
ブックアートは特に、デザインの要素も入ってきていたりして、押さえていないと突っ込まれるポイントが意外に多く、そこに嫌気がさしてブックアートの世界から去っていく学生をドイツでもたくさん見てきました(笑)。


今回の温ね先

白谷 泉(しらたに・いずみ)
幼少から書道に親しみ、大学在学中に西洋書道(カリグラフィー)と出会う。 広告会社勤務を経てカリグラフィー留学のため渡英。
Calligraphy、 Heraldic Art(紋章美術)、 Illumination(装飾美術)の HND(Higher National Diploma)を取得後、Royal Warrant を持つカリグラフィーオフィスに勤務。ロンドンにて個展開催。
現在は日本を拠点に、コミッションワークの他、白谷泉カリグラフィースタジオ主宰、日本カリグラフィースクール、学校や企業において講師を務め、フリーランスカリグラファーとして活動中。英国カリグラフィー団体 CLAS の Fellow、NPO法人ジャパン・レターアーツ・フォーラム理事。


第十回 「文字を温ねて(4)」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)