本が持つ役割や要素をアート作品として昇華させる太田泰友。本の新しい可能性を見せてくれるブックアートを、さらに深く追究するべく、ドイツを中心に欧米で活躍してきた新進気鋭のブックアーティストが、本に関わる素晴らしい技術や材料を求めて日本国内を温ねる旅をします。

第八回 「文字を温ねて(2)」

書とカリグラフィーの交わり

太田
書道とカリグラフィー、どちらも知っている白谷さんにとって、両者は共通する部分がありますか?

白谷
共通する部分はたくさんあると思います。ただ、本当の意味でそれに気づくまでは、とても時間がかかりました。カリグラフィーと出会い留学を決心するまでは、書とカリグラフィーの両方を続けていましたが、文字の形はもちろん、動きや流れも違う。この二つは交わることのない平行線だと感じていました。

書道教室に通っていた中学生のころ、集中しないで文字を書いているとすぐに先生に注意されました。なんとなく友達のことや部活のことなどを考えながら筆を動かしていると、瞬時に見透かされてしまうのです。当時はそれが悔しくて……。文字の練習のときだけは集中しようとしていました。書くときの集中力がそのときに養われたと言っても良いくらいです。本当に集中して書いた文字は何かが違うと気づき始めたのもこのころです。

これはアメリカでの出来事ですが、あるカリグラファーの作品を間近で見て、思いがけず涙が出てきてしまったことがあって。制作者とその作品について話したわけでもなく、しかも英語以外の言語で書かれていたので内容もよくわかりません。それなのに、なぜか心に深く響き、鳥肌が立つ思いでした。美しい文字だったからというような単純な理由ではない何かが私に伝わったのだと思います。文字が生きているように感じました。そのころの私は、カリグラフィーを始めてすでに10年近く経っていましたが、そのとき初めて「カリグラフィーって何だろう……」と、その秘められた力に胸が熱くなったのを覚えています。

このような経験や、修道院での体験※当連載、第7回に掲載などから、文字に気持ちを込めるとはどういうことかを真面目に考え始め、文章選びも慎重になっていきました。気持ちを込めると言ってもそう簡単にはできません。あまりにも感情移入し過ぎて、作品を作り終えたら疲れ果ててしまうことも多々ありました。でも、少しずつ感情のコントロールができるようになります。

あるとき、ものすごく集中をしてカリグラフィー作品を書いていたときに、ふと「これは何かの感覚に似ている」と思ったんです。それは若いころに書の練習をしていたときのあの感覚でした。一瞬周りが見えなくなって、無音状態の中にいるような文字の世界に引き込まれていく感じです。自分の中で「書」と「カリグラフィー」が交わった瞬間でした。

白谷 泉「YOUR CHILDREN」(2014年)

太田
カリグラフィーは書くこと自体に精神的な意味があって深められてきて、さらに「気持ち」の部分で書と共通する部分がある。そうなると、書も精神的な部分で深められてきているのでしょうか?

白谷
文字はどの国においても、記録を残したり情報を伝えるために進化してきたわけですが、その過程の中で、西洋の写本に書かれていた文字は精神性と深く関わっていると思います。日本の古典の書に関しては、西洋のような祈りの精神で書かれていたわけではないと思いますが、書を極めることで精神性が高まるという考え方はあるように思います。ただ、「書」と一言で言ってもいろいろあり、例えば漢字と仮名とでは全くその形が違います。漢字と比べて、仮名の世界はとても絵的だと私は感じています。文章に描かれている情景や心の動きなどを、線の強弱やかすれで見せることができる、とても美しい日本独自の文字表現です。

太田
僕は今回、漢字と仮名をあまり意識せずに一括りに「書」と言っていましたが、今のお話を聞いて、そもそも漢字があって、その形から仮名が生まれてきているというのを思い出し、ハッとさせられました。漢字を簡略化して生まれたという流れの中で、仮名はもともと漢字の絵的な部分を抽出されていて、そこからさらに表現的な部分を強調していったり、心の何かを乗せたりする仮名の書は、もう元の漢字とは全然違いますよね。

白谷
そうですね。漢字は情報を伝えるための役割が強かった。それに比べて、仮名は感情を表現できる、柔らかい文字として人気がありました。主に平安時代の女性たちに使われていましたから、見た目も女性っぽいと言えばそうですし、崩してつなげているのでとても読みづらいです。それでも流れるような文字の線が情景を映し出し、絵としても感じられる部分などはとても芸術的だと思います。

太田
そういう意味で、白谷さんの作品「アメニモマケズ」において白谷さんが試みている、アルファベットを縦書きにするということは、漢字から仮名を生み出したときの「一歩超えていく」という感じと共通しているように思います。

白谷 泉「アメニモマケズ」(2017年)

白谷
私にとってこの試みは、ただ単に横書きを縦書きにしようというものではないんです。アルファベットと仮名文字、その動き方や流れは全く違いますが、どちらも文字を構成している線だということに変わりはなく、言葉を伝えるためにその国の時代背景とともに発達してきました。日本文化で親しまれてきた線の表現方法に、アルファベットの流れを損なわないように重ねてみる。日本人であり、カリグラファーである自分が、どのような文字の流れを生み出せるのか……。そんな「線」への探求です。

漢字と違って、仮名はひとつひとつの文字が意味を持たないという点でアルファベットと似ています。文字が連なることで言葉が生まれますから、自然に文字をつなげて書きたくなります。その感覚はカリグラフィーととてもよく似ていると思います。

白谷 泉「Life began」(2018年)

太田
仮名をネイティブとして扱えるからこそできるアプローチですよね。縦書きを自然な感覚として持っている。

僕がドイツで活動していた頃、工房の中でスイス人の仲間が電話しているのをよく聞いていたのですが、ドイツ語で話していたかと思えば、フランス語に切り替わっていたり、またそれがイタリア語になっていたり、英語も自然に使っています。一方で僕は大人になってから一生懸命勉強して、やっとドイツ語を話していて。ネイティブレベルでいくつもの言語を自然に使う感覚は、僕には想像すらできないものなのだろうと憧れていたりしました。

それと同じように、横書きでしか書かない人々にとっては、縦書きと横書きの感覚というのはなかなか実感できない感覚だと思うのです。例えば本の世界では、ヨーロッパで「日本の本」というと、「逆から開くんでしょう」と言われることがよくあります。でも僕らからしてみたら、縦書きと横書き、本の右開きと左開きはそんな単純な話ではありません。場面や雰囲気などによって使い分けていますが、彼らがそれを実感するのは難しくて当然です。

そういう感覚をもって取り組んでいる試みなので、白谷さんのこの挑戦はすごく興味深く感じますし、意義があるように思います。言語が自由に行き来する今の時代だからこそ、より有意義ですよね。

白谷
西洋では左右対称が美しいバランスだと考えらえる事が多いですよね。日本では空間をひとつの要素として考えるので、アンバランスの中でバランスを取る。この感覚は私たちに自然に備わっていると感じます。この「余白の美」が、海外のカリグラファーにとってはとても新鮮なことで、彼らが日本の書に興味を持つ理由がよくわかります。

書とカリグラフィーを切り離して考えていた私は、書をやめてカリグラフィーを本格的に学ぶために英国に留学しました。でも、カリグラフィーについて深く知れば知るほど、幼いころから親しんできた書の感覚がついてまわってくるんです。これは本当に思いがけないことでした。帰国して改めて仮名について勉強を始めましたが、視覚的にも内面的にもカリグラフィーと通じる部分が多いと感じています。挑戦してみたいことが尽きませんね。


今回の温ね先
白谷 泉(しらたに・いずみ)
幼少から書道に親しみ、大学在学中に西洋書道(カリグラフィー)と出会う。 広告会社勤務を経てカリグラフィー留学のため渡英。
Calligraphy、 Heraldic Art(紋章美術)、 Illumination(装飾美術)の HND(Higher National Diploma)を取得後、Royal Warrant を持つカリグラフィーオフィスに勤務。ロンドンにて個展開催。
現在は日本を拠点に、コミッションワークの他、白谷泉カリグラフィースタジオ主宰、日本カリグラフィースクール、学校や企業において講師を務め、フリーランスカリグラファーとして活動中。英国カリグラフィー団体 CLAS の Fellow、NPO法人ジャパン・レターアーツ・フォーラム理事。


第九回 「文字を温ねて(3)」に続く
この記事を書いた人

太田 泰友(おおた・やすとも)
1988年生まれ、山梨県育ち。ブック・アーティスト。OTAブックアート代表。
2017年、ブルグ・ギービヒェンシュタイン芸術大学(ドイツ、ハレ)ザビーネ・ゴルデ教授のもと、日本人初のブックアートにおけるドイツの最高学位マイスターシューラー号を取得。
これまでに、ドイツをはじめとしたヨーロッパで作品の制作・発表を行い、ドイツ国立図書館などヨーロッパやアメリカを中心に多くの作品をパブリック・コレクションとして収蔵している。
2016年度、ポーラ美術振興財団在外研修員(ドイツ)。
Photo: Fumiaki Omori (f-me)