会うひとは会ったひとになる春がくる
漱石の手紙で最後の一文が「これから湯に入ります」となっているものがある。なんでそんな変なことつけたしたんだろう。特に手紙で。だって手紙がついてるときには漱石はぜったいお風呂上がった後ではないか。たしかに電話で「これからお風呂はいろっかな」と言うことはあっても。こんなふうに考えられるだろうか。さようなら、でも、またね、でもなかった。これからお風呂はいるからね、と漱石が相手にさいごに書いたのは、あなたの生活もわたしの生活もつづいていくからね、って言いたかったんじゃないかと。これから湯に入るし、あしたも湯に入るし、あさっても入る。そういうふうにつづいていくんだと。手紙を書いていてもあなたがそれを読んでいてもわたしたちの生活はつづいていくのですよ。いっぽうで。