【第36回】


夢は「飯田線」完全乗車
「青春18きっぷ」5回分の、まだ3回を残していて、どう使おうかとあれこれ机上で考える。このJR全国普通列車フリー切符の楽しいところは、路線図をにらみながら、あるいはネットで情報検索して旅程を企画する段階にすでにある。
 ブログやユーチューブを覗くと、この道の強者たちが無理めな旅程を組んで、易々とクリアし報告している。北海道から九州まで……などという「暴挙」に近い「青春18」旅もあり、これには恐れおののくしかない。真似をしようとも思わない点で「冒険」とも呼べそうだ。彼らに共通するのは、とにかく電車に乗っているのが好きということだろう。
 そんな中、これはとちょっと魅かれたのが「飯田線」完全乗車。JR東日本と東海の境目にある駅「辰野」から「豊橋」までつなぐローカル線で、約200キロ、90幾つかの駅をつなぐ。「日本最長普通列車の時間」であるらしく、鉄人たちをいたく刺激する。これに乗り継ぎなく、通して完乗できるのが、上諏訪始発で豊橋終着という便。上諏訪を9時22分に出発した電車が、約7時間後の16時16分に豊橋に着く。7時間乗りっぱなしである。
「青春18」旅で苦痛なのは、長時間乗車もそうだが、小まめな乗り継ぎがやっかいでおちおち車中で眠ることもできないこと。始発から終着まで乗り継ぎなし、というのはかなり魅力的である。そこで、机上でスケジュールを組み立ててみた。そんな話、興味ないよという方はどうぞすっ飛ばしてください。私も「鉄」分が入る以前(40代まで)なら、この手の話題はスルーしていた。執筆にあたって参考にしたのは「わたかわ 鉄道&旅行ブログ 乗り鉄&旅好きの現役男子大学生が全国を巡る!」で、車窓の風景も写真に収め、簡潔で読みやすい。
 東京西郊の中央線沿線「国立」駅を最寄りとする私にとって、難関は「飯田線」にとりつくまでと、豊橋からの帰還である。特急「あずさ」と、東海道新幹線を使えばぐっと労力は軽減できるが、「青春18」野郎の名折れだろう。どうせ、この年齢では困難なミッションだから、すべて普通列車による案を考えてみた。
 国立5時49分発で高尾へ。6時15分発松本行きで上諏訪下車。先に書いた飯田線完乗号に乗る(実際は辰野からが飯田線)。7時間の超長時間乗車を終え豊橋着。ここで東海道線と南武線、中央線を乗り継いで国立まで戻ってくる。机上の計算では、国立着は22時40分だ。100メートルを10秒で走れるなら1キロは1分40秒で走れるはず……というようなもので(ちょっと違うか)、いやあ、これは無理です。降参です。
 やれる可能性があるとしたら、上諏訪まで特急に乗り、飯田線完乗後、その夜は豊橋にホテルを取って泊まることだ。翌日、新幹線で東京まで戻る。だけどねえ、そこまでするつもりもないのだ。

大泉学園に大泉学園なし
 西武池袋線に「大泉学園」(東京都練馬区)駅がある。東京西郊の都市で東大泉に「東映東京撮影所」を持つことで有名。卓抜な和製パニック映画『新幹線大爆破』が、タイトルからして国鉄の協力を仰げず、駅のホームなどのシーンは大泉学園駅が利用されたと、何かで読んだ。私にとっては、古本屋の名店「ポラン書房」のある街で、そのために何年かに一度足を運ぶ。駅の北側、大泉学園通りを越えたあたりから碁盤の目のように整然と区割りされた住宅街が広がり、ここが「旧将校住宅」と呼ばれたことを知り、わざわざ訪ねたことも。

 そこである時気づいたのだが、駅名にある「大泉学園」という学校施設はこの地にない、ということだ。東横線に「学芸大学」「都立大学」と大学名を冠した駅にも、現在その名の大学はないが、かつてはあった。移転に伴い駅名にのみ残ったケースである。田園都市線「駒澤大学」には、ちゃんと現在も駒澤大学がある。しかし、「大泉学園」にはそもそも大泉学園は最初からなかったのである。
 どういうことだろう。安直なネット検索で調べたら答えは簡単(参照「街から」)。そもそも大正期にそれまで農村だったこの地を、箱根土地(のちコクド)が開発を始めた。武蔵野鉄道(現・西武池袋線)開業が1915年。「大泉学園」駅前身の「東大泉」駅は1924年開業。その宅地開発の際に高等教育機関を誘致し、学園都市とする構想があった。東京都千代田区にあった一橋学園を誘致した「国立」は箱根土地による成功例。ところが、大泉学園はそれに失敗した。結果、駅名と町名だけが残った。
 現在「大泉学園小学校」「大泉学園中学校」とあるのは、町名に由来するもので、学園都市構想とは関係がない。しかし、どうでしょうか。駅名や町名に実態のない「学園」の文字を残したことは、この街に落ち着きと品格をもたらしたと私は思う。土地の値段も、「大泉学園町」と、単に「大泉町」というだけでは、1割ぐらい違ってくるのではないかと。
 そう考えると、国分寺と立川の中間にあるからついた「国立」駅も、「一橋学園」駅と名乗ってもよかったかと思うが、そうならなかった。あきらかに学園を中心とした街づくりがされているのだが。なぜだろう。これは宿題にしておこう。
 後日、片木かたぎあつし編『私鉄郊外の誕生』(柏書房)に、絶好の記述を見つけたので付け加えておく。木方十根きかたじゅんね執筆による「つつみ康次郎やすじろうによる学園都市」という文章。箱根土地の創業者が堤康次郎だ。堤は目白文化村、大泉学園、小平学園と郊外の鉄道沿線への近代的都市建設に着手した。
「堤は震災直後の1924(大正13)年11月、大泉学園都市の分譲を開始、武蔵野鉄道(現・池袋線)に新駅(東大泉駅、現・大泉学園駅)を寄付した。大泉学園都市は、震災を受けた東京商科大学(現・一橋大学)の移転候補地として開発されたが、最終的に東京商科大学は国立に移転し、大泉は学園を欠く学園都市となった」。
 なるほど、私の記述よりこの方が分かりやすい。なおも木方はこう続ける。
「その当初計画(1924年)は、幅員40間の中央道路の左右を分譲地、中央道路の突き当たりを『学校、公園、マーケット、娯楽場予定地』の施設用地としたが、これら施設の計画は具体的でなく、東京商科大学の移転先が国立に変更されると、施設予定地は徐々に宅地に転換された」
 つまり、堤が大泉学園で夢見た学園都市構想は、国立で実現したということになる。いやあ、勉強になりました。

常磐線・南柏駅「大江戸そば」
 南柏駅前の商業施設「フィールズ」で古本市が開催されている、というので出かけてみた。古本市のことはさておいて、ちょうど昼どきだったので、立ち食いそば制覇(そんな大げさなつもりはないが)として駅改札出てすぐの「大江戸そば」へ。ここはもと「喜多そば」と名乗るNRE系のチェーン店。いま「NRE」なんて、かっこいい言葉を使ったけど、これは「日本レストランエンタプライズ」の略。かつての「日本食堂」ですね。JR東日本の飲食事業子会社。
 もちろん、これは最近知ったこと。立ち食いそばについてあれこれ調べているうち、基礎知識として身についたのだ。都心では池袋駅構内にもあって、そうか、それでは食べたことがあると気付くような、私は初心者であります。南柏店は券売機スタイル。かけそば270円、かき揚げそば380円とやや低めの値段設定か。中華そば420円があるのは珍しい。私は冒険心がなくて、いつもの通りかき揚げそばと、いなり2個130円をつけた。

 食券を出して冷水器で水を汲み、カバンをカウンター下に収納していたら、あっというまにそばといなりが出てきた。そばは「ゆで麵」(一度ゆでたのを用意し、注文が来るとさっと湯にくぐらせる)、かき揚げも作り置きで丸い型に入れて揚げるらしく、ほぼ真ん丸。麵はぼそぼそした独特な触感。かき揚げは十分汁に浸み込ませないと崩れない。汁は濃いが割合すっきりした甘め……と、私の立ち食いそば評も板についてきた。

 まあ5点満点の3点か。これはけっして悪い評価ではない。立ち食いのメリットは「早く安い」が至上の条件で、加わる特色や美味さはオプションである。いろいろ立ち食いそばに関する食レポを読んでいると、「貶すほどではないが褒めるには至らない味わい」などと秀逸なものに出合い大笑いした。うまいこと言うなあ。
 しかし、これぞ立ち食いそばの本道ではないか。これでいいのである。わくわくするような高揚感や期待感はほぼゼロ。目指す穴は狭く固定されていて、そこへスポッと過たず通れる。この安定感こそ立ち食いそばの「味」である。もちろん「大江戸そば」は合格。真冬の空腹時に、これに出合えれば評価は1ランクアップする。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。