南條 竹則

第10回 シュウマイ・ガール──獅子文六と中華街【前編】

 子供の頃、本屋さんで文庫の棚を見ると、獅子文六や源氏鶏太、丹羽文雄といった作家の本がズラリと並んでいたのを思い出す。
 その後、これらの作家の本は、賞味期限が切れたかのように書店で見かけなくなっていたが、ここ数年、獅子文六の小説は次々と復刊されて、隠れた人気作家となっているようだ(ちなみに源氏鶏太の本も出ている)。かくいうわたしも、最近の復刊によって獅子文六の代表作を楽しんでいる。
 獅子文六は食い道楽で知られ、『食味歳時記』のような食べ物関係の随筆も書いているが、小説を読んでいても、作者の食いしん坊ぶりが伝わってくる。
 だから、この人については色々書きたいことがあるけれど、まずは中華料理の話から始めよう。なにせ、彼の故郷は横浜だから。
 満州帰りの人々が戦後に持ちきたった餃子とちがい、シュウマイは戦前から日本人に知られていた。とはいえ、今のように広く親しまれるようになったのはやはり戦後のことで、そこに獅子文六の小説が一役買っている。
『やっさもっさ』という小説である。
『やっさもっさ』は『てんやわんや』『自由学校』と共に敗戦後の日本を描いた三部作の一つで、1952(昭和27)年、「毎日新聞」に連載された。
 物語は、当時「戦争児」と呼ばれた子どもたち──米兵と日本女性の間に生まれた子供である──のために作られた孤児院を舞台としている。
「双葉園」というこの施設を経営するのは、地元横浜の財閥・福田家の大奥様だが、実務を取り仕切っているのは志村亮子という夫ある婦人だ。
 やり手で野心家の亮子は福田家の番頭の娘である。
 その彼女の切り盛りと奮闘、貿易商とのアヴァンチュール、戦場から腑抜ふぬけのようになって帰って来た夫四方吉よもきちとの関係、そしてエリザベス・サンダース・ホームに取材した孤児院の実際が描かれる。
 脇役として赤松太助という野球選手が登場するが、彼は亮子の友達大西説子の知り合いだ。
 赤松はじつは野球が嫌いなのだが、素質に恵まれ、難病の妹を支えるためプロ球団に入ったという変わり種である。彼は花咲千代子という娘に惚れているが、千代子は何と「シュウマイ・ガール」の仕事をしているのだ。

 シュウマイ・ガールという商売。エンジ色のシナ服を着て、応召兵のように、肩からタスキをかけ、それに、赤く「シュウマイ娘」という字が、書いてある。ひじに、商品を入れたバスケットをかけ、列車の窓に向つて、
「エー、名物のシュウマイ、お召しになりませんか」 
 と、可憐にして上品な呼声を、張り上げる。戦前から、シュウマイの駅売りはあったが、このような体裁の女子を出現させたのは、戦後的商策である。(『やっさもっさ』ちくま文庫、145頁)
 赤松は遠征で東海道線を往復する際、横浜駅で千代子を見初みそめたのだった。
『やっさもっさ』のシュウマイ・ガールは崎陽軒の「シウマイ娘」をモデルにしている。
『やっさもっさ』は1953(昭和28)年、松竹によって映画化された。渋谷実監督。亮子を淡島千景、赤松を佐田啓二、千代子は桂木洋子が演じた。画面に登場するシュウマイ・ガールは評判を呼び、「明治創業の崎陽軒が、戦後の大躍進を遂げた」と野見山陽子「獅子文六の横浜愛」(『やっさもっさ』ちくま文庫、398頁)にある。
 実際、戦後生まれの日本人がシュウマイという食品に対して抱いた観念は、崎陽軒が定着させたと言って良いだろう。豚肉を餡にして、グリーンピースが入っているあの形だ。
 だから、そんなわたしたちが中国へ行くと面食らうことがある。
 本場のシュウマイには、さまざまな種類があるからだ。
 たとえば、上海など南の方では、「糯米もちごめ焼売」をよく見かける。肉やシイタケなどを入れて味つけしたおこわを皮に包んだシュウマイだ。
豚肉ならぬ羊肉のシュウマイもある。これは元々北方の味覚だろう。乾隆帝ゆかりの北京の老舗「都一処」のメニューにも入っている。
 包子パオズで有名な揚州の「富春茶社」へ行くと、名代の点心の一つに「翡翠焼売」がある。「糯米焼売」の一種だが、翡翠という名の通り、ほうれん草が入っているので餡は緑色を帯び、味は甘い。
 わたしは前に日本の餃子の歴史を少し調べたことがある。
中国では水餃子・蒸餃子が主流なのに、わが国でなぜこんなに焼餃子が流行はやったのかというと、そこにはこんな事情があった。
 焼餃子を最初に──かどうかはともかく、初期に──売り出したのは渋谷の恋文横丁の店だが、丹羽文雄の小説『恋文』の映画化(昭和28年)によってこの横丁が有名になり、焼餃子も瞬く間に全国を席巻したらしいのである。
 してみると、我々に馴染みの深い二つの中華料理の基本形を、戦後の新聞小説と映画が作ったことになる。
 シュウマイよ、おまえもか──


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)