南條 竹則

第9回 食魔と大根【後編】

 前回、「食魔」の主人公・鼈四郎べつしろうが「大根のちり」を食べる話をしたが、彼がそんな酔狂な料理をこしらえたのは、貧しくて材料がなかったことが理由の一つ。もう一つの理由はこうだった。

 これは西園寺陶庵公が好まれる食品だといふことであつた。彼は人伝てにこの事を聞いたとき、政治家のかたわら、あれだけの趣味人である老公が、舌に於て最後に到り付く食味はそんな簡単なものであるのか。それは思ひがけない気もしたが、しかしうなづかせるところのある思ひがけなさでもあつた。そして彼には、いはゆる偉い人が好んだといふ食品はぜひ自分も一度は味つてみようといふ念願があつた。(『岡本かの子全集』第五巻 冬樹社、299頁)
 陶庵公とは、もちろん西園寺公望のことである。
「大根のちり」は贅沢を究めた天下の通人が辿り着いた境地ということだが、大根にびた楽しみを見出した有名人は他にもいる。
 たとえば、宋の大詩人・蘇東坡もその一人だった。
「東坡肉」という料理があるくらいだから、蘇東坡は肉類も好きだったが、野菜の淡白な味も解した。
 彼の名前を冠した料理に「東坡羹とうばこう」というものがある。これは白菜かカブラナ、または大根、なずなを煮て、生米を加えて羹にしたものだ。ちょっと七草粥を思わせる。彼は「東坡羹頌」という詩を書いて、それに長い序文もつけているから、実際にこういう料理を作ったのだ。
 こちらは実話かどうかわからないが、林洪の『山家清供』という本にこんな話が載っている。
 蘇東坡はある晩、弟の蘇轍と酒を飲んだ。酔いがまわって良い気持ちになってきた頃、大根を叩いてとろけるほどに煮て、調味料は一切加えず、研いだ白米を加えたまじりにした。
 それを一口食べると急に箸を置き、机をさすりながらこう言った。
「天竺の酥酡そだでもないかぎり、人の世にこんな美味いものはあるまい」*
 また、こんな話もある。
 劉貢父という人は『資治通鑑』の編纂に携わった史学家として知られるが、ユーモアのある人で、蘇東坡と親しかった。
 ある時、蘇東坡がこの人に向かって言った。
「僕は弟と試験勉強をしている時、毎日三白を食べたが、じつに美味いものだよ。世間で『八珍』なんて言うが、そんなものは目じゃないよ」
「何だね、それは」
 と劉貢父が尋ねると、蘇東坡の答えるには──
「一つまみの塩、一皿の生の大根、一碗の飯──すなわち三白だ」
「はっはっは!」
 それからしばらく経って、劉貢父は「皛飯」を御馳走しようといって蘇東坡を家に招いた。
 行ってみると、テーブルに塩と大根と飯が載っている。アッ、やられたと蘇東坡は思ったが、笑ってそれを食べ、翌日劉貢父を家に招いた。
「毳飯」を御馳走するというのである。
 さて、劉は彼の家へ行って四方山よもやま話をしたが、いつまで経っても食べるものが出てこない。お腹が減ったと言っても、「まあ、少し待ちたまえ」と言うばかり。そんなことが三度も続いて、しまいに劉貢父が音を上げると、蘇東坡の言うよう──
「塩も毛、大根も毛、飯も毛──これで毳飯じゃないか」
 当時の言葉で「毛」と「無」は音が通じたので、こんな洒落が成り立ったのだ。
 日本と中国はどちらも大根消費国だから、時々似たような話がある。
 元禄16年刊の『軽口御前男』巻之一に「御進物の大根」という一条がある。

 尾張の国宮重みあしげといふ所は、大根の名所なるが、太さ七尺まはり、長さ二間半の大根生へたり。これはめづらしき物とて、やがて禁中様へさし上げける。この大根、紫宸殿のきだはし上がらず。公家衆くげしゅ、ふしぎをなしけるに、かの大根、臆病者にて、紫宸殿のきだはしを大根おろしかと思ふて、上がらなんだ。大根一**の臆病者と笑はれた。(『元禄期軽口本集』武藤禎夫校注 岩波文庫、189頁)
 一方、中国では則天武后の御代に洛陽の郊外で途方もなく大きい大根がとれ、土地の農民が宮中へ献上した。
 困ったのは料理人たちで、何の芸もない大根料理を武后に食べさせるわけにはゆかない。そこで知恵を絞り、大根を細く切って上等なスープに入れ、燕のに見立てた。これも大根鍋に近いが、大根の切り方が違う。
 この料理は「牡丹燕窩」といい、現在でも洛陽へ行って「水席」という汁物づくしのコース料理を頼むと、前菜の次に必ずこの名菜が出て来る。わたしも食べたが、中々オツなものだった。
【註】
*中村喬編訳『中国の食譜』(東洋文庫)の「山家清供」「玉糝羹」の条を略述した。
**大根一は大東一(日本一)の語呂合わせ。
※「食魔」からの引用は、前編後編共に『岡本かの子全集』第五巻(冬樹社 昭和49年)によった。但し旧字体を新字体に改め、適宜ルビを振った。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)