南條 竹則
第39回前編 賄征伐
 先年亡くなった哲学者の坂本百大ひゃくだい先生に、旧制高校の思い出を話していただいたことがある。
 先生は駒場の第一高等学校、すなわち一高の寮に入っていらした。
 の有名な「寮雨りょうう」のことなどをうかがううちに、こんな話が出た。
 腹の減った寮生が決まった食事では物足らず、まかないさんが御飯を作っているところへ押しかけて、食い物をかっぱらう。これを「まかない征伐」と称した。ノーベル物理学賞を取った小柴昌俊教授は坂本先生より上級だった。一緒に厨房へ押しかけ、細い片腕を振り上げて、「一高生はこんなに腕が細い。俺たちはこんなに飢えている」と叫んだという──
「賄征伐」とはじつに面白い言葉だが、坂本先生がいらした頃の流行語かとわたしは思っていた。ところが、先日村井弦斎の『食道楽』を読んでいたら、こんな一節に出くわした。
 その大原というのは同じ学校にいた朋友だが校中第一の健啖家で、その男の物を食べるには実に驚く。賄征伐まかないせいばつる時には一人で七、八人前を平らげるという剛の者だ。(『食道楽』上 岩波文庫 34頁)
『食道楽』は明治三十六年に発表された小説である。くだんの言葉はその頃からあったのだ。調べてみると、正岡子規がこれについて書いている。その名も「賄征伐」という随筆で、『筆まかせ』第二編に入っている。
 子規は東京へ出て共立学校(現開成中学・高校)、次いで東大予備門(後の一高)に入学した。問題の随筆に記されているのは、後者に寄宿した時のことだ。
 当時、寄宿舎の朝食は六時過ぎから八時まで、昼食は十一時から一時まで、晩食は五時から七時までで、この時間の始まりは必ずたくを振ってしらせる。だが、学生たちは定刻より早く入口の前に集まり、戸を激しくドンドン叩く。賄方まかないかたがその勢いに恐れをなして戸を開けると、餓えた若者らはドッと駆け込み、めいめいの席に着く。
 さいは「つけきりのもりきり」であらかじめ置いてあるが、飯は「小さきぬり物の丸きひつに入れて持ちきたり、こればかりは幾度かゆるとも勝手なり」。学生たちは飯を貰うのに「賄ひ賄ひ」と呼ぶが、小声では他の者の大声に搔き消されて聞こえないから、自分の名前を書いた木札で卓を割れんばかりに叩く。
 どんなものがおかずだったかというと──
 食費は一日十一銭位なりしが、朝飯の菜は味噌汁と豆位なり 午餉ひるめしは牛肉の煮たる者とさかなを煮たる者と隔日位なり 晩飯は西洋料理一皿なり これを下宿屋にくらぶれば雲泥の差ありといへども これを料理屋の料理にくらぶれば劣ることいふまでもなし 西洋料理¬抔とは名でおどすばかりなり。(『筆まかせ抄』粟津則雄編 岩波文庫 147頁)
 さて、学生たちはこの食堂の賄方に日頃不満を抱いていたのだろう。
 余ら兼ねてより賄征伐の名を耳にしたる事あれども未だこれを目撃したることあらず されば余らより後に入校したる人は無論これをらず、その名ありて実の絶ゆるは残念なり いで余ら一度これが実行を試みんとは余ら同級入舎生の日頃の持論なりき。(同148頁)
 そこで、「明治廿一年四月の末つかた」、同級生が檄文げきぶんを回し、示し合わせて食堂へおしかける。「なるべく沢山、飯櫃をかへて、兵糧一時に欠乏せしめて賄方を困らすべし」というのが狙いだった。
 余ら席に就くや否や直ちに札を以てゴツゴツドンドングヮツグヮツコンコンとはげしく打ちはじめたりしが、賄方の持ち来る飯櫃を半杯ほど茶碗にもり これを食ふや食はぬに直様すぐさま、飯櫃の飯を机の上にひッくりかへし、札をうちて賄を呼び この飯はつめたいとか かたいとか、ごみがあるとかいふ口実をつけて新たに持ち来らしむるなり(中略)かくて飯をかへてこよと命ずるために卓を打つの声はここかしこに起りて、百雷の一時に落つるが如く 耳しひとならんかと疑はれたり(とは法螺をぬきにしたる実事譚なり)また余らの机上の飯は山の如くうずたかく、フライの皿の中、ソースの海は肴をただよはさんとす。中には撃卓の声、堂中に満つるためになかなか賄を呼べども来らざれば これをよき口実として卓間をかけまはる給事人に飯櫃の蓋を投げつくるあり 木札をたたきつけるあり、また木札にて卓を打つ位にては河童の屁の如く響くのみなれば、終には飯櫃にて卓をたたき 靴にて床を鳴らすことさへ盛になりたり(同149-150頁)
 学生たちは散々食いちらかした挙句、やがて給事人──「ひげだらけの大男を通例とす」とある──と喧嘩を始める。人数が多いから学生の方が優勢で、勝鬨かちどきを作って引き上げるが、「余ら同級生は自分の座しゐたる食卓を覆したれば 醬油は流れて滝の如く 皿や鉢はこなごなに砕けて雪の如し」(同152頁)。
 当然のことながら、学校側は怒った。あとで首謀者が舎監室に呼ばれ、都合十一人が停学退舎を命ぜられた。どういうわけか子規は何もお咎めを受けなかったが、無実の罪で停学にされた学生もおり、仲間がその者のために弁明書を出すなど、騒動の余燼よじんはしばらくくすぶっていた。
 この荒っぽい所行に較べると、坂本先生の時代の「征伐」は大分形が変わったようだが、それでも伝統は受け継がれていたのだ。「その名ありて実の絶ゆるは残念なり」と言った子規らの志は遂げられたというべきだろう。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)