南條 竹則
第37回 毒草の味 後編
 前回御紹介した幸田露伴の「野道」は、岩波版の全集では小説の巻に収められているが、随筆といっても通るもので、実体験を綴っているとおぼしい。
 登場する三先輩は名を記していないが、そのうち一人は饗庭篁村あえばこうそんかと思われる。じつは薄田泣菫の随筆『茶話』に、「野道」の裏話ともいうべきものが語られているのだ。「毒草どくぐさの味」と題する文章で、大正五年八月五日の「大阪毎日新聞」夕刊に載った。
 幸田露伴氏が今のやうに文字の考証や、お説教やに浮身をやつさない頃、春になると、饗庭篁村氏などと一緒に面白い事をして遊んでゐた。
 それは他でもない、仲間が五六人行列を作つて、味噌を盛つた小皿を掌面てのひらに載せて野原に出る。そして真先に立つた一人が、其辺そこら道傍みちばたに芽ぐんでゐる草の葉を摘むで、それに味噌をつけて食べると、あとに続いた者は順繰じゆんぐりにその葉を摘取つみとつて食はなければならぬ。
 先達せんだちは仲間を懲らさうとして、わざと名も知らぬ草の葉に手をつけるが、それがどんな変てこな草だらうが、先達が食つたとあれば、仲間はいやでもそれを口にしなければならぬ。
 たまには見る見る先達の唇が腫上はれあがるやうな毒草にも出会でくはしたが、仲間は滅多に閉口しなかつた。
「なに、文久銭と蟹の甲殻かふらの他だつたら、味噌さへ附ければ、どんな物だつて食べられまさ。」
 こんな事を言ひ合ひながら、負けぬ気になつて、味噌をつけてはばりばり毒草の葉を嚙んだ。(『完本茶話』上 冨山房百科文庫120-121頁)
 かかる危険な道行きをして、「の悪い日になると夕方家に帰る頃には、皆の両唇がむくみ上つてろくに物も言へなくなつたやうな事さへあつた。」(同121頁)という。
「お陰で食べられる草と、食べられない草との見別みわけはちやんと附くやうになりました。」と露伴は言ったそうだが、こういう人だから山菜についても詳しく、「山のもの」という随筆を書いている。
 食ふべきものの中、園蔬圃蔬は人の心のにほひと手の力との添はりて生ふしたてらるるものなれば、もとより愛づべく尚ぶべけれど、山草野草も天の性の純と気の真とを保ちて萌え出づるものなれば、また甚だ悦ぶべく好まし。(『露伴全集』第三十巻 岩波書店187頁)
 露伴はこう前置きして、わらび、ぜんまい、こあみ、しどき、いら、をけらの六種の山菜について語る。和漢の典籍の知識と旅の実体験を交えた興味深い文章だ。
 このうちわらびとぜんまいはみなさん御存知の山菜だが、「こあみ」というのはコゴミだろうか。
 信濃国徳本峠を西へ超えて、穂高山の下、神河内といふところにて、五千尺旅館といふに宿借りし夜、膳の上に知らぬものあり。およそは蕨に似て気味も多く異ならねど、ただ繊く小さし。名をただせば「こあみ」と答ふ。つばきの類にわびすけあるが如く、いと侘びてしをらしく、幽人の酒を下さんには、ふさはしくおもしろく覚えたり。(前掲書191頁)
「しどき」は宮城・山形あたりでいう「しどけ」だろう。おひたしにする香り高い山菜で、わたしなども好物だが、露伴の描写は以下の如し──
 盒を開くに奇芳先づ人を襲い撲つて、緑濃き色の山蔬のゆびかれて薄醬油かけられたりと覚しきが見えたり。芹か、芹の如き気味無きにあらねども芹にあらず、茼蒿しゆんぎくか、茼蒿の如き気味もあれど茼蒿に異なり、鴨児芹みつばか、それに似ざるにもあらねども同じからず、葉人参か、それに近きところもあれど正に異なり。其の香や峻にして、咀嚼の間に歯牙も芳ばしからんとし、其味極めて淡くして淡中に至味あり、舌ざはり滑かならず、又粗ならず、歯ぎれ悪しからず、又脆きに過ぎず、正に是山士の雅饌にして、市人の美味とするものにあらず。(同192頁)
「いら」はミヤマイラクサ、東北地方でいう「アイコ」である。よくおひたしにするけれども、歯ざわり良く癖のないもので、露伴はこんな巧いことを言っている──
 嫩脆どんぜい愛すべく、香無く臭無く、辛からず収蘞ゑがらからず、ただこれ善良無邪気の人に接するが如し。(同193頁)
 最後の「をけら(朮)」は、「山でうまいものはをけらにととき」*と諺にもなっている。
 茹でて後に水に放ち、さて搾りて水を去り、胡麻にあへ、または薄醬油にひたす。舌触りはざらりとして粘滑ならず、口に入りたる感「たらの芽」なんどにやや似たり。(同194頁)
 山菜の好きな方はきっと御存知だろうが、わたしはまだ食べた記憶がない。この春、どこかで出会えることを願っている。
*とときはツリガネニンジンのこと。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)