【第54回】


そわそわ4月は「大人の休日」
「大人の休日倶楽部パス」を使って、4月に松本、いわき、新潟と回ってきた。期間限定、4日連続で東日本圏内JR路線(伊豆急行線などJR以外の一部対象路線を含む)が新幹線を含め乗り放題で1万5270円という極安、強力な特別切符である。50歳を越えると会員登録可能。50になってうれしいことなど何一つなかったが、これはうれしかった。
 何しろ、私が使う中央線最寄り駅から新潟まで、新幹線を使うと普通なら往復2万円強かかるから、これ1回でも元は取れる。だから年に数回、その時期が近づいてくるとそわそわし始める。今度はどこを攻めようか、あれこれプランを立てるのが楽しい。これぐらい酒のつまみとして最適なものはない。時間が机上でまたたくまに過ぎていく。つい、飲みすぎになるからご用心。
 今年の「大人の休日」はコロナ禍で1回延期され、「特別設定」というかたちで、本来の期間とは違う4月13日から22日に「東日本スペシャル」として設けられた。3日目に締め切りがあって、1回分はパス。いずれも日帰りなので、途中に1日休養が取れてちょうどいい。無理はしない。旅行というより、ちょっと遠出の散歩気分だ。「青春18きっぷ」だと早朝から始動するが、こちらはゆっくりめ。帰りも日が高いうちにと決めている。服装、靴、カバンも、いつも中央線沿線をうろつくのと同じである。

 最初の松本は雨。昼食は駅前の立ち食いそば「イイダヤ軒」で済ませ、周遊バスで旧開智学校まで行って、中央図書館を見物。歩いて町中まで戻り、「想雲堂」「アガタ書房」と古本屋を2軒巡り、1冊だけ買って喫茶「まるも」にてコーヒーで着地。これがだいたい3時間コース。さっさと帰ってきた。かつて松本行き特急「あずさ」には自由席がついていたのに、現在、すべて指定席に。仕方なく指定を取ったが、じつはガラガラだ。頭上に常磐線特急で取り入れた、空席、予約済席、まもなく予約乗車ありとランプが3色分けで表示される方式が導入され、これをチェックすれば指定を取らなくても大丈夫なようだ。「大人の休日」で指定が取れるのは6回までで、本当は使いたくなかったのだが……。
 2回目「いわき」行きは、古本屋「阿武隈書房」が目当てで、これは古本屋探訪の連載を持つ「古書通信」に書く。前述のとおり、1日置いて最終日に「新潟」へ行った。越後は快晴であった。

黄色いカレー、「無言館」展、ジャズ喫茶。新潟にて。
 新潟へは、これまで何度も出かけている。縁があるみたい。新潟「北書店」、そして長岡で小山力也さんと一緒にトークで呼ばれたのが2015年5月。それ以降にも「大人の休日」で2度は足を運んでいる。レンタサイクルで廻ると、ちょうどいい街のサイズだ。
 これまでノーチェックだった3点に事前調査でピンを止め、今回、遂行することにした。1は「バスセンターのカレー」(「万代そば」)だ。万代バスセンターはここを拠点に、高速バスが発着する巨大ターミナルだ。その1階に立ち食いソバ店「万代そば」がある。ここに全国で名がとどろくのが「黄色いカレー」だ。テレビ番組、雑誌等でさんざん紹介され閉店までに売り切れることもあるという。私は「ローカル路線バスの旅Z」の第10回(越後湯沢~山形駅)で、新潟駅でのバス待ち時間を利用して、マドンナの水野裕子(私の大のひいきタレント)が所望し3人で食べたのを見た。
 それで食べたくなったのだ。券売機でメニューを選び、カウンターで受け取る方式。店頭のあちこちに島式カウンターが設けられている。私が取りついたのは正午少し前だったが、1人待ちで買えた。名物カレーは3種。大盛(560円)、普通(480円)、ミニ(390円)。私は天ぷらそばも食べるつもりだったので「ミニ」を選択。見ていると、「大盛」カレーのみを注文する男性が圧倒的に多い。横目でほかの客を見ていると、「大盛」というより「巨大盛」レベルで、太平洋を思わせる量であった。

 頼んですぐ出てきた「ミニ」も、一般の立ち食いソバ店のカレーで言うと「普通」盛サイズ。しかし本当に黄色い。小麦粉を多めに投入するのか、ねばねばしている。玉ねぎ多し、ジャガイモ、ニンジンはなし。肉はお気持ちだけ。そして福神漬けが奮発され、黄色い花畑を飛ぶ蝶の乱舞のようだ。ひと口すくって食べてみる。うーん、こういうことか。つまり本格的インドカレーの対極。形容矛盾のようだが「甘い」カレーだ。いやあ、うまいです。
 かつてタモリが、若いころ、徹マンのあとに「まずいカレー」が食べたくなって、わざわざ中華店に出前を頼み、「これこれ、まずくてうまい」と言いながら食べたと言っていたが、これもそう。郷愁の万人向けカレーの王道である。グルメマンガ『美味しんぼ』で「カレー対決」の回があり、究極のカレーを研究するため山岡士郎がインドへ飛び、至高の海原雄山が「香りの組み立て方」と吠える。悪いけど、「黄色いカレー」はそういう次元のものではない。ネットの書き込みに「幸福の黄色いカレー」(山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』のもじり)とあったが、うまいこと言うもんだ。こういう「味」を否定する人とは食事をしたくない。

 このあと強風を切り裂いて「新潟市美術館」へ。ここも初めて。「無言館‐遺された絵画からのメッセージ‐」展を開催中。常設展が展示替えで見られなかったのが残念。長野県上田に窪島誠一郎が作った戦没画学生のコレクションによる美術館が「無言館」。私はどうも、「反戦」などのイデオロギーで先入観が植え付けられた美術を忌避していた。パンフにも「平和の尊さを身近に感じてみてください」とある。ううむ、と思ったがせっかくだから見たらこれはそうではなかった。
 何というか、もっと純粋に絵に対する思いが込められた、直接的に見る者に迫る作品群だった。風景や恋人、家族など、技法を凝らすというよりカンバスに絵具が乗せられていくこと自体に喜びがある。その気持ちがよくわかって、ゆっくりと歩をすすめ、1枚いちまいを真剣に見て回った。上田の「無言館」へもいつか行ってみよう。
 館を出ると、目の前に西大畑公園がある。絵を見た眼が、風景を絵のように感じさせる。美術館、公園ともに前川國男の設計だ。それもうれしかった。自転車にふたたびまたがり、地獄極楽小路を抜け(坂なので、行きは地獄、帰りは極楽という意味か)古町を西へ。前から目をつけていて未踏だったジャズ喫茶「スワン」でコーヒーとジャズを。ピアノ、ドラムセットが店奥にあり、しばしばライブも行われるようだ。ここでまったりとジャズを浴びながら過ごした1時間も、今回の新潟行きで忘れがたいものとなった。


片岡義男とサンドイッチとビール
 新潟駅に着いて、帰りは始発から自由席と思っていた。次の便の時間を見ると発車まで40分ほどある。こうなると、駅ビル南側に「ブックオフ」へ寄るのもいつものこと。そんなに余裕はないので、ざっと見て回り、片岡義男『ミス・リグビーの幸福』(ハヤカワ・ミステリ文庫)1冊のみ110円で釣り上げる。片岡の「私立探偵マッケルウェイ」シリーズ第1弾。異色なのは探偵のマッケルウェイが21歳と、驚くほど若いことだ。
 依頼者を訪問し、ドアを開けた途端にみながその若さに驚く(だいじょうぶかしらと不安も抱く)。ビール以外に酒を飲まず(何か飲む?と聞かれたら「アイスウォーター」を所望)、やたらに暴力も振るわず、へらず口も叩かない。何もかも規格外の探偵さんなのだ。2話目の「旅男たちの唄」では、極上の美女が、かつての恋人であるカントリー歌手(殺された)についての依頼をする。美女プリシラも例にもれずマッケルウェイの若さにたじろぐ。そして言うのだ。「リュウ・アーチャーのような私立探偵を想像してたの」。マッケルウェイはその名を知らず、実在の人物かと思う。ロス・マクドナルドを読んだことがないと分かる。そこで彼女は続ける。
「カリフォルニアの金持ちたちがそれぞれの過去の内部に秘めている黒い影に、読者を導いてくれる人」

 なるほど、うまい要約だ。5話「探偵アムステルダム、最後の事件」(驚愕の結末)に大規模な山火事のシーンが出てくるが、リュー・アーチャーシリーズの代表作『地中の男』でも山火事が重要な役目を果たす。これはオマージュであろうか。
 新幹線車内で読むために、エキナカのコンビニ「NewDays」でサンドイッチとビール(「アサヒdry」ロング缶)を買う。自由席の窓際席を確保し、大宮まで飲む、食べる、読む。文庫が100円+税、サンドイッチとビールが600円ぐらい。締めて700円台で済む安い買い物だが、心を満たす実力はかなり高い組み合わせである。おかげで大宮までの1時間半はあっというまだった。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。