【第58回】


原色 秋の野外植物裸本の魅力
 古本屋で手に取って、ああこういう本が一冊欲しかったんだと思った。それで買ったのが、本田正次『原色 秋の野外植物』(三省堂)で、新書を一回り小さくしたサイズ。背は縦長の函入りだが、本体は横長でいかにも野外での携帯に便利そうである。同じく「春」「夏」編も刊行されたと巻末の広告で分る。

 昭和27年の本だが、驚いたのはその定価で450円がついている。かなり高い。この年、大卒初任給が6500円、コーヒー30円、週刊誌25円。どうだろう、現在の物価換算で20倍と一応見て、9000円ぐらいの感じであったか。10倍なら4500円だがそれでも高い。昭和27年に「原色」版が高度な印刷技術を必要とし、費用がかかったのかもしれない。
 1ページに1つ、花(植物)がカラー版の精妙な絵で示され、解説がつく。私は夜中、ちびちびとウイスキーをなめながら、詩集を読むようにページをめくって楽しんだ。たとえば「オミナエシ」。短いから解説の全文を引く。
「山野に生えている多年生の草で、高さ60cm~1mばかり、草は対生して羽状に深く裂け、裂片は尖り、緑にあらい鋸歯がある。秋の頃、茎の頂および葉のわきから長い花軸を出して黄色いアワ粒のような小さい花をたくさん集めて開く。秋の七草の一つである」
 植物の特性や形状の描写に徹し、詩情も私情も交えず簡潔である。
 日頃は「愛という官能の歓びと哀しみ、エロティシズムの破壊性、女体の永遠性こそが詩人の主題であるように思われた。愛という精神性はこれっぽっちも見出すことができなかった」(野呂邦暢『愛についてのデッサン』)というような文学的な文章ばかり読んでいるので、たいへん新鮮である。
「短いので解説の全文を」と書いたが、じつはページの半分。同じページにもう1つ「オトコエシ」なる植物が掲載されているのだ。名前どおり「オミナエシ」と対となりオスとメスだ、花がこちらは「白」である以外は形状も似ている。知らなかったなあ「オトコエシ」。
「ヒメシオン」という花も見つけ、ああヒメジョオンのことねと早合点したら、解説の最後に「これと帰化植物のヒメジョオンと間違えてはいけない」と叱られてしまった。

トマトで酒を飲む緒形拳
 映画・ドラマと松本清張原作は生前も死後も映像化作品が量産され、2時間サスペンスドラマの油田となっている。「松本清張ドラマ」と銘打てば手堅く視聴率を稼げるし、根底にある人間の愛憎がどの時代にも視聴者の胸に響く。……なんて、通り一遍のことをシレッと書いているが、じつは2時間ドラマはほとんど見ない。鯛焼きの鉄板に溶いた粉とあんこを流しこんで一丁上がり、というルーティンの手口がいかにも安直だ。
 珍しくCS放送で『中央流沙』(1998)再放送を見たのは、主演が緒形拳だから。それなら安心して見ていられる。通産省を巡る贈収賄疑惑に課長補佐の倉橋(鶴田忍)が巻き込まれ、証拠隠しのため自殺(ただし、想像の通り他殺だった)。倉橋と親しかった同省の事務官・山田(緒形拳)は、その死を不審に思い、密かに調査を始める。そんな筋立て。
 強権、横暴な上司・岡村(石橋凌)の前で、ひたすら頭を下げるわびしい官吏役をペーソスあふれる演技で緒形が見せる。さすがに並の俳優とは違う。妻を亡くし、娘は海外へ。一軒家で一人暮しをする中年男のわびしさも、三村晴彦演出はしっかり描く。家に戻り、リビングで風呂上りの晩酌をする緒形。部屋には洗濯物が吊るしてあり、扇風機には丸い輪っかがかけられてある(あれ、何だろう?)。クーラーはなさそうだ。
 スーツを脱ぎ捨て開襟シャツでくつろぐ緒形が、ビールのつまみにするのがいつもトマト。皿に盛ったトマトの輪切りに食塩をかけてかぶりつく。このシーンが何度かあった。実際には居酒屋のメニューにもあるが、トマトで酒を飲むというのはドラマで珍しい。しかし、これがじつにうまそうだ。私もときどきそうするから、トマトとアルコールが合うのはわかっている。私の場合は、アルコール多量摂取の言い訳に、せめて体にいいトマトを食すという贖罪的意味合いがある。
 ところでトマトで酒を飲むというアイデア。これは監督の三村の指示によるものか、それとも緒形自身の申し出か(脚本にそこまで書き込んであったとしたら向田邦子級だ)。おそらくだが、私は緒形ではないかと思う。
「じゃあ、緒形さん。ここでソファーの前で、床に座ってビールを飲んでもらいます」と監督。「うん、つまみはどうしようか」(緒形)。「乾きものでも用意させますか」(監督)。「それでもいいけど、トマトってどうだろう。オレ、家でよくやるんだよ。けっこううまいよ」(緒形)。「あ、それ面白い。いいですね」(監督)。
 ドラマ『中央流沙』は松本清張原作でなくとも、ありきたりなサスペンスドラマ的筋立てだ。しかし、トマトが登場したことで、妙に忘れがたい作品となった。


夏至
カーラジオからのニュースで
6月21日が「夏至」だと告げていた
不意に飛び込んできた言葉に軽い驚きを覚えた
たった二音で「げし」とはなんと簡潔な言葉だろう
しかも響きが力強く美しい
宙に漢字で「夏至」と書いてみる
この文字の並びが新鮮にさえ感じられる
これまでは
そんなこと思ってみたこともなかったのだ

二十四節気の一つ
昼がもっとも長い一日だという
栄えある夏のピーク
明日からは秋へ向けて
それと気づかぬうちに 
また少しずつ夜が長くなる

「夏至ゆうべ地軸のきしむ音少し」
は和田悟朗の句
季節の変わり目を「地軸のきしむ」と
大きくとらえたところにユーモアあり

夕暮れの時間が長く楽しみでもある
本当にもう夏だ

森進一訳 テオプラストス『人さまざま』

 ちょっとびっくりするでしょう。へえ、歌手の森進一が翻訳をねえ……。すぐ気づくと思うけど、これは別人。同姓同名の古代ギリシア哲学の学者(1922~2005)がいる。歌手の森進一の本名は森内一寛。おもしろいなあ、と思って買った本(岩波文庫)だが、中身もおもしろかった。いろいろな本との出会い方があるものです。

 帯の紹介文をそのまま借りれば「古代ギリシアのちまたに暮らす民衆の世態風俗をとらえた軽妙犀利な人物スケッチ30篇」。作者のことは詳しくわかっていないようだが、森進一解説によれば紀元前372年頃に生まれた哲学者。目次には「空とぼけ」「へつらい」「無駄口」「粗野」「お愛想」「無頼」「おしゃべり」「噂好き」等々と並ぶ。2000年以上前に生きた人々の人物観察によるが、これがほとんど現代にもあてはまるよ、さてお立合い。「頓馬(とんま)」はこんな人のこと。

「忙しくしている人のところへ出かけて、相談をもちかける」。あるいは「結婚式に招待されると、女性のことを悪く言う」。「長旅から戻ってきたばかりの人を、散歩に誘う」といった具合。今でもいそうだと思うでしょう。同様に「『誰それはどこにいますか?』と人から尋ねられると、『私をそっとしておいてもらいたいですね』と答える」のが「へそまがり」。これには笑ってしまった。
 世の中から少しはみ出して、その分、人間の持つ本性を露わにしているところ、落語の登場人物に通じている。「世の中見てると、じつにいろんな人がいますなあ。たとえば……」とそのままマクラにも使えそうだ。
 入口は歌手と同姓同名、ということだったのですが、思わぬ拾い物をした気分であります。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。