水原 紫苑

 仏文科で学んだ学生時代以来、久しぶりのパリへと旅に出た歌人・水原紫苑さんのソルボンヌ大学文明講座への留学や長期滞在の日々を、写真と短歌で綴る日記エッセイです(隔週更新)。
第1回 40年ぶりの憧れのフランス、パリ、だが失敗ばかり

8月16日 パリ
 学生時代の最初の滞在から数えると、実に41年ぶりにパリに来たわけである。
 6時ごろ、時差ボケもなく爽やかに目覚めたので、朝食を取ってどこか出かけることにする。まずルーヴルだと思い、こわごわメトロに乗ってみた。でも、思っていたほど雰囲気は悪くない。途中で口喧嘩が始まったが、これまた日本でもある情景だ。ただ、片方がアラブ系かなと思う男性で、もう一人が白人であるところが日本とは違うが。

 ルーヴルに来てみたところ、妙に静かである。ガラスのピラミッドも深閑としている。おかしいなと思って、お掃除をしていた男性に聞くと、火曜日は定休日だという。ああ、これが私の人生だ。
 昔、オペラ座に行くと工事中でお休みだったことを思い出す。とにかく間が悪いのである。気を取り直して、チュイルリーの噴水の前の椅子に座って、今これを書いている。
噴水をかんがへしひと戀知らぬ詩人なるらむこころのしぶき
 それからホテルに戻って、パリにアパルトマンをお持ちの日本の方にいろいろ面白いお話を伺ってから、午後の部が始まった。
 まずお参りするのが念願だったサン・ジェルマン・デ・プレ教会に行く。ステンドグラスの色が鮮やかで時代を感じさせないのが不思議だった。神父様がいらしたら、お話を伺いたいと思ったが、観光客ばかりで神父様の影はなかった。いつまでもじっと座っていたいような空間だった。

サンジェルマンデプレ教会にしらたまをゆだねむとしてみがくわがたま
 そのあと、ホテルに戻ろうとしてメトロに乗ったら、乗り換えがわからなくなって、足も疲れたので、シャトレレアール駅近くのカフェでしばらく休むことにした。生クリームがいっぱいで、上に日傘が差してある大きなパフェを食べた。
 写真を撮ってツイッターにアップしたとお店のムッシュに言うと、笑って、今は商売が暇で楽だよと言っていた。今だって観光客で満員なのだが、本当の繁忙期はそんなものではないらしい。もっともパフェのお味はかなり大味だった。
 それからノートルダムの工事の風景を見て、もうくたくたになり、今回初めてタクシーに乗った。すぐ近くじゃないかと運転手さんが言うので、歩きすぎてもうくたくただと説明した。
 日本語の時はそうでもないのに、フランス語だと、言い返すのが普通だから面白い。言葉によって性格も変わるのか。
 ホテルで夜まで休んで、今夜は近所のブラッスリーで、美味しそうなお肉とサラダを食べようと思っている。どんどん図々しくなる私だ。
 ところがちょうど夕食の時間になって、滝のような雨が降り始めたのである。しかも雷が鳴っている。ホテルの受付の人もびっくりして、隣のカフェにサンドウィッチがあるから、それを買って来たらと言った。だが、私はどうしても少し先のカフェで昼間に見ておいたお肉が食べたかった。
 雷雨の中を強行してカフェに向かった。食べているうちにどんどん雨が強くなる。車軸を流すようだとはこのことか。いつもの私なら怖がってどこにも行かないのに、こんな日に出て来るというのも、性格が変わっているのだろう。パリ人格かも知れない。
 お肉は美味しいけれど硬くて、やっぱり日本のサシの入ったステーキがいいと思った。雨はますます凄いので、コーヒーもデザートも無しで出たが、帰りにお水を買いに寄ったために、海辺を歩いているような感じになり、買ったばかりの靴もパンツもびしょびしょになってしまった。

 ジェラール・フィリップの映画で覚えた「私はびしょ濡れです」という台詞を、ホテルの受付の人に言ってみたが通じないようだった。
 私は一応話すことは何とかできるけれど、発音が良くなくて聞き返されたり、ややこしい単語を言って失敗したりすることがある。
 そして、みんなすぐに英語で話しかけて来るのには驚く。誇り高いフランス人もついに我を折ったのか。英語ができない私は困ってしまうが。
 今日は1日動き通しだったので早く寝よう。
雷雨またあそびなるべしジュピテルの不埒おもへば神々は子ども
(文・写真・短歌 水原 紫苑)
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この記事を書いた人
水原 紫苑(みずはら・しおん)
1959年、神奈川県生まれ。歌人。早稲田大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。春日井建に師事。歌集に『びあんか』(現代歌人協会賞)『うたうら』『客人』『くわんおん(観音)』(河野愛子賞)『あかるたへ』(山本健吉文学賞・若山牧水賞)『えぴすとれー』(紫式部文学賞)『如何なる花束にも無き花を』(毎日芸術賞)ほか。エッセイに『桜は本当に美しいのか 欲望が生んだ文化装置』『百人一首 うたものがたり』など。小説に『歌舞伎ゆめがたり』『あくがれ——わが和泉式部』ほか。編著に『大岡信「折々のうた」選 短歌』『山中智恵子歌集』など。最新歌集『快樂(けらく)』を今年刊行予定。Twitter:https://twitter.com/Jeanne45944170