南條 竹則
第33回前編 ビーフン世界詩人の金子光晴は最晩年に三部作というべき自伝的作品を続けざまに出版した。『どくろ杯』(1971)、『ねむれ巴里』(1973)、『西ひがし』(1974)がそれである。
これらの作品はすべて戦前のこと、すなわち一九二〇年代と三〇年代のアジアとヨーロッパに跨る放浪体験をもとにしており、もちろん、すべてが事実ばかりではない自伝的小説だ。
『どくろ杯』は上海のことを多く記し、『ねむれ巴里』はフランスのこと、『西ひがし』はシンガポールとマレーシア、とくにバトパハ(バトゥ・パハ)という町での滞在を詳しく記しているが、執筆当時の作者にとっては数十年前の話だというのに、筆遣いはまるでつい昨日のことを語るようだ。
著者は南国の風景や人間のほかに、飲食のことも良く観察し、勘所を押さえて書いているから、読んでいると食べたくなって来る。
シンガポール、マレーシアでのふだんの食事は、炒飯、炒米粉、カレーや干魚といったものだった。
とくに、米粉は彼の主食と言って良かった。
シンガポールに着いた金子光晴と同行者は、
印度カレーのからさもそこで味った。はじめ彼女は、唇が燃えるようで、食べることができなかった。しかし、そんなものもやがて慣れて、我等の食事は、朝は、フレンチ・トーストに、パパイヤが半分ずつ、昼はぬきで、晩は、米粉か、果実、支那料理屋の炒飯というようなもので、日本食はかえって口に合わなくなっていった。(『どくろ杯』中公文庫 279頁)
御存知の通り、ビーフンは福建、広東、広西など、米を主食とする中国南部の食品で、華僑の住む地にも伝わった。金子光晴は『マレー蘭印紀行』という本を一九四〇年に出している。これは“三部作”よりも張りつめた美しい散文で旅の印象を綴ったものだが、この中にバトパハでビーフンを食べるくだりがある。
この街の市場には、福建系の華僑とおぼしき中国人の総菜屋が何軒もあった。そのうちの「新錦興」という店が彼の行きつけだった。
汚点だらけな古いのれんに黒字と赤字で書いてある文字をよむかっこうをしていると、半裸隊のいつもの小僧が、顎を前に突き出して、親しみの挨拶のかわりにした。私が註文をするまでもなく、小僧がこころえていて、料理場の方へ米粉一椀を通してしまいそうなので、一応、あわてて私は、小僧を呼びつけなければならなかった。小僧をそばに立たせて、しばらく沈思した揚句、なんということはない、いつもの通り米粉を命じるのであった。(『マレー蘭印紀行』中公文庫 74頁)
やがて熱い湯気を立てて、大きな丼を小僧が運んで来る。 いつもの通りの米粉──かわったところといえば、丼のなかに入れてあるものが、その日その日の魚菜で、そのために湯の味わいにもすこしの変化のあることであった。私は丼のなかから竹箸で、一つ一つ菜をさがしてつまみあげた。
青菜、鋸型に切った豚の肝臓、白身のそり返った魚片、灰色のまるい貝殻が、パクッと口をあいている。それから、私は、はさみあげて、すてることができないでいる小指位な小さな烏賊。子供がいばりくさったように足をみんなそとへそらせて、その足には、目にみえない先っぽまで、小さな疣が行儀よく、ぎっしりと並んでいる。
「坊や」
四歳のとき日本へのこしてきたまま、足掛五年あわない子供にめぐりあった気がした。小さなぐりぐり頭が目の先にうかんでくる。
「父ちゃん。なぜ、かえってこないんだ」
玩具刀をふりあげて、いう声までがきこえてくる。
私は、その烏賊の子を挟んだまま、ひっくりかえした。子供に共通な、おどけた愛らしさにほほえみながら、私はパクリとそれを口に放りこんだ。なにかが、歯にかかった。つまみだしてみると、鳶色がかった烏賊の嘴である。くいあっている上嘴と下嘴、子供のころ、その一方を鳶と呼び、一方を烏となづけた、それに似た形をしているのである。烏賊がちいさいので、見分けるのが困難ながら、鳶も烏賊も、そっくりの形をして、まぎれもなくちゃんと抱きあっているのであった。(同74-75頁)
文面からして、これは汁ビーフンか、汁気の多い焼ビーフンのどちらかだろう。まことに美味そうだが、そこに入っていた烏賊を見て我が子を思い出す旅人の心がせつない。青菜、鋸型に切った豚の肝臓、白身のそり返った魚片、灰色のまるい貝殻が、パクッと口をあいている。それから、私は、はさみあげて、すてることができないでいる小指位な小さな烏賊。子供がいばりくさったように足をみんなそとへそらせて、その足には、目にみえない先っぽまで、小さな疣が行儀よく、ぎっしりと並んでいる。
「坊や」
四歳のとき日本へのこしてきたまま、足掛五年あわない子供にめぐりあった気がした。小さなぐりぐり頭が目の先にうかんでくる。
「父ちゃん。なぜ、かえってこないんだ」
玩具刀をふりあげて、いう声までがきこえてくる。
私は、その烏賊の子を挟んだまま、ひっくりかえした。子供に共通な、おどけた愛らしさにほほえみながら、私はパクリとそれを口に放りこんだ。なにかが、歯にかかった。つまみだしてみると、鳶色がかった烏賊の嘴である。くいあっている上嘴と下嘴、子供のころ、その一方を鳶と呼び、一方を烏となづけた、それに似た形をしているのである。烏賊がちいさいので、見分けるのが困難ながら、鳶も烏賊も、そっくりの形をして、まぎれもなくちゃんと抱きあっているのであった。(同74-75頁)
『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店)南條竹則・著
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┃この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)