南條 竹則
第32回後編 百物語の献立
 何事も算盤勘定一本槍の昨今と異なり、好事の主人が趣味でやっているような料理屋が、かつてはそう珍しくなかった。
 わたしの手元に、昭和四十八年に出た『東京食べ物屋絵地図』というガイドブックがある。載っている店の半分以上はもうないけれど、昔を思い出すよすがに時々ながめている。
 これに「文豪屋敷」という割烹が紹介されていて、わたしはその短い記事を見るたびに、どんなところだったのだろうと想像する。
 東京の板橋にあった店で、個室の名前を「潮騒」とか「たけくらべ」とか文学作品にちなんでつけている。それだけならべつに大したことはないが、部屋の床下が池で、鯉の跳ねる音が聞こえたりするとあるから、尋常の構えではない。昔、誰か裕福な人が数寄すきを凝らしてつくった屋敷が料理屋になったのではないか。そうではなく、最初から料理屋だったのなら、主人は相当の趣味人だ。いずれにしても、一度そんな空間で酒を飲んでみたかったと思う。
「屋敷」のつく店といえば、荻窪に「忍者屋敷」という割烹があった。
 入口の板戸を開けると、サッと電気の稲光が走り、ゴロゴロゴロと雷の音が響く。中には窓のない薄暗い座敷があって、天井の方に、何だかわからないが大きな物が吊る下げてある。
 詩人の平野威馬雄いまお氏が主催した「お化けを守る会」の二回目の集まりがここで開かれ、わたしはそれに出席したのだった。中学二年の時だ。
 その時の食べ物はつまらない弁当だったが、水木しげる、永六輔など次から次へ登場する有名人や「霊能者」や一般人の体験談に、わたしはワクワクして聞き入った。
「お化け屋敷」という料理屋があったかどうかは知らないけれども、お化けにちなむ料理は存在した。
 百物語というものを、みなさんは御存知だろう。明治末から昭和初期にかけて、時にジャーナリズムも関わり、これが盛んに行われた一時期がある。
 この頃の百物語でもっとも有名な例は、明治二十九(1896)年七月二十五日、「今紀文」と言われた富豪・鹿嶋かじま清兵衛が歌舞伎新報社と共催で行った大規模な会だ。
 これには文人や学者も招かれ、その一人森鷗外はのちに「百物語」という文章を書いている。もっとも、その語り手は肝腎の物語が始まる前に帰ってしまうのだが、集合場所の舟宿から会場のある寺島村への道中を語り、会場に用意された食事のことなども記している。
 僕がぼんやりして縁側に立っている間に、背後うしろの座敷には燭台が運ばれた。まだ電燈のない時代で、瓦斯がすも寺島村には引いてなかったが、わざわざランプをめて蠟燭にしたのは、今宵の特別な趣向であったのだろう。
 燭台が並んだと思うと、跡から大きなたらいが運ばれた。中にはすしが盛ってある。道行触みちゆきぶりのおじさんが、「いや、これは御趣向」と云うと、傍にいた若い男が、「湯灌ゆかんの盥と云う心持ですね」と注釈を加えた。すぐに跡から小形の手桶に柄杓を投げ入れたのを持って出た。手桶からは湯気が立っている。っきの若い男が「や、閼伽桶あかおけ」と叫んだ。所謂閼伽桶の中には、番茶が麻のふくろに入れてけてあったのである。(『灰燼 かのように』ちくま文庫 135-136頁)
 あまり食欲の湧く趣向とは言えないが、怪談会ではこういう無気味な料理を供することが多かったのだろう。
 東雅夫氏の編著『文豪たちの怪談ライブ』に「怪談の会と人」という新聞記事が収録されている。これは「都新聞」の大正八年七月四日~八日付(七日は休載)紙面に連載されたもので、田端の「白梅園」で催された大がかりな怪談会の様子を報じている。その時の食事も、こんな具合だった。
 広間の正面に位牌を置いて、それに向って、客は両側へ居ながれる。出る御馳走もことごとく怪談に関係した趣向で、それは白梅園の板前が大いに苦心をしたのである。
 板付いたつきの蒲鉾へ紅を塗ったのが戸板がえし、わさび芋の上へ紅を流したのが血の塊り、骨入こついれのまげものに西洋菓子の砂糖房露ぼうろを入れて白骨に紛らしたもの、などと、一つとして気味の悪くないものはなかった。(『文豪たちの怪談ライブ』ちくま文庫 213-214頁)
 ジャーナリストの鶯亭おうてい金升きんしょうは鹿嶋清兵衛の百物語に招かれているが、この人によると、明治の浅草・奥山のグロテスクな見世物小屋の中に、こんな茶店があったそうだ。
 大江山の傍に茶店が出ていて、鬼が汁粉を持って来る。その汁粉は紅餡べにあんを血と見せて、中にしん細工の指が入っていたので女連は気味悪がって食べなかったが、甘くて美味うまかった。(鶯亭金升『明治のおもかげ』岩波文庫 24頁)
“無気味料理” “残酷甘味”──そんなものを商売として出す店はもうないだろうが、どこかの文化祭などでやらないだろうか。ハロウィン・ディナーにお化けをかたどった料理を出すことは流行はやっているから、”和”の世界でも試みたらどうであろう。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)