【第98回】


立ち食いの名店「一由いちよしそば」へ
 昨年末の話になるが、「青春18きっぷ」の使い道として、年末開催されていたつちうら古書倶楽部の古本市へ行こうと思っていた。12月23日晴天の朝、始動する。土浦には「遊楽の里」という温泉施設がある。しかし、この日、待望の給湯器が我が家に入る。入浴はおあずけだ。
 昼前に古本市を2時間ほど覗いて3冊ほど買い、何度も来ている土浦で、あとはすることなく帰還の途につく。この日は晴天だが、風が強かった。1時間ほどの乗車で、山手線乗り換えの日暮里駅へ到着。どうせ一旦電車から降りるなら、そうだ日暮里には「一由そば」という立ち食いそばの名店があったと思い出す。途中下車して食べていこうと考える。途中下車は何度でもできる「青春18」ならではの使い方だ。
 寒風吹く日暮里駅東口。駅前の再開発で目の前に巨大ビルが建ち並ぶ。足は西日暮里駅方面へ。すぐ裏手に「駄菓子屋横丁」という駄菓子の問屋街があったはずだが、今はない。ビルの谷間は影を深くし、風が通り過ぎる。くねくねと曲った細い路地裏に、そこだけ人が集まっている場所がある。それが「一由そば」(西日暮里2丁目26-8)だ。東京の立ち食いそば店の話になると、必ず名前が挙がる名店だ。私は初めて。同じ駅東口の「六文そば」では食べている。
 私がよく参考にする坂崎仁紀よしのり『ちょっとそばでも』(廣済堂出版)では、「働く人の味方、関東の味の代名詞のような、とにかく驚きにあふれた店である」と評されている。ちょっと期待が高まりますよね。店の外まで注文の順番を待つ人があふれていて、最後尾につく。店内を覗くと、まず正面に戦国時代の巻物のような横長のメニューが貼られている。天ぷらの種類だけで20種以上あるだろうか。
 店内カウンターにはすべて人が電柱のすずめのように連なり、厨房には湯気が立っている。ワンオペ(店員1人でこなす)立ち食い店も多い中、4、5人はいて忙しく立ち働いている。カウンター上のガラスケースには大量の天ぷらがおしくらまんじゅうのように並び、壮観だ。一番人気は「げそ天」。ほかに、かき揚げ、春菊、紅ショウガ、ちくわ、なす等々。かき揚げ一つ取っても「ジャンボ」と「五目」がある。迷えば「げそ天」を頼んでください。
 順番はすぐ来て、待つ間にほかの人の注文を参考にしながら、「普通盛りのそばで、かき揚げ」と告げる。410円と安い。そばは「小盛(130円)」「普通盛(250円)」「大盛(310円)」と3択、そこへ「ジャンボ」ありの天ぷら各種、あるいは卵(90円)を組み合わせて注文するのだ。前知識なしにいきなり来て、列に並び、順番が来てから「えーっと」などと思案してはならない。できれば、前もって予習しておいて、何を頼むか決めた方がいい。ぼやぼやしていると、つかえた後ろの列の冷たい視線を浴びることになる。
 テーブルの上に輪切りの唐辛子。これも珍しい。たっぷり熱々のつゆは黒め、しかし辛いというより甘さが際立つ。麺は茹で麺で標準タイプ。注文したかき揚げのほか、ネギ、ワカメが乗っている。目をしばたたせながら麺をかきこんでいると、次々と注文が入っていく。天ぷらだけ10個ほどテイクアウトしていく女性もいた。げそ天になす、そばは大盛りで卵をつけてください……という上級者もいた。
 地元の客というより、方々からこの店めがけて来た人多し、と見た。なにしろ、年始以外は無休で、しかも24時間営業である。休業日や営業時間を確かめなくても、ただ足を運べばありつけるのである。店員も客も一瞬の遅滞もなく、「そば」を媒介に前へ前へと突き進んでいく急流のような店であった。わざわざ出かけていく価値はあります。

映画『無鉄砲大将』の池袋大跨線橋
 日本映画専門チャンネルで映画『無鉄砲大将』(日活・1961年)を見た。鈴木清順監督、主演は和田浩治(1944~86)。和田浩治は石原裕次郎似、ということでスカウト、映画デビューを果たした。髪型まで同じにして、確かに似ている。父は日本ジャズ界草創期のピアニスト和田肇。クレイジーキャッツのハナ肇は、ここから名前をいただいている。
 実際に高校生だった和田は、映画の中でも英次という名で高校の空手部に所属し、スケート場の指導員としてアルバイトをしている。女の子がキャアキャア言うモテ男である。英次をリーダーとする仲間たちの憧れが、ジャズ喫茶「ボンヌ」で働く雪代(芦川いづみ、国宝級の愛らしさ)。父親はのんだくれの医者(菅井一郎)で娘を困らせている。ほか、山岡久乃、葉山良二、高品格、清水まゆみ、富田仲次郎などが共演。
 話は地元を取り仕切る愚連隊と、彼らの悪に立ち向かおうとする英次たちグループの対立が中心になる。いかにも日活らしいステロタイプで、記憶に残るような作品ではない。ただ、これは記憶に残るだろうと思われたのが、映画の中に登場する電車の広い車両基地の上に架かる、長い長い跨線橋(人専用)である。この上に和田浩治も芦川いづみも立つ。その下を電車が走り抜けていく。周囲に空間を圧する高い建物は見当たらず、背景はスカッと抜け、空は広い。
 この跨線橋はどこの、どういう名前だろうと気になった。検索するとすぐ見つかった。これは「堀之内人道橋」(通称「どんどん橋」)で、池袋駅の北、東武東上線北池袋駅に近い車両基地を跨いで東西に架かっていた。2010年に通行禁止となり、2011年には完全撤去となったようだ。つい最近までその姿を残していたことになる。知らなかったなあ。
 愛用する『東京山手・下町散歩』(昭文社)は2007年版で、当該ページを開くと、ちゃんと書き込まれていた。ただし名称はなし。150メートルはあったろうか。「どんどん橋」と呼ばれたのは、おそらくだが、歩くとそういう音がしたのではないか。一度渡ってみたかったが、時すでに遅し。撤去された橋があった東側には、現在「さくら公園」が作られている。近くまで行けば、何か橋の痕跡が見つかるだろうか。
 和田浩治は、今回調べてみると梓みちよと結婚しスピード離婚している。早くに主役からは降り、『プレイガール』や『大岡越前』などテレビドラマで長く命脈を保ったようである。石原裕次郎は2人もいらない。何かのパラエティ番組で、コミカルな出演をしていたとうっすら記憶がある。ガンの闘病の末、42歳という若さで早逝した。


円地文子「ひもじい月日」
 買った本はすべて読まれるんですか? たくさん本を買っていると、よくそう聞かれるが愚問の最たるもので、読む本だけ買っているうちは平和なのである。そう前置きしておいて読んだ本の話を。円地文子えんちふみこ(本の著者名は圓地文子だが、これで通す)の短編集『ひもじい月日』(中央公論社)は、昭和29年初版で私が買ったのは4刷の昭和30年版。円地文子を買ったのはこれが初めてのはずで読んだのも初めて。鳥の絵をあしらった伊藤廉の装幀に魅かれての購入だった。見れば見るほどいい本だ。
 買ってそのまま、書庫の迷宮入りする可能性が高かったが、しばらく手元近くにあったのを何の気なしに取り上げ、表題作を読み始めて作品世界に引きずり込まれてしまった。昭和28年の作品で、これが評価を得て、長く少女小説を書いてくすぶっていた円地が作家の本線へ入線してきた。
 物語はヒロインの「さく」が家の裏の空き地に板囲いのガス風呂室を作るところから始まる。戦後間もない頃の話である。「さく」には2人の娘と中学へ通う末の男の子がいた。夫の直吉は下半身不随で長く寝たきりの状態だった。たびたび失禁をし、下の世話に手を焼いた「さく」が必要に迫られガス風呂を設置した。
 彼女は幼い頃より背中に目立つ赤いアザがあり、そのことを気にして臆病となり婚期を逸していた。中学の英語教師だった直吉は最初の結婚で妻を亡くし、「さく」のアザを承知で結ばれることになった。しかし直吉はケチな上に病的な女好きで、同僚の女性教師への、今で言うならストーカー行為のような問題行動を起こし失職する。
「さく」はそれに耐え、戦争を挟んで小さな雑貨店を営みながら、倒れた夫に仕えた。娘と息子は3畳2間に5人暮らしで同居しながら父親を軽んじ、まったく顧みない。夢も希望もない一家の実相を、部屋のどこかに定点カメラを据えたように、著者は感傷を排しえぐるように描く。息子の幸一はある日、父親をガス事故に見せかけて殺す提案をする。それもさらりと話すのだ。このあたりで、タイトルは経済的貧困を表すとともに、「さく」のどうにもやるせない心象の状態を示していると分かる。結末のあっけなさも、ぞっと冷水を浴びせかけられたような読後感も、この作家の力量を感じさせて感服した。
 そしてこれは「女性」が書いた小説だと思いを強くした。たとえば不幸な銀座のバーの女給を書いた大岡昇平「花影」は立派な作品だが、大岡がモデルとなった女性と愛人関係にあった背景があり、どこか男の逃げ道が作られている。短編「ひもじい月日」に、男の逃げ道などない。虐げられているのは妻の「さく」であるが、まったく愛情を持てぬ夫を懸命に世話する姿は、逆の意味で男への「復讐」ではないか。「さく」を通して円地文子はここで男を見限っている。男への視線の入射角が厳しく鋭い。自己憐憫の強い男にはとても描けぬ世界である。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。