南條 竹則
第36回前編 箸は二本先年物故した作家の某氏が長年住み慣れた家を引き払って、家賃の安いところへ引っ越した時、友人知人に挨拶状を出した。その中に「筆は一本、箸は二本」という言葉を使って、窮状を告白していた。
この言葉は斎藤緑雨が「二六新報」に連載した「青眼白頭」というコラムに出て来る。正確に引くと次の通りである。
「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」(『緑雨警語』中野三敏編 冨山房百科文庫 127頁)
物書きに貧乏は今でもつきものだけれど、明治の世には今以上だったらしく、これは名文句として謳われた。
斎藤緑雨は「かくれんぼ」「油地獄」などの短篇小説も書いたが、このような警句の作者として、辛辣な批評家・毒舌家として知られる。そして夙に評者によって指摘された通り、食べ物を用いた比喩が得意だった。
その代表例は「小説八宗」に見られる。
これは当時の文壇で鳴らした小説の諸流派を皮肉な表現で諷した文章である。「八宗」とあるが実際に書いたのは六つで、そのうち四つまでを食べ物になぞらえている。例えば、「おぼろ宗」(坪内逍遥のグループ)については、かくの如し──「富ライ於ムレツ雷スカレイを凌駕するの傑作を出だせや出だせと一遍通り触回つて扨又自分は門を鎖(とぢ)ること此の宗の真言秘密なり」
篁村宗(根岸派)については──「この宗は肉食妻帯を禁ずお膳の上には柚味噌と根岸だけに山椒のつくだ煮チヨイと箸の先へ引掛けて舐りながら独酌でやつて居る気味合なり」
紅葉宗(硯友社)については──「要するにこの宗は頻りにぶりたがりて折衷ぶりたる揚句薩摩汁を拵へそこねた覚悟大切なり『いづれ煮たもの──南瓜と唐茄子』など其の身上と知るべし」
「小説八宗」以外からも、食べ物の比喩を拾ってみると──
説明し得べきと、得ベからざるとの間に、妙不妙の別ちは存するなり。豆腐を好む者にむかひて、いかなるを味の妙となすと言はば、それはとばかり孰しも逡巡すべし。(「眼前口頭」『緑雨警語』15頁)
一切の虚偽を排するは、一切の真実を排するなり。虚偽と真実との関係は、鰹に対する酢味噌の如し。まことそらごと取交ぜるにあらざれば、遂にお話はなり難し。(「霏々刺々」前掲書 73頁)
一部人士の常に活気なきを慨するは、開明の今日、ラムネあるを知らざるものなるべし。(「両口一舌」前掲書 107頁)
大文学者は天麩羅屋の屋台の上に転がつている斑にあらず唯来い来いと呼ばれて尾を掉つて起上る者ならんや(「金剛杵」『あられ酒』岩波文庫 57頁)
こういう文句が次から次と出て来る人は、食いしん坊に決まっている。彼の随筆「おぼえ帳」「ひかへ帳」、ことに後者には食べ物に関する記述が多い。それらは両随筆が「太陽」誌に掲載された明治三十年、三十一年当時の東京の食文化に関する資料としても貴重だ。一切の虚偽を排するは、一切の真実を排するなり。虚偽と真実との関係は、鰹に対する酢味噌の如し。まことそらごと取交ぜるにあらざれば、遂にお話はなり難し。(「霏々刺々」前掲書 73頁)
一部人士の常に活気なきを慨するは、開明の今日、ラムネあるを知らざるものなるべし。(「両口一舌」前掲書 107頁)
大文学者は天麩羅屋の屋台の上に転がつている斑にあらず唯来い来いと呼ばれて尾を掉つて起上る者ならんや(「金剛杵」『あられ酒』岩波文庫 57頁)
会席料理について、緑雨はこんなことを述べている(文中「島村」とあるのは料理屋)。
島村を言はんと欲せば、八百善を知らざる可らず。八百善を知らざる人の、島村を言ふが如きこと、このごろ何の社会にも流行なり。今は島村も太く乱れぬ、若八百善の暑中休業を廃することあらば、日本料理は早滅亡と謂ふも不可なし。飯を喫する者多かりし常磐家も、今にては妓を聘する者多き常磐家となりたり。(「おぼえ帳」前掲書 154頁)
鰻屋について── 大黒屋、和田平の名を今の人の言はぬは是非なし、障子の桟に埃の見え初めしといふを以て、江戸通も漸くこれを斥くるとなり。時めくは竹葉、神田川の倶に受よろしけれど、三業組合といふに入りて、絃の音の洩るるを憚らざるに至りては、むかし都に鰻の貴ばれしと、全く趣を異にするものなり、きつね、喜多川、尾米は言ふに足らず、何處の二階にも嬌かしき女の声を聞かでは、をさまらぬ世と覚えたり。松金、洲崎屋等の太しくさびれて、独り前川の変らざるは、地理の上より来れる損得もあることなるべし。(「ひかへ帳」前掲書 179頁)
蕎麦屋に関していえば、「ひかへ帳」に老舗「吉田」のコロッケそば(「コロツケツト蕎麦」)への言及があるのは人も知るところだが、次の一節なども興味深い。 朱にてかきたる看板の減りしとともに、牛肉屋も漸く楼の字を冒しはじめたり。小田巻蒸の諸處にて調ふとともに、蕎麦屋が庵の字は殆んど棄てられたり。(同176頁)
小田巻蒸しは、筆者が幼い頃には東京の蕎麦屋によくあった。茶碗蒸しにうどんが少し入っているような料理だ。時代が変わって、今ではこれを供する店も稀になったが、一方、「庵」の字は復活している。まるでシーソーゲームさながらだ。
※文中、「小説八宗」は『日本現代文学全集8 斎藤緑雨・石橋忍月・高山樗牛・内田魯庵集』(講談社 昭和42年)52-53頁より引用する。
『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店)南條竹則・著
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┃この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)