松井 久子
第2回 晩年の再婚
 考えてみれば、私たちの出会いは偶然だったけれど、最晩年になっての再婚には、二人とも多分に意思的なところがあった。
 この人となら、残された老いのときを共に生きてみたい。
 互いに好感をもって、恋愛関係になるのは稀なことではないとしても、正式に結婚をするとなると話は別だ。
 何せ、彼はもうじき90歳を迎える、超のつく高齢者である。よほどのエネルギーがないとそこまで踏み切ることはできないだろう。
 しかも歳をとってからの結婚には、さまざま面倒なことがつきまとう。
 たとえば高齢になると、「相続」というテーマが避けて通れないハードルとなる。
 実際、私の周囲でも、本人同士はいい関係が続いているのに子どもたちの反対にあって、何年も籍を入れられない気の毒な友達が何人もいる。
 また、私自身前の夫と別れてからもう40年以上気楽なひとり暮らしが続いていて、周囲の反対を押し切ってまで、一緒に暮らしたいと思うような出会いなどなかった。
 今更、面倒な社会制度にしばられるなんて真っ平だったし、一定の距離をたもっていたほうが新鮮な恋愛感情が続くのではないか、とも思っていた。
 そのいっぽうで、出会った彼は、人生の最晩年を迎えて、日々の孤独感や心許なさが隠しようもなくある人に見えた。
 週に一度、横浜にある私のマンションに通ってくるうち、日ごとに離れ難くもなっていた。ちょうどそんなときに、タイミングよく、彼と同居する娘の知美さん夫婦が、籍を入れることを勧めてくれたのである。
 父親がいざ入院とか手術となったとき、正式な妻になっておかないと「会うこともできないのよ。それでいいの?」と言って。
 そんな知美さんの言葉を思い出すと、今でもゾッとする。
 万が一、彼が救急車で病院に運ばれる事態になったとき、婚姻関係を結んでおかないと、私は見舞いに行くこともできない。
 それがこの法治国家に住まう者の、ましてやコロナ禍が完全には収まっていない日々の、現実だった。
 この人がこの世を去るときは、他の誰でもない、私の手で看取りたい。
 それが動かし難い私の意思である限り、自分の主義に反する婚姻届を役所に出すくらい何でもないことに思えたのだ。
 そんなわけで、私たちの場合は、彼がプロポーズの言葉を言うこともなければ、私が「お受けします」などと歯の浮くようなことを述べる必要もなく、当事者二人が改まって話し合うことも何ひとつなく、ある朝の、
「もらってこない?」
「そうだね、早めにとっておこう」
ということになったのである。

 それにしても、この国の、この社会の、「結婚」という言葉の持つ力には絶大なものがある。
 実は、まだ私たちの個人的なつきあいが始まって間もない頃、はじめて二人で京都に旅したときに、嵯峨野の祇王寺ぎおうじの庭ですれ違った観光客に撮ってもらった写真を、SNSに載せておきましょうということになった。
 私たちは二人とも、自分の近況を伝えるツールにFacebookを愛用していて、たとえば私なら、全国で上映会をしてくれた人や映画を観てくださった方々、彼なら自分の主宰する思想史講座の受講生や、著書を愛読してくれている人たちとの繫がりを大事にしていて、この度の二人の出会いを、共に生きていくことにした自分たちの意思を、彼らに自然に理解してもらうにはFacebookで伝えるのが一番だろうと、ツーショット写真を公開することにしたのだった。
 ところが、案に反して、その写真に対する反応がサッパリだったのである。
 実際それまでも、私が影山逸平の思想史講座に通い始めたことや、彼の著作を読んで書いた書評まがいの文章を、折に触れて投稿していたので、そのSNSで「私たちは一歩進んで、新しい段階に入りました」と伝えるのは自然なことだった。ところが、それは私たちの勝手な思い込みだったようで、「影山先生と京都に来ています」というキャプションを「恋愛カミングアウト」と受け取る人はほとんどいないとわかるほど、見事なスルーのされ方だったのだ。
 すでに後期高齢者になった二人が並んで写る画像を、ある人は見て見ぬふりでやり過ごし、またある人は「師弟で思想史を学ぶ旅をしている」と理解してくれたのだろう。
 そのことはまさに「老人になったらもう、恋愛などしないものだ」という、根強い社会通念の証左でもあった。
 それをまざまざと思い知ったのは、それから更に2ヶ月ほどして、同じFacebookで「89歳と76歳、結婚しました」と、宣言したときのことだった。
 2022年の7月の末、ヨーロッパに暮らす私の息子と孫が、コロナ禍になってはじめて、ほぼ3年ぶりに日本に戻ってくることになった。
 その機会に、鎌倉のレストランで彼の家族と私の家族が一堂に会して、食事をすることになったのである。
 そしてその場で、先日役所でもらってきた婚姻届に、彼の娘と私の息子に証人としてサインをしてもらい、それを老人二人の「再婚の儀式」としたのだった。
 そして翌日。私のFacebookに鎌倉の食事会での家族の写真とともに、「89歳と76歳、結婚しました」とキャプションをつけたFacebookの投稿には、その後数ヶ月にもわたって約1300件もの「いいね!」と、800件を超える祝福のコメントが続いたのである。
 そうか。なるほど、そういうものなのか…。
 歳を重ねるごとに、受け続けてきた社会からの「外され感」を理不尽に思い、年齢差別の根強さを身にしみて感じてきた先の、祝福の嵐―。
 普通ならありえない超高齢者同士の結婚だから、こんなにも多くの人が祝ってくれているのかもしれない。
 ことほど左様に、私たちは社会通念というものにしばられている。
 実際、70歳の女性と15歳年下の男性との恋愛を題材にした小説『疼くひと』を書いて、出版されたときの人びとの目は冷たかった。
 その冷たさが痛かった。
 女たちは、幼い頃からの「刷り込み」から、「世間の眼」から、解放されることがない。
 いくつになっても、どんなに自立した人間になっても、社会や周囲の視線から完全に自由になることができず、つねに自己矛盾と自己分裂に追いかけられているような気もする。
 あれほど長いこと「たかが、紙切れ一枚」と軽んじていた結婚。
 女にとっては、「それが自立の妨げになる」と思い込んできた婚姻制度。
 ずっとそこを拒否してきたはずなのに、76歳で正式な再婚をした今、私の奥底には「甘美な安堵感」がある。
 間近に「死」を意識する年齢になって、「生涯の伴侶を得た」喜びがある。
 もしコロナ禍でなかったら、私は「恋愛」あるいは「事実婚」で十分と心底思えていただろうか。
 そう自分に問うてみると、きっぱり「Yes」と答えられる自信がないのである。

第3回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。