岡崎 武志

第9回 井伏鱒二作品を映画化するとしたら

 久しぶりに川島雄三監督『貸間あり』(1959)をテレビで視聴。原作は井伏鱒二の同名タイトルで、脚本は川島と藤本義一が共同で担当。川島の名作『幕末太陽伝』と同じく、エネルギッシュな群像劇である。
 なんといっても古本好きには、冒頭、千日前時代の「天牛書店」が遠景ではなく、ばっちり正面から映る点で掲揚すべき作品なのである。ケチな裏稼業に徹するチンピラの藤木悠が市中で追いかけられ、身を隠すために飛び込んだのが天牛書店。ここで怪しげな大学受験生の小沢昭一と遭遇する。これが話の発端だ。
 創業明治40年の天牛は、1949年に千日前店を出し、拡張移転で1968年に道頓堀角座前へ。私が初めて行ったのもこの店である。まだ小学生だった。家族で道頓堀へ遊びに行ったとき、立ち寄ったのだろう。父親も本好きの人だった。
 そこで映画『貸間あり』は、通天閣を見下ろす上町台地に建つ大きな屋敷へと舞台が変わる。この屋敷が「貸間あり」の札がぶらさがったアパートなのである。住みつくのはみな得体の知れない人物ばかり。主役で住人のまとめ役がフランキー堺。四か国語を操り、原稿書きや桂小金治を弟子にこんにゃく造りをしている。名は与田五郎。
 この五郎を中心に入れ替わり立ち替わり屋敷を出入りする者たちを、騒々しく描く群像劇なのである。名作『幕末太陽伝』を現代に移した大阪版といってもいい。
 ところが原作者の井伏はこれを気に入らず、試写が終わると憤然と席を立って帰っていったという。私は原作を読んでいないので比較のしようがないものの、井伏の気持ちは何となくわかります。あまりに下世話でばかばかしく、一瞬たりとも停止しないバカ騒ぎが全体を占め、原作者はうんざりさせられたのではないか。
 私は傑作とはいわないまでも、じつに川島らしいカーニバル的演出として面白く見た。とくに、どうみても大学受験生には見えない小沢昭一が、しつこくフランキー堺に替え玉受験を頼むあたりなど、思い出してもおかしい。しかし、全体に品がないのは事実である。そのあたりを井伏は気に食わなかったようだ。
 私はちょうど、初期作品集となる新潮文庫『山椒魚』を読み返していて、「掛持ち」という短編に着目した。昭和15年(1940)四月『文藝春秋』に発表。同年同月、「へんろう宿」が『オール讀物』に、前年には「多甚たじん古村こむら(一)」「大空の鷲」を執筆し40代初めの井伏は脂がのっていた。なお、「多甚古村」以外はすべて『山椒魚』に収録。

「掛持ち」とはこんな話。甲府の湯村温泉の宿「篠笹屋」に勤める喜十さんは、ここで団体客が押し寄せる繁忙期を勤め、客がいない時期を暖かい伊豆・谷津温泉「東洋亭」へ移って働く掛持ち番頭である。
 ところが「篠笹屋」では役に立たない喜十さんとして「阿呆扱い」されるが、「東洋亭」では「気のきいたいきな番頭さん」として「内田さん」と呼ばれた。
「彼は伊豆と甲州を往復の途中、誰にも秘密にいつも熱海の宿屋に一泊して、甲州湯村に向うときには三助風に、谷津温泉に向うときには紳士風に衣装がえするのである」
 一人の人間が姿かたちは同じながら、二重の人格として生きる。ちょっとした「ジキルとハイド」の設定が面白いし、またここから思わぬドラマが生まれる。
 というのも、東洋亭で「内田さん」として勤める彼を「篠笹屋」の客に見つかってしまう。「でっぷり太った男が鮎釣りの支度をして、大きなリクサックを背負い、にこにこ笑いながら立っていた」というから井伏鱒二を思わせる(宿帳に井能定二、職業は文筆業と書く)。この客は「湯村の篠笹屋の番頭さんじゃなかったかしら」と正体を見破ってしまう。
 ここから起きる小さな混乱(喜十さんにとっては危機)をコミカルに描いた作品が「掛持ち」である。私はこれを読んですぐ、これは映画になるなと思い、配役を考えてみた。掛持ち番頭の喜十は藤原釜足か三木のり平。釣り客の作家はフランキー堺、もしくは森繁久彌。そうなるとこれは「東宝」だ。外国人コーチにはE・H・エリック、カフェの女給は淡島千景と俳優の顔を思い浮かべて悦に入っていたのである。
 ところが、もしかしてと井伏鱒二原作の映画化を調べてみたら、なんと『風流温泉 番頭日記』(1962)のタイトルですでに映画化されていた。やはり東宝作品だった。私は未見。配役は喜十が小林桂樹、井能先生を志村たかし、女給は司葉子。三木のり平も出演している。いや、これはまいりました。
 そう考えると、意外にも井伏鱒二作品はけっこう映画化されている。順に並べると、『秀子の車掌さん』(原作「おこまさん」)、『本日休診』、『東京の空の下には』(原作「吉凶うらない」)、『集金旅行』、『駅前旅館』、『貸間あり』、『珍品堂主人』、『風流温泉 番頭日記』(原作「掛持ち」)、『黒い雨』と9本もある。
 思うに、井伏の作品は西洋近代の心理小説のごとく、緊密な構成を持たない。随筆に近い筆法で、余白を残しつつ、ユーモラスな叙述で人物を自由に動かす。油絵と水墨画の違い、と言ってもいい。映像の作り手(監督、脚本家)にとっては、その「余白」をわりあい自由に埋め、手を加えることができるはず。井伏に映画化作品が多いのも、そんな背景がうかがえるのだ。
「掛持ち」がダメなら、たとえば『山椒魚』(新潮文庫)収録のほかの作品はどうか。「屋根の上のサワン」あるいは「朽助のいる谷間」をドッキングさせて一本にと考えると、なんだか楽しくなってきた。そういえば、傷ついた白鳥を保護し、やがて空へ戻すというプロットはSFにすれば『E.T.』だ。随筆ふう実は空想の産物という名品「へんろう宿」も、三老婆の回想をふくらませればいい作品になりそう……。
(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。