岡崎 武志

第10回 中山康樹『ジャズメンとの約束』集英社文庫

 暑い夏、8月初めに京都へ行ってきた。『望星』(東海教育研究所)という月刊誌の依頼で、古本特集をまかされ、目次を企画立案、その中で京都「古書善行堂」インタビューを担当することになった。コロナの渦中は遠慮していたから、少なくも京都へ行くのは3年ぶりぐらいだ。
 1泊は取材費でホテルを使い、善行堂宅でもう1泊すると決めて、せっかくの京都だからあちこち行こうと考えたが、あまりの暑さに気持ちが凪いだ。左京区の京都大学近くで一人暮らしする母親を見舞おうと最寄りのバス停を調べたら、「206」系統しか行かない。京都駅のバスターミナルで当該のバス停へ行くと長蛇の列だ。うわあ、まいったなと思う。
 それもそのはず。この路線は清水寺への観光ルートになっているのだ。仕方なく混雑するバスに乗ったが、時間帯や土日になると乗りきれず積み残しが出るという。とにかく京都はインバウンド需要に京都人気が加わり、いまや大変なことになっているのだ。
 それでもぶじに母親の顔を見て、「古書善行堂」のインタビューも終えた。翌日、ぽっかり空いた一日を、「青春18きっぷ」1回目を使って京都駅から福知山へ向かう。この交通の要衝にして古き城下町に、「モジカ」という古本カフェができているのを知り、訪ねてみたのである。京都駅で山陰本線に乗り込み、嵯峨嵐山、保津ほづきょう、亀山などを経由して園部で乗換。福知山までは約2時間の行程であった。
 途中、山間を走り、トンネルを抜けて、高度を上げつつ野や川を下に見る車窓は旅気分を十分に味合わせてくれた。その晩は善行堂邸に泊めてもらう。翌3日目は、ふたたび「青春18きっぷ」を使って岡山の古本屋巡りをしようと事前準備をしていたが、これも暑さのために断念。昼の新幹線でおとなしく帰還することにした。もう若くはないよ、ともう一人の自分に告げるのだった。
 指定を取った「のぞみ」の出発時間まで、午前中、少し時間が空いた。それなら古本屋だと(思うところがえらい)、京都駅への通過点となる四条河原町でバスを下車。河原町通りの南側、高島屋と藤井大丸に挟まるかたちで寺が林立している。その西側、南北を貫くのが寺町通りで、なぜかここに電気店が集まり「寺町電器店街」と呼ばれていたが、現在は多くが撤退した。
 ここを少し南へ下がると、「三密堂書店」「大観堂」と2軒、昔ながらの古本屋があるのだ。ここへちょっと寄っていきたかった。ところが「三密堂」の看板が行く手に見えたあたりから、20人近くの行列が視野へ入ってきた。しかも大半は外国人旅行者。「三密堂」がインスタ映えとかなんとかで、人気急上昇したのかと思ったら、これは隣りのラーメン店(「麺屋猪一」の客であった。まあ、そうだろうな。
 あまり時間がなかったので、「三密堂」「大観堂」は顔を出す程度の滞在。どうこう言える知見はなく、行ったことだけ報告しておく。それでも「三密堂」の店頭均一では、何か1冊ぐらいは買いたいと、文庫を拾う。それが今回ご紹介する中山康樹やすき『ジャズメンとの約束』(集英社文庫)。100円だった。帰りの新幹線で読もうと思ったのだ。
 中山康樹は大阪出身で長らく『スイングジャーナル』編集長を務め、独立後ジャズやロックの評論家となった。著書は多数。とくに各社の新書レーベルをほとんど網羅、といっていいほど入門書的なジャズ本を書いている。『超ジャズ入門』『超ブルーノート入門』(共に集英社)といったタイトルからわかるだろう。
 中山の書くジャズ本はけっこう持っていたが、ある時、ジャズ関連の蔵書をまとめて売ってしまった。ジャズは読むものではなく聴くものと思ったからだ。それでも本書のカバー解説には「ジャズ界伝説のプレイヤーたちの知られざるエピソードを集めた一冊」とあり、そそられた。そして、弁当とビールを買い込んだ「のぞみ」車中で、新横浜を通過するあたりまで夢中になって、読了した。富士山をチェックするのを忘れていたほどだ。
 最初の「フレッドの日課」がいきなりいい。マンハッタンの中古レコード店主のフレッド・コーエンの話。彼の仕事は早朝の新聞を広げるところから始まる。目に鋭さが増すのは「訃報」欄。次々と人物名を抜き出し、年齢と場所でターゲットを絞り込む。そしてかたっぱしから遺族に電話をかけるのだ。友人のふりをしていつものセリフを口にする。
「ご主人、ジャズのレコードをコレクションされてはいなかったでしょうか」
 ちょっとした短編小説の味わいがあるのは、著者が意識して、事実を構成しているからだ。落ちに至る鮮やかさと手際のよさが全体を支配して、素敵な読み物となっている。
 モダンジャズの歴史を作った輝かしいレーベル「ブルーノート」の創立者アルフレッド・ライオンの生涯を、エピソード中心に短くまとめた「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」も知らない話ばかりだ。
 ロックの話題もある。「ハーモニカが〝大〟のつくほど嫌いだった。/たったそれだけのことで人生最大の失敗を冒した男がいる」と書き出されるのは「人生最大の失敗」。男の名はデイヴ・デクスター・ジュニア。キャピトル・レコードのプロデューサー。彼の眼力にかなったミュージシャンは優先的に契約が結ばれ、必ず成功した。
 そんな彼が、売り込みのあった無名グループを無視する。「変わった音楽」だったことは認めるが、たった一点、「ハーモニカ」が使われているのが気に食わなかった。そして3枚のシングル盤の発売権を放棄した。ボツにした曲は「ラヴ・ミー・ドゥ」「プリーズ・プリーズ・ミー」「シー・ラヴズ・ユー」。つまりビートルズだったのだ。
 この本をいかに熱く読んだかの証左に、巻末に挙げられたおすすめの名盤30のうち、ポール・デスモンド『明日に架ける橋』をすぐさま、アマゾンで注文した。これが数年ぶりのアマゾン利用であった。なお、中山康樹は2015年にがん闘病の果てに逝去。享年62。そのことも今回、この原稿を書くまで知らなかったのだ。

(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。