岡崎 武志

第11回 少年コミックスの単行本が欲しかった

 いま目の前にあり、ここ数カ月、手が届く場所にあるのが、手塚治虫『ふしぎな少年』①(小学館)だ。変な話だが、六十を過ぎてうれしかったのだ。その理由を以下、説明することにしよう。
 どこから始めようか。まずは、これが子どもの頃、欲しかったけど買えなかった本だということ。サイズは現行の少年コミックスとほぼ同じ。奥付表記によれば昭和44(1969)年7月10日発行で価格は240円というあたりから。昭和44年7月は、昭和32年3月生まれの私が12歳。早生まれなので中学1年生だった。この頃、マンガとの付き合いはほぼ雑誌(『少年マガジン』『少年サンデー』)に限られて、単行本を買うことはほとんどなかった気がする。理由は簡単で、マンガ単行本は高かった。
『ふしぎな少年』①の定価が240円というのはすでに書いた。これが当時の物価に照らし合わせて、どれぐらいのものだったか。ある資料によると、昭和44年の物価は、あんぱん20円、カレーライス130円、コーヒー100円、週刊誌70円、大卒公務員初任給が3万1000円であった。厳密に比較することは難しいが、現在の物価価値に変換して、だいたい6~7倍の上昇と考えてもいいだろう。
 本の値段はほかに比べて上昇率が低いことを塩梅して6倍としておく。それでも『ふしぎな少年』①の240円は、現在なら1440円ほどに相当する。中1(枚方市立第四中学校へ通学)坊主にはやっぱり高い。お年玉など、臨時の小遣いをもらわなければ手が出なかったろうと思う。マンガを置く古本屋なども、その頃近くにはなかった。
 現在ではどうだろう。少し検索してみたが、ほぼ同サイズの少年コミックスの定価は、580円から780円(出版社やページ数によっても異なる)ぐらい。こちらは2倍から3倍くらいにしか上がっていない。
子どもの頃夢中になった本との再会
 そんなわけで、50数年前なら手が届かなかったマンガが、現在なら易々と買える。しかも買った古本の値段は100円だった。飛びつくな、という方が無理だろう。じじつ、値段の問題を越えて、非常にうれしかった。少年期の怨念を払拭した思いだ。
 私が初心者を前に古本の面白さを説くとき、必ずと言って提言するのが、子どものころに熱中した本との再会だ。子どもの頃に読んだ本は、成長ののち捨てられるなど処分される。引っ越しが重なる場合はなおそうだ。親は実家に残した子どもの本を重視しない。落書きしたり、乱暴に扱ったりで、いい状態で残らないことも分が悪い。
 現在、昔の絵本や児童書で品切れ、絶版になったものに高値がつくのはそのためである。
「ふしぎな少年」についても触れておこう。これは手塚治虫が1961年5月から62年12月まで月刊誌『少年クラブ』に連載。1961年4月から62年にNHKテレビでドラマ化されている。原作マンガの方が遅いと思うのは錯覚で、雑誌の「〇月号」は実際の販売より1か月近く早い。つまり、原作とドラマはほぼ同時に始まった。テレビドラマ化のアイデアが先行し、それに合わせて手塚がマンガにしたという説もある。
 サブタンとみんなに呼ばれる小学生(大西三郎)が、ある日、時間を停めて再開させる力を得る。その際「時間よとまれ!」と叫ぶのだが、これは当時、子どもの間で流行語となった。何か困ったことに遭遇すると「時間よとまれ!」とサブタンのごとく叫ぶ。しかし現実は止まってくれず、そのまま情けない思いで進行するのだった。
 マンガでは、最初に「神かくし」という古来の迷信めいた話が紹介され、ついでサブタンを使って「四次元」について科学的解説がなされる。荒唐無稽なSFマンガが多い中、この点、手塚治虫はリアルであった。この時間を停めるというアイデアが大変面白く、本当にそんなことができたらという妄想も含め、子どもたちを夢中にさせたのだった。マンガは月刊誌で、ドラマは毎週放送だから、ドラマへの比重が大きかった気がするが。
この斬新なカバーデザインはいったい誰?
 そして一番大切なこと。作品としての「ふしぎな少年」は、その後何度か版を変えて刊行されている。なんといっても講談社の『手塚治虫漫画全集』があるし、文庫にもなった。作品そのものとの再会については、何も不自由はなかったのである。私の興奮は、だから作品との再会にはなかった。あくまでゴールデンコミックスと名付けられ、講談社版より前に「手塚治虫全集」と銘打った小学館の昭和44年版を入手することが重要だったのだ。
 掲げた書影のカバー図版を見ていただきたいが、サブタンを黒地、水色ライン抜きであしらい、中央を黒帯で分割するように「O.TEZUKA」と彩色された文字が横断する。下半分は水色地を敷いて、縦に「手塚治虫全集」と「虫プロ」マークのみ。じつに斬新なデザインでかっこよい。全体に「黒」の使い方が効果的だ。現在のコミックスカバーにおいても、これほど大胆なデザインは見当たらない気がする。子どもながらにこのカバーが目に焼き付いた。このフォーマットは、小学館「手塚治虫全集」の『鉄腕アトム』を入手したが、同じく踏襲されていた。
 ところが、このデザインを担当したのは誰か? カバー袖、目次の下、章扉の裏、奥付などどこを探してもクレジットがない。1969年当時、この手のカバーのデザインを手掛ける人はまだ少なかったかも。また、カバーの装幀者の名を記す習慣もコミックスではなかったかもしれない。しかし、これは現在の目で見ても疑いなく一級の仕事である。
 ところで、ドラマ版『ふしぎな少年』でサブタン役に扮した太田博之は、当時、子役として雑誌の表紙になるなど大人気のアイドルであった。ずいぶん月日が流れて、懐かしき名前に接したのは「小僧寿し」チェーンの創業者としてで、意外な転身に驚いたものだ。その後トラブルが発生し、事業からあえなく手を引く。「時間よとまれ!」と言いたかっただろうな。
 ……って、どうしても落ちをつけなければ済まないのか君は。

(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。