岡崎 武志

第12回 詩集を買う、そして読むことについて

 古本屋を訪れて、ここはいい店だと判断する基準の一つに、ある程度の分量、詩集が置かれているかどうかがある。たとえひと棚に1列でも、詩集が並んでいると目が吸い寄せられ、しばらく滞留する。あくまで、これは私個人の好みの問題ではあるが。
 古本屋や古本市などに出かけて、あまり買うものが見当たらないとき、あるいは少し買いすぎたとき、そこに詩集を1冊でもいいから混ぜることをよくする気がする。まず詩集は体裁として、ほとんどが薄く軽量で、1冊増えても影響がないことが大きい。それと、やっぱり詩集が好きで、雑然とした買い物にこれを加えることで引き締めたい、という思いもある。微妙な問題なので、わかってもらえなくてもいいと思っています。
 これは過去にも何度か書いてきたことだが、世に読書人とか蔵書家と呼ばれる人たちの中でも、詩集を読む人と読まない人ではっきり分かれる。「本の雑誌」の巻頭カラーグラビアに編集者や作家、読書家などの書庫を写真入りで探訪する人気連載「本棚が見たい!」がある。つぶさに毎回、隅々まで点検したわけではないにしても、詩集の登場率はきわめて低い。これは同誌がもともとそれまで、書評にも上がりにくかったエンタメ、ミステリー、SFの分野を積極的に紹介する性格であったため、どうしてもその筋の人の「本棚」になる。文句をつけるのは変だとわかっている。
 しかし、同じ「本好き」と言っても、これほど本棚の表情が違うのかとはいつも思っております。たまたま、手を伸ばせる範囲にあった「本の雑誌」2023年8月号の「本棚が見たい!」は、「本積みマイスターとして名高い書物の帝国」氏。本名は明かされていないが、知る人なら、ああ、あの人とすぐわかるのだろう。「中公新書マニア」でもある。「自宅のほか、実家、勤務先の大学の研究室の三か所に本棚を備える」という強者だ。全4ページの画面を圧するのは本、本、本。手すりが見えるから2階かと思われるが、すべての部屋を本棚と床に積み上げられた本が埋め尽くしている。
 写真に登場する本棚がすべてではない。だから、断言はできないが、見るところ詩集を集めた棚はなかったようだ。だからどうした、という話だが、私など詩集好きにはちょっと淋しい気がする。もっと蔵書量は少なくても、本棚の隅っこに10冊、20冊と詩集が見えるだけで、安心してしまうのである。

新保啓『朝の行方』
 詩集を買うという行為の中に、買ったばかりの本をそのあと、喫茶店へ入って広げ読みたい気持ちがすでに含まれている。買った本をすべて読むわけではない。点検する思いで、パラパラとページをめくってみる。これが私の読書生活において大切な時間であることは、これまでにも何度か書いた。その折りに、詩集ならたいてい1編は短いから、2、3編を読むことは可能である。1冊丸ごとを読んでも大して時間はかからない。ただし、詩を読むことは集中力を要するので、なかなか丸ごと、とはいかない。アイスティーにレモン汁を2滴、3滴落とす感じの読書となる。
 新保しんぼけい『朝の行方』(思潮社・2019)を買ったのは、そんなに以前の話ではなく、ここ半年ぐらいの間、西部古書会館の即売展だったと思う。200円ぐらいだった。なにしろ未知の詩人で経歴もわからなかったが、見た目でのある種の勘である。もちろん詩集としての瀟洒しょうしゃな装幀、タイトルにも心を許したのだと思う。これが『ジギタリスとゲシュタルト崩壊の忌まわしき関係』というタイトルなら手が出なかった(いや、逆に手が出たか?)。
 それと本棚の前に立って、目次を見たとき「朝の行方」「水の上」「きれいになった水平線」「水族館で」「池の夏」と、並ぶ言葉が平易で心優しく、これならと脇に抱えたのだ。喫茶店で少し落ち着いて詩集に対したとき、「経歴もわからなかった」と言うのは見落としだと判明。帯に小さく「1930年、新潟生まれ。詩誌『詩的現代』『詩彩』などに詩を発表」云々とあった。作品をいくつか読んで、年輩の方とは想像できたが、この詩集を出した時すでに90を目前、とは驚いた。「海に近く、雪深い」(帯文)土地で、自然と季節に対しながら、静かに沈潜していく心境が柔らかな筆致で綴られ、大変好ましい。
 表題作の冒頭部はこんな感じ。
「朝と昼の区分がよく分からない/どこから どこまでが/朝なのか/一晩中考えながら/朝を迎えた//朝にも遅刻はあるのだろうか/遅れてやってきた朝は/きまり悪そうにして/空を曇らせた/昼とのさかいを一層分からなくした/なんてふうに」
 勤めや社会からリタイアした人の心境であることがよくわかる。息の詰まるような駆け引きや猜疑心に飲み込まれた現役世代には持ちようのない余裕と感慨である。それが忙しく生きる者を慰める。2連目ラストの「なんてふうに」というワンクッションも効いている。これは一種の客観化であろう。感慨の垂れ流しは困るのである。
 「雨」や「雪」の詩が多い。いかにも新潟在住らしい。雨の日に、たくさん手紙を書いたという作品は、タイトルはそのまま「雨」。少し考えてみるとわかるが、意外に「雨」というタイトルはつけにくい。何か付け足したくなるのだ。その中の一節。
「そんなことが/あったなあ/遠い日/はるか向こうに/思いを馳せる/向こうの草原では/五月の緑が/雨に濡れて/美しい」
 表現としての欲は消され、思ったままの言葉が無理なく並べられている。それはそのままゆがむことなく、読者に転写されるのだ。こういう詩があっていいなあ、助かるなあと、ひと時、アイスコーヒーを飲みながら新保啓の詩集を読み進めた。これこそ、詩集を読む気分である。
(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。