岡崎 武志

第28回 柳田國男の足跡をたどって歩く

 前回に続き、昭和19年から敗戦の年まで、民俗学者の柳田國男がつづった『炭焼日記』について。空には敵機が飛来し、物資が日々窮乏する中、柳田は月に何度か遠来まで散歩を続けていた。それが水曜日に限定されているのが興味深い。なぜ、週のうち水曜となったのか、日記からはうかがえない。
 例外もあって、昭和19年「二月十五日」は「火よう」。「午後久しぶりに散歩、氷川ひかわ神社に詣ず、玉川に面した傾斜の道はあたたかなり、岩戸に白梅一本咲く」とある。
「氷川神社」は方々にあるが、ここは世田谷区宇奈根2丁目(現住所)の「氷川神社」だろう。すぐ南を「玉川」(多摩川)が流れる。柳田邸の位置は特定できていないが、2キロほどの距離ではないか。柳田は2里(約8キロ)ぐらいまでなら歩く健脚だから、軽い散歩と言えるだろう。
 翌「二月十六日」は「水よう」。散歩ごころがついてか、この日も外出。
「九時の江の島行にて柿生かきおまで、多摩郡の一方の端、平尾の杉山社に詣で、坂浜に出て長沼よりかえる。(中略)きょうの行程二里を超ゆるか」
 書物に埋もれながら研究を続ける学者とは違い、柳田は日本各地の山村を巡り、昔話や言い伝えを収集して記録した。そもそも「歩く人」だったのである。戦中の交通事情から遠出ができなくなって、座布団の上に縛り付けられる日々を倦み、足の方が黙っていられなくなったのではないか。
「三輪村に遊ぶ。熊野社と杉山社に詣ず、川を隔てて都筑つづき郡麻生村、今は横浜市、鳩多し、処々の梅、月読つきよみ社に詣で岡を越えて柿生まで」は「三月九日」で「木よう」。前日が水曜だが、この日は来客があり慣例は破られた。散歩コースをチェックしていると、「柿生」や「杉山社」、「登戸」などがたびたび登場する。
「五月三日 水よう」は「小田急登戸まで、遊園地の西麓を入り、切通しの新路を越えると鴛沼おしぬま八軒、その向うの岡を又のぼる。此村海棠多し」。私は一時期川崎市多摩区に在住し、最寄り駅は南武線「宿河原」だったが、小田急線を使うときは隣りの「登戸」駅までよく歩いた。「遊園地」は「向ヶ丘遊園」で今はない。生田緑地の丘の上に庄野潤三が住んでいた。「柿生」には河上徹太郎がいて、「鶴川」には白洲次郎・正子が住んでいた。時代は異なるが、生田緑地を中心とした文化圏が形づくられていたのである。
 こうして柳田の散歩コースをチェックするうち、どこか一つを選んで歩きたくなった。
道中バスでキセルしてのへなちょこ散歩
 いろいろ考えて、先に触れた「二月十六日」のコースを選ぶ。小田急小田原線「柿生」駅から北西に進路を取り、小田急多摩線「栗平」駅を通過、稲城市を縦断し、京王相模原線沿いに鶴川街道を行くと「坂浜」という地名が確かにある。さらに北へ、京王相模原線「稲城」駅を右に見て、南武線「稲城長沼」駅をゴールとする。柳田が書く「長沼」とはこれだろう。「行程二里を超ゆる」とあるが、10キロ近くあるのではないか。私に踏破できるだろうか。
 とにかく4月末の某日、地図にメモ帳、帽子着用水筒持参で小田急「柿生」駅へ。南武線からの乗り継ぎ駅が「登戸」だ。駅前南側にあった飲食店街のエリアが更地になっていた。「柿生」駅は普通電車のみ停車。私は初めて降りる。駅ホームからすぐ南に無人改札があり、踏切を渡って北側へ出る。駅前に「マルエツ」。これは便利だ。すぐ目の前に麻生川。その向う、緑が繁る小高い丘になっている。丘陵地がすぐ目の前に迫っている。
 駅入り口交差点から137号線へ入る。蛇行して片平川が並行して流れるが、このあたりの町名も「片平」。ガードに守られた歩道はすぐ途切れ、しばらく歩くとまた広い歩道に出た。一帯は静かな低層住宅街だ。少なくとも「栗平」駅までは歩き、柳田がよく立ち寄った「杉山社」(「杉山神社」稲城市平尾)は足跡をつけたい。意気込んで歩きだしたものの、2キロほど来るとすでに息が上がり、137号線沿いの「片平公園」で早くも休憩。ハナミズキ、コブシが花をつけ、憩える場所だ。この辺り、飲食店もなく土木作業員らしき数名が木陰のベンチで弁当を食べていた。
 10分ほど休んでまた歩き出すも、この日は日差しも強く汗が目に入ってきた。さらに600メートルほど歩いた時点(洋菓子店「シャトレーゼ」あり)で気分が萎えだした。と、ちょうどそこへ稲城行きのバスが通りかかる。「乗っちゃえ」と悪魔のささやきが聞こえ、あえなくここでリタイア。「柳田先生、ごめんなさい」。いやあ、バスはやっぱり楽だわ。
 バス路線は柳田が歩いたと思われる鶴川街道を走り、途中、駒沢女子大近くのバス停で大勢の女子学生を飲み込んでいく。ここが「坂浜」だ。近頃の女子大生はみんなおしゃれできれい。急に車内の空気が変わりオクタン価が上昇する。みな「稲城」駅を利用するらしい。「らくちん」にオクタン価上昇でくつろぎながら、このままゴールするのはやっぱりしのびない。終点近い稲城駅近くの「保健センター」停留所で下車。そこから稲城長沼駅までは再び歩くことにする。距離は1キロほどか。
 複雑に何本も道が合流する交差点を2つ過ごして、急に細くなる道へ入っていく。いかにも旧街道といった風情で、おそらく柳田が歩いた道だろう。「青渭(あおい)通り」と名がつくのは、同名の神社があるため。せっかくだから「青渭神社」にも参拝。かつて青い沼があり、その神霊を祀ったことからついた名だという。隣接する公民館らしき建物からカラオケの歌声が流れる。「銀座の恋の物語」だ。

 午後1時半、稲城長沼駅着。柳田から80年後の散歩が終了した。柿生駅を出発したのが午前11時50分だった。途中はバスを使って、歩行距離はせいぜい4キロ。「二里を超ゆる」の半分にも満たない。しかし青渭通りを歩けたのはよかった。おそらく何もかもが変貌を遂げた時代の間隔の中で、ここだけが80年前をどうにか偲べる道程だった。柳田は間違いなく青渭神社へも詣でたはずだが、そのこともちょっと書いておいてほしかった。
 1冊の本に出合わなければ、思いつきもしないルートを歩くことになって、私はけっこう満足している。

(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。