岡崎 武志

【第8回】『遊園地の木馬』その人の実物と肉声を知っている

 私が読書をする場合、一般の方々と違うだろうと思う点は、書評家を名乗る本読みとしてのいちおうのプロである点にある。書評対象ではない、趣味としての読書をする際も、付箋を貼ったり、簡単な梗概こうがいや登場人物についてのメモを取ったりする。これは一種の職業病であろう。
 さらにもう一つ、編集者を経ての長いライター人生において、作家、芸能人など多くの著名人に会って話を聞いている。読んでいる本の著者と過去に面識がある、というケースがけっこうあるのだ。親近感が増すという利点のほか、読みながら著者の印象や肉声が文章とシンクロしていく。それはテレビに出て喋っているのを見た、聞いた経験とも少し違っているようだ。実物を目の前にして、同じ空気を吸った経験はもっと濃い。
 文章(主にエッセイ)を読みながら、自然と声音や風貌がそこに重なっていく。
 そう改めて考えたのも、池内いけうちおさむ『遊園地の木馬』(みすず書房)を読んだからだ。1994年から97年まで日本経済新聞に連載されたエッセイを精選して収録。中身は日常の雑感が中心で、1編が3ページ。実に読みやすい。大相撲の夏場所に入る前、7月の静かな夕方に氷をたくさん入れたアイスティーを飲みながら、毎日少しずつ読んだ。これはいい読書だった。
 タイトルとなった「遊園地の木馬」と同名の文章はなく、最初に収録された「はじめての住居」で触れられた神戸の市立動物園に併設された、小さな遊園地の木馬の話から付けたようだ。いいタイトルだが、営業的に考えると少し弱い。タイトルから中身が分からないではないか。しかし、池内紀、みすず書房という固有名詞に強い力があるため、これでよしとされたのだろう。
 カバーに使われた古い板塀の前に旧式の乳母車と自転車の写真は著者自身の手による。「兵庫県三木市の商店街」を撮影したものらしい。この三木市について書いたのが「肥後守ひごのかみナイフ」。少年が使う携帯用ナイフ「肥後守」は、播州・三木で生まれた。もちろん初耳。量産が始まったのは明治40年ごろ。全国に広まったが1960年の浅沼稲次郎刺殺事件により警察庁から「飛出しナイフおよび携帯禁止の刃物」の通達が出て、この小刀の息の根を止めた。私が小学生の頃、鉛筆削りで使ったのは薄刃のカッターナイフだった。
 1940年生まれの池内さんは連載中が50代。長らく勤めた東京大学を辞め、フリーの身になった時期に重なり、精神の自由さが全体に漂っている。そうした感慨や感想も随所に書き留められる。そこで、中高年の身の処し方などもうかがえるのである。本が出たのは1998年。私は40代にこれを読み、50代の男がいかに世間と折り合いをつけて生きていくかの指南書として受け止めていた気がする。
 最初に読んだ時はまだ池内さんとお目にかかる前。その後、2度、取材でお目にかかりいずれも気分がよかった。今回再読したのは私がもう60代半ばを越え、池内さんの謦咳けいがいに接した後だから、少し読み方にも変化があったのだ。
 たとえば「値打ち」という文章。
「もともと、モノを持たない人間だが、たまには買物をする。靴下は三足千円、ジーパンは三千二百円の超見切り品、この冬は二百円手袋というので過ごしてきた」
 原稿用紙は学生の時使っていたのと同じで有名文具店の名入りというものではなく、それで「べつに何の支障もなく愛用している」という。
 最初に読んだ時は、へえそんなものかで済んだ話だが、同じような話をその後、お目にかかった際に聞いている。取材に指定された喫茶店は三鷹駅前の「しもおれ」(再開発ですぐ近くに移転)。池内さんは一つ隣駅の武蔵境に住んでおられたようだ。池内さんが好きな山歩きの話になった時、装備や着ていく服について、「みんなイトーヨーカドーの安物ですよ」とおっしゃったのだ。汗になったシャツやパンツは家に持ち帰らず、現地で処分していくとのことだったが、なるほど、それなら安い品の方がいい。そんな飾らない姿や物言いを、「値打ち」という文章で思い出したのだ。「私は旅先で用ずみの品や下着をすてていくことにしている」(「ドレスデン」)と、ちゃんと書いてある。 
 酒や食べ物も高級品ではなくいたって大衆的。取材したとき、喫茶店の横に「下田書店」という古びた古本屋、裏手に焼き鳥屋があったが、いずれも池内さんのひいきの店。「だからぼくは、この狭いエリアですべて用が足りるんです」とおっしゃったのだ。目を細めた優しい笑顔、柔らかい関西弁が懐かしい。知り合いの編集者は、「池内さんはね、麻婆豆腐が好きなの。だから、麻婆豆腐のおいしい店に連れていけば、なんにも文句は言わない」とも聞いた。どこそこの名店の天ぷらや寿司、フランス料理というのではなく、麻婆豆腐というのがうれしいじゃないか。
 また本書には、50代半ばにいたって得た「生」の実感が随所にちりばめられ、生きる知恵読本といった趣きがある。
「私たちのからだ、それはあきらかに前に出ていくようにつくられている。目も鼻も耳も口も、手も足も性器までも、いっせいに前方を向いている。あらゆる地上の生きもののなかで、これほどめだって前方優位につくられているものも少ないのではあるまいか」(「前へ、前へ」)。
「人の『こころ』のふしぎさ、奇妙さ。当人にも予測のつかない部分がある。それは自分のものであって、同時に自分のものではない。意のままになるのは、ある程度までであって、それから先はわからない」(「『こころ』のふしぎ」)。
「病気にならないと健康に気がつかない。地球の引力を知るのは落下のときである。齢の意味が違って思えるのは、要するに若いときは生の実感がなかったからだろう」(「老いるとは」)。
「何かに夢中になっているときは、たいていのことは忘れている。その間、うき世の苦労とも縁がきれていて、これはこれで、まんざら悪いばかりではない」(「忘れもの」)。
 これらの言葉は、亡き池内さんの面影と重なり、最初に読んだ40代の時より、いま一層に身に沁みてくる。

(写真は全て筆者撮影)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。