松井 久子
第10回 もう淋しくはない
「おひとりさま」の人生を自由に送ってきた人が、誰かと同じ屋根の下に暮らす自分を想像して、一番心配になるのが「生活習慣の違いや価値観の違いで、日常のちょっとしたことで衝突したり、相手に合わせなければならない」ことだろう。
 そんな煩わしさを味わうよりも、ひとりで気楽に暮らしたい、誰にも束縛されないこの自由さは何ものにも代えられないものだ、と考えている独身の女性は多い。いや、男性もそういう人が増えていると聞く。
 まさに非婚時代の到来だ。
 厚生労働省の統計によると、私が結婚した1970年代半ばは約10あった婚姻率(人口千人当たり)が、今では4までに落ち込んでいる。
 そんな昔まで遡らなくても、結婚しない人の数が2000年から2020年で、男性は2.2倍、女性は3.1倍ほど増えているそうだ。
 そして、結婚していない理由となると、内閣府の調査では男女ともに1位は「適当な相手にめぐりあわない」だが、2位になると、男性は「生活資金が足りない」であるのに対して、女性は「自由や気楽さを失いたくないから」との回答が40%近くに及ぶのだという。
 他人と暮らすのが煩わしい。自由でなくなるのは真っ平だ。
 それがおひとりさまの、特に働く女性の「結婚しない」理由なのだろうか。
 私も仕事が忙しかったときは、ずっと似たような感覚を持っていた。
 仕事と家事育児の両立はほんとうに大変だったし、離婚して育児の半分を両親に頼り、息子が高校から海外留学をしてからは、仕事オンリーの生活がどれだけ自由で充実していたことか。
 そんな頃は、バツイチ女の寂しさを感じる隙もなかった。
 同性だけでなく、信頼できる男友達もたくさんいて、たまに訪れる恋めいたことへのドキドキも、いっとき味わえば十分だった。
 でも考えてみれば、それも50代までのことではなかったか…?
 60代の声を聞くと、日本の女には異性との出会いがなくなる。そうなると、誰かと共に生きるなど、望んではいけない女になっていく。
 私もそうだった。ついこの間までは「単身」あるいは「独身」を「おひとりさま」と言いかえて、シャンと背筋を伸ばしているのが当たり前だったのだ。
「孤独を友として生きよう」と、心底思って生きていた。
「人間、どうせ死ぬときはひとり。どんなに愛する伴侶がいたって、一緒に死ねるわけじゃなし」
「出会ったばかりの人と、今更一緒に暮らす煩わしさを考えたら、新しい出会いなんて、求める気さえしなくなるの」と、本気で思っていたのである。ついこの間までは。
 ところがいま、私が何気なく言った言葉に、逸平があるときはコロコロ、あるときはクスクスと笑っているのである。そんなときは、
「何が可笑しいのよ?」
 と言いながら、彼を笑わせるのがどんどん好きになっている自分に気づく。
「そういえばあなた、私と一緒に暮らすまでは、笑うことなんてなかったでしょう?」
 と、いかにも恩着せがましく聞いてしまう。
「そんなことないよ」
 と、彼もムキになって答える。
「たとえば、どんなときに笑ってた?」
「たとえば…、ラジオで志ん生の落語とか聴いてね。よくゲラゲラと声を出して笑っていたよ」
「志ん生!?  古いわねぇ! いったいいつの話をしてるの?」
「君と知り合う前だよ。ついこの間までだ」
 そういう他愛もない話で、二人一緒に笑い合う。ひとりで暮らしていたときにはなかった楽しさだなぁ、としみじみ思うのである。
 学問にしか興味がないと思っていた彼に、実は落語を聴く趣味があったのかと、新しい発見をして、
「ねぇ、今度寄席に行ってみない?」
 と口にするなどは、ついこの間までは思いもしないことだった。
 仕事や自己実現で忙しい頃には考えもしなかった、ささやかな幸福。
 それがいまの逸平との暮らしにはある。それを有難いと思う自分がいるのである。
「いまはまだ再婚などしたくない。でも定年を過ぎたら、誰かと出会い、共に生きてもいいかもしれない」
 誰もがそんなことを自然に考えられて、それが普通に、当たり前に実現できる世の中になるといいのに…。
 日本の社会は、高齢者になると縛りが多すぎる。
「いい歳をして」なんて言葉や発想がなくなれば、死ぬまで楽しく、愉快な日々が過ごせるはずなのに。
 それにしても、高齢者がこんなにも肩身の狭い社会になったのは、いったいいつの頃からだったろう?
 自分も若い頃は、高齢者のことなど考えもしなかった。
 それがいま、すべてを高齢者目線で捉えたり考えたりしている。だから腹が立つことが多いのである。
 腹の立つ最たるものが、電車に乗ったときの若者たちのマナーだ。
 私たちは多摩川べりに住んでいるので、よく小田急線を利用するのだが、比較的混んだ電車に乗ると、シートに座った若者がサッと下を向いて、スマホの画面に夢中になるか、眠ったフリをする。
 日本の都会では若者が老人に席を譲るなど、滅多にない光景だ。
 逸平は70代の頃、夏にはドイツに行って、ミュンヘン郊外の避暑地で書きものをしていたという。
 その頃の思い出話をよく聞かせてくれる。
 彼の国では、逸平が電車に乗ると、誰もがさっと席を立って、席を譲ってくれたそうだ。また、手にした重い荷物を網棚に載せようとすれば、必ず親切な手が伸びてきて、載せてくれもした。
 社会全体に思いやりの文化が浸透しているドイツで過ごした日々を、小田急線に乗るたびに、懐かしく思い出すという。
「あのときの僕はまだ70代だよ。でも日本では目の前の若者が、90代の僕を平気で無視して、スマホ・ゲームに夢中になっているんだからね」
 そんな彼が、彼の地に行って最初に身につけたドイツ語が、
「ご親切に、ありがとうございます」という言葉だったと話してくれた。
 年齢を重ねれば重ねるほど、社会からの疎外感をおぼえずにいられないなんて、それだけでも「日本は上等な国ではないな」と思ってしまう。
「自由と気楽さを失いたくないから、結婚はしたくない」という非婚の理由と、電車で席を立とうとしない若者の姿とは、どこかで繫がっているような気がするのだが、どうだろう?
 誰もが自分の目先のことだけに夢中で、わがままになっている国に、明るい未来が待っているとは思えない。
 そんなことは、仕事が現役の頃にも、ひとり暮らしをしていたときにも気づかなかったことだ。
 老いの日々とは、とても小さな人間らしいことにこそ、愛おしさを感じ、味わう時間なのかもしれない。
 たとえば若い頃はあまり大切と思えなかった、親や先祖の位牌である。
 これがいまでは、まるで自分の宝物のように感じるから不思議なものだ
 私は逸平と再婚してから、まだきちんとした引っ越しというものをしていないので、我が家にあった仏壇の位牌2つと、線香立てと蠟燭立と、鈴、それだけを衣類と一緒にボストンバッグに詰めて運んできた。
 そしてそれらを書棚の一隅、彼の亡き妻治子さんの笑顔の遺影が飾られたところに一緒に据えて、毎朝それらに手を合わせている。
 そうした若い頃には気の回らなかったことが、老いたいまの大切な関心事になっている。
 また、横浜でひとり暮らしをしていた頃は、私はいったいどんな「死のとき」を迎えるのだろうと、しばしば考えては、マンションのリビングルームに倒れた自分が、誰にも気づかれず、やがて腐敗していく…というような図を、何度も頭に浮かべたりしていたものだ。
 ところがいまは、そういう寂しい光景が思い描けない。
 もちろん順番で言ったら、逸平が先に死んで、私はまたひとり残される身になるだろうことはわかっている。
 それでもいまは、やがてくるだろう逸平を介護する日々を想像するのが精一杯で、自分のことまでには行きつかないのだ。
 この人が「死のとき」を迎えるまで、こういうことをしてあげたい、ああいうことを一緒にしたい…そんなことばかり考えて、やっぱり「おひとりさまを卒業して、よかった」と思うのである。
 そういえば、この夏、91歳で亡くなった在日の作家・高史明さんが書いていたのを思い出す。
「淋しいこころの持ち主が、いま一人の淋しいこころの持ち主と出会うなら、その二人は、もはや淋しい一人ではないのである」
 いい言葉だ。いまの私たちが正にそんな心境である。

第11回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。