松井 久子
第11回 突然の嵐──4人で話し合いたいことがあります。時間をつくってもらえますか?
家族のグループ・ラインに、逸平の娘・知美さんの夫の昌彦さんからメッセージが入っていた。
1月5日、朝の片づけを済ませて、逸平とお茶を飲んでいたときのことだ。
知美さん夫婦とは、結婚してこの家に越してきた去年の夏から同居していて、4階建ての大きな家の1、2階は娘たちのスペース、3階が逸平と私のスペース、そして4階が客間という形で住み分けていた。
世にいう二世帯住宅と一点違うのは、キッチンとダイニング・ルームが2階にあって、食事を二夫婦が一緒にする家という点だ。
話し合いたいことがある…。何だろう? 胸騒ぎがした。
大晦日から三が日にかけては、知美さんの娘の茉莉さんが泊まりにきていたし、昨日は親類のTさんご夫妻が年始の挨拶に来られて、このところ毎日顔を合わせ、一緒に食卓を囲んでいる。だのに、改まっての話とはいったい何のことだろう?
約束の時間に2階に行くと、ダイニング・テーブルのいつもの席に知美さんと昌彦さんが神妙な面持ちで座っていた。私たちが腰を降ろすなり、昌彦さんが切り出した。
「知美が、多華子さんが怖くて仕方ないと言うんですよ。顔を見ただけで過呼吸になるほどだと。困りましたねぇ」
「怖い?…私が…?」
狐につままれたような気持ちだった。
助けを求めて視線を移した知美さんと目が合うと、
「ずっと我慢してきたけど、もう耐えられないの」
低い声で言った。
この家に来てから約5ヶ月、思い出す限りこれまで一度として衝突したり喧嘩をしたりした記憶もない。それを怖いとは、いったいどういうことだろう?
突然の思いがけない事態に、頭が混乱して、何をどう判断していいかがわからなかった。
「知美がここまで深刻になってしまったからには、いずれ僕たちがこの家を出ることも、考えなきゃならないと思ってますよ」
昌彦さんが突き放すような調子で言った。
そもそも、逸平と私に正式な結婚を勧めてくれたのは、他ならぬ知美さん夫妻である。
籍のことなど、どうでもいいと考えていた私たちに、
「もしパパが入院でもすることになったら、正式な家族になっておかないと見舞いにも行けないのよ」と言って。コロナ禍のいまだからこそ「入籍」が大事なのだと。
普通なら、この歳になった親の再婚を、真っ先に反対するのが実の子どもたちだと聞いてきた。
逸平はもうじき90歳。子どもの立場からすれば、財産目当てに騙されていると思われても仕方ない年齢だったが、二人が全面的に喜んでくれていることが、最初に会ったときからわかって、嬉しかった。
「なんてできた娘なの?」「あなたはほんとに運のいい人ね」と、周囲の誰からも羨ましがられた結婚だったから、そんな祝福の嵐に、気が緩んでいたのだろうか。
しかしそのいっぽうで、家の間取りを聞いた人の何人もが、
「若い嫁と姑の間でも、最初に揉
それなのに、当時の私はただ楽観的だった。
楽観的である理由のひとつは、逸平が全面的に私を承認してくれているという、ゆるがぬ実感があったからだ。
私自身すでに70代の後半になって、小姑に気を遣ったり、義理の娘の顔色を窺うような暮らしが予想されるなら、今更結婚などしたくないと思っていた。
もちろん先を賢明に予測すれば、二人だけで気楽に暮らす方法を考えた方がよかったのかもしれない。
しかし、そんな心配は世間一般の家族の場合で、知美さん夫婦はそういう月並みな人たちではないという、根拠のない信頼があったのだ。若い人たちと暮らすほうが楽しいはずだと、疑いもなく思っていたし、何より90歳を超えた逸平に、環境の変化という負担をかけたくなかった。
そして、知美さんももう50代の半ば、生活習慣に多少の齟齬はあっても、そこはお互い大人同士、やり過ごしたり黙認したりしていくことだろうと、ポジティブに捉えていたのである。
ところが、これは思いのほか深刻な問題かもしれない…と気づいたのは、つい5日前、家族一同で元旦の祝膳を囲んでいたときのことだった。
皆で「明けましておめでとう」の挨拶をしあった後、テーブルに並んだおせち料理を食べ始めた若い3人が、まったく無言なのである。直感的に不安に襲われた。
私のつくった料理が口に合わないのだろうか? それとも、食卓いっぱいに並んだおせちの数と量に、「これをひとりでつくったのよ」と、さも自慢げに主張していると見えてしまったのだろうか…。
私にしてみれば、毎年当たり前にやっていることが、嫌味な自己顕示と受け取られてしまったのなら、あまりにもやるせない…。
そんなことを考えていると、やがて3人ともに食卓の上に置いた携帯電話を手に取って、それぞれに自分のスマホの画面を眺め始めた。
咄嗟に隣を見ると、逸平はいつものまま、黙々と箸を運んでいる。
部屋全体を気まずい空気が覆っていた。
やがて、雑煮を一口啜った孫娘の茉莉さんが、
「うまい!」
と、声を張り上げた。私は思わず、
「美味しい? 嬉しいわ、そう言ってもらえると」
救われた思いで言っていた。
すると知美さんが、
「私たちが何も言わないからね」
ぼそっと呟いたのだった。
その棘のある言葉に、思い出した。
私がこの家に来て間もない頃に、つくった料理の何を出しても反応がなく、昌彦さんと何か別の話をしながら食べているので、
「美味しく食べてもらっているかどうかもわからない。たまには何か言ってほしい」というような不満を、逸平に吐露したことがある。
そんな私の気持ちを知って、彼が、
「我が家の悪い習慣は直さなきゃいけないね」と、知美さん夫婦に言ってくれたと聞いていた。
が、そんなことを彼らへの不満と受け取って、根に持たれていたのだろうか?
私たちの結婚を勧めてくれた知美さんは、異国での暮らしが長く、日本の嫁姑的な因習に縛られた人ではないと、安心しすぎていたかもしれない。
若い二人に食べさせたい一心で、フランス料理の本を何冊も買い込んで、ほぼ毎日、夢中で料理をつくってきた数ヶ月。
一緒に食事をするのは夕ご飯だけだったが、これまでつくったことのない料理に挑戦するのも、楽しくて仕方なかった。でも、それも自己満足でしかなかったのだろうか?
思えばいつの頃からか、朝のキッチンで顔を合わせたときに見せる知美さんのつくり笑いに、気づいていながらそのたびその疑問を打ち消してきたではないか。
その夜、知美さんの訴えを聞きながら、この家に来てからの私は、いささか無邪気すぎたかもしれないと考えていた。
いっぽうで、知美さんの私への批判が、何ひとつ胸に響いてこないのも感じていた。
「あなたの顔を見ると過呼吸になる」と言われても、それが私には遠い彼方で起きていることのように、現実感が薄いのだった。
そういえば以前、彼女と母親の治子さんが生きていた頃の、折り合いが悪かった母娘関係について聞いたときも、
「あの人が私の後ろを通り過ぎただけで、過呼吸になるの」
と言っていたっけ。
誰から見てもヨーロッパ育ちの意思の強い女性に見えた彼女と「過呼吸」というフレーズとが、どうしても結びつかなかったことを思い出す。
それよりも、知美さんが滔々と私を批判して語るどの言葉にも、私がここを変えれば、彼女との関係を好転させられる、と思える要素が見つからないのである。
「この人の苦悩はこの人のものであって、私はこの女性のために何も変えてあげることができない」と、とても冷静に思っていた。
考えてみれば、私たちのように高齢になってからの再婚の目的は、新たな家族をつくるためではなかった。あくまで本人同士が、やがてくる死のときまで「共に生きたい」という強い意思を持っての行為であった。
つまり、極端に言えば、相手の家族のことなど、私にとってはどうでもいいこととしか思えないのである。それより逸平が、知美さんの心変わりをどう考えているか、それが問題だった。
知美さんは、幼い頃から母親との折り合いが悪く、父親はつねに二人の間に入って、過干渉な母親の盾になって娘をかばってきたと聞いていた。
ひとり娘の人生の大半を同居してきた老父にとって、この娘の反乱は、どんな風に映っているのだろう。
90歳になってから体験するにはあまりに酷なものと思えて、気の毒でならない。
そんなことを考えていたとき、逸平が話し合いを終わらせるように、叫んだ。
「よし、わかった。もう食事を一緒にするのはやめにしよう。元に戻るんだ。台所を、それぞれ別の時間に使うようにする。それでいいね」
彼のいつにない断定的な物言いに、皆が「今日の会議はここまで」と悟って、席を立った。
(第12回へつづく)
┃プロフィール
松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。