松井 久子
第12回 同居解消
 自分の部屋に戻った。
 デスクの前に座って、先ほどまで知美さんから浴びせられた、批判の言葉の数々を反芻はんすうするうち、突然脳裏に、30年近く前にはじめて映画監督の仕事に挑戦したときの体験がよみがえった。
 あのとき、アメリカ・ルイジアナ州の現場で、撮影のスケジュールを半分ほどこなしたところで、主演の女優さんから唐突に「この作品を降りて日本に帰りたい」と言われた、苦すぎる思い出。監督の私の振る舞いが我慢ならない、と。
 あのときも私は、自分と同い年のベテラン女優さんに、全幅ぜんぷくの信頼を寄せていた。自分が与えられた仕事に、まっすぐ、邪念なく打ち込んでいれば、この人が初対面の席で言ってくれたとおり、誰よりも自分を理解してくれ、応援してくれるはず…と思い込んでいたのである。
 しかし、甘かったのだ。映画監督の仕事とは、そんな甘っちょろいものではなかった。
 主演女優に降りられてしまったら、作品はあと半分を残して、何もかもが消えてなくなってしまう。製作資金の調達で世話になった人びとにも顔向けができない。
 結局あのときは、女優さんがなんとか最後まで仕事をやり終えてくれたので、大事には至らず、映画は無事完成したが…。私のこれまでの人生で、最も過酷な経験だった。
 久しぶりにあの日の地獄、50歳の未熟すぎた自分を思い出していた。

 と、逸平が部屋に入ってきた。
 背後から肩にのせてくれた手が温かい。
 その温かさに、先ほどまでの話し合いが、二人の関係に何ひとつ影を落としてはいないと感じることができた。
「知美はあなたへのコンプレックスと自分のプライドが、ごちゃごちゃになっているね。あとは父親を取られた嫉妬だ。だからあなたは、自分のせいだと思う必要はないよ。あとは僕に任せて」
 これまで、仲の良さが自慢だった父と娘が、自分のせいで疎遠になってしまうのだろうか。そんなことは、彼の年齢を考えればあまりにも酷なことに思える。
 いっぽうで、いま76歳になった私は、人生にはどうにもならないこともあると知っていた。
 つい最近「この歳になって、どうにもならないことを、自分の力でなんとかしようという無駄な努力はもうやめよう」と決めたばかりだ。
 そう、人生の最終章で出会った逸平が、「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれるなら、彼の言葉を信じて、これからは「自分のままで生きよう」と決めたところである。

 キーワードは、「傲慢」だったり、「不遜」だったり、という類いのものだ。
 それはもしかしたら、生まれたときからだったかもしれない。
 家庭でも、上がった学校でも、私は、周囲の友達より少し多めの、少し強めのエネルギーを持つ人間だった。
 それで集団生活のなかでは「嵩張かさばる」、「かさだかい」存在だということで、疎まれることがよくあった。
 もっと平たく言えば、コミュニティのなかで「女王様気質」を持つ女性に嫌われたのである。また思春期以降は「支配欲の強い男」から、煙たがられたり嫌われたりもした。
 それでいつの間にか、皆に受け入れてもらうためには、「自分のままであってはいけない」と思い込むようになっていったのだった。
 傲慢と思われないように、不遜に見えないようにと、自らを戒めながら生きてきたつもりで、ときにそんな自分の信条を忘れてしまうこともあった。
 映画の現場での「女王様」は主演女優である。だのに、自分が助けてあげようと思っていた人が、はじめて監督をするからといって、「私を差し置いて女王様になってどうする?」ということで、それが初監督をしたルイジアナでの試練だった。
 また、影山家の女王様はずっと知美さんだったし、知美さんでなくてはならなかった。が、気がつくとこの私が、いつの間にか意気揚々と、家のなかの一切を取り仕切っている女王様になっていた…ということなのだろうか。
 私はいつも一番大事なときに、取り返しのつかないようなヘマをする。
「やっと会えた。このひとが私の最後のひとだ」と、逸平に会って心から思えたのは、彼がほんとに生まれてはじめて「あなたはあなたのままでいい」と許してくれたからだった。
 こんなひとには二度と会えない…と思ってこの家にやってきた私は、さぞかし浮かれていたにちがいない。家事や料理にも、若い二人の気持ちを無視して張り切りすぎていたかもしれない。
 そして、やってきたこの家で、最愛のひとの、最愛の娘から「あなたが女王様であるのは許さない」と、たったの半年で言い渡されてしまうなんて。
 人生とはなんと皮肉なことであろう。
 それでも、悩んだり、落ち込んだりすることがないのは、年の功というものだろうか。
 もう、考えても解決しないことをクヨクヨと考えることはしない。それも70代になって身につけた処世術のように思うのだ。
 いや、それよりも、逸平が全面的に承認してくれているので、私はどんどん楽天的になっている。
 誰かに信頼されているということで、こんなにも心が自由になれるとは思わなかった。

 朝、目を覚ますと、隣の逸平が天井を見ながら、また何か考えているようだ。
「何を考えているの?」
「いやね、あなたと会わなかったら、自分は今頃、どうしていただろうと思ってね」
「それはこれまでのままではないの?」
「朝起きて、娘夫婦のために毎日のゴミ捨てをして、ひとりいつものサツマイモ入りの朝食をとる」
「あ、私が来てからもゴミ出しと朝ごはんづくりはあなたの仕事ね。何も変わってない」
「いや、変わったよ。いまはあなたと二人で朝ごはんを食べている。あと二度の食事はあなたにつくってもらえるし、一緒にジムに行くのも、帰りにスーパーで買い物をするのも楽しいよ。もう、ひとりではないと思える」
「なら、よかった。私ももう、ひとりには戻らない」
 そんな会話をして一日が始まる。さしあたってしなければならないことが何もない一日が、ただ互いの元気を確認し合うだけで、穏やかに始まる。
 それが老夫婦の当たり前の日常だ。

 1月5日の話し合い以降、私は加わらない親子3人の話し合いが続いていた。
 2階のダイニング・ルームでの会議のあいだ、私は3階の部屋でそれが終わるのを待ち、逸平は話し合いが終わるたびに上がってきて、その内容を丁寧に報告してくれた。
「今日はね、『もう元には戻らない。子どもの犠牲になる人生は終わりだ』と宣言したよ」
「ほんとに? あなたにそんなことが言えたの?」
 逸平はきついことが言えない。誰に対してもだ。
「言えたさ。知美は驚いただろうね」
 と言って、小さく笑った。
 そんな会話をするたび、この歳まで親子が同居していた家族の実態が、私の貧しい想像力ではわからなくなるのだった。
「もとはといえば、我々夫婦が問題だったのだけどね」
 もっと私にもわかるように説明してほしいとは言えない。
「虚構の家族だったんだ」
 と、逸平が慚愧ざんきに堪えないといった面持ちで言う。
 家族とは、こんなにも簡単に壊れてしまうものなのか…。
 やはり私には、理解しかねることが多すぎると思えた。
 親子の話し合いを重ねるうち、知美さん夫妻がこの家を出ていく事態は、どんどん現実のものになっていった。
 やがて彼女たちの居室は1階に移され、2階には引っ越し用の段ボール箱が積み上げられていった。


第13回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。