松井 久子
第15回 学者が本を捨てる

 私が逸平の住むこの家に来ることになったとき、彼は、壁という壁、階段という階段が書籍で埋まった、図書館のような家に私を迎えるために、蔵書の整理を決意した。
 ひと昔前なら、思想史を研究する者にとって、貴重な資料になったにちがいない書籍類を、寄贈すれば受け入れてくれる大学や地方の図書館もあったというが、いまはもうそんな時代ではない。学術書を処分しようと思ったら、廃品回収の業者を呼んで、高い処分料を払って引き取ってもらうのが当たり前になってしまった。
 逸平は昔から、神保町界隈の古書店によく出入りしていたので、一昨年の夏に蔵書の整理を思い立ったとき、思想哲学の分野に強そうな書店に電話して家に来てもらい、相談に乗ってもらった。
 ところがその古書店は、1万冊を超える蔵書の並ぶ書架の列から、すぐにも売れそうな目ぼしい本だけを選ぶと、何百冊かを紐でくくり持ってきたバンに積むと、テーブルにわずかな金を置いて、
「残りは、あとで廃品回収業者に来させるから、処分してもらってください」
 と言い残し、逃げるように帰ってしまったという。
 それがご時世というものなのだろう。古書店のなんともドライな態度に、逸平がひどく落ち込んでいたのを思い出す。
 更に翌日、やってきた廃品回収業者のやったことが、なんともひどいものだった。
 家の前に2トントラックを横づけすると、3階の窓から、箱入りの美術書や百科事典や専門書のたぐいを、トラックの荷台に向けて、片っ端から投げ捨てていたというのである。
 逸平は、血も涙もない業者の行為に耐えきれず、長年かけて収集した大事な書物を半分ほど残したまま、その日を最後に蔵書整理を諦めかけていたのだった。

 そして数ヶ月後、思わぬご縁が繫がって、中央線沿線のM駅近くにある古書店・水森書房の青年が現れたのである。
 逸平は、その青年をひと目見ただけで気に入った様子だった。
 この男なら、自分が大事にしていた本を生かしてくれるにちがいないと、直感的に思えたというのである。
 青年は、2階に続く階段に作りつけた書棚から、数冊ずつを腕のなかに優しく抱くようにして、床に下ろす作業を繰り返しながら、
「思想や哲学関係の本は高いですからね。なかなか手に入れにくい本を、本気で勉強したい学生に安く譲ってあげられるのですから、今日は僕としても嬉しくて」
 ビニールの紐でくくる手も、前の古書店員と比べものにならない丁寧さだ。
 かくして水森さんは、逸平の蔵書をその後4回にわたって、引き取りに来てくれることになった。
 そして彼が2度目に来たとき、
「夫が、『ボクの大事な本を託せるいい人に出会えたよ。彼ならこれらの蔵書を生かしてくれるにちがいない』と喜んでいます」
 と伝えると、
「ボクも古本市に行って、影山先生の本を見つけると必ず買って帰るんですよ」
 と、嬉しいことを言ってくれる。
 やはり、人と人とは出会いなのだ。
 水森青年に処分を任せることが決まって、何の心配もなくなった逸平は、次に彼が引き取りに来るまでの日々を、3、4階にあった書物を青年が整理しやすいように分類しながら、積極的に階下の書棚に下ろす作業に費やした。

 9月のある日、逸平は20年間続けてきた市民講座にも、ついに終止符を打った。
 もう、早起きを日課にして、午前中いっぱいをかけて机に向かう必要もなくなった。
 それで最近私たちは、目が覚めるとベッドの上で、1時間も2時間もお喋りをして過ごす癖がついてしまったようだ。
 話題の大半は逸平の昔話で、今朝は、大学時代の同級生だった芝山裕子さんの思い出を、懐かしそうに話してくれた。
「才媛でねぇ。キェルケゴールの研究者だったんだが、学生時代から無類の歌舞伎好きで、たしか歌舞伎関係の本も、1冊書いたことがあるんじゃないかなぁ」
 と、語り始めた逸平が、しばらく天井を見たまま何か考えているような沈黙のあとで、
「あれは5年くらい前だったろうか…。最後に直接会ったときの彼女との会話を、最近なぜかよく思い出すんだよ」
 と、東大の倫理学科で共に学んだ同級生たちの、最後のクラス会の話を始めた。
 もう出席者もわずか数人の毎回同じ顔ぶれで、皆80代の半ばになったのだから、クラス会はこれを最後にしようと誰かが言いだして、皆が無言でうなずき合っていたとき、出席者のなかの紅一点、逸平の隣に座っていた芝山裕子さんが、
「私ね、もうじき老人ホームに入ることになったのよ。だから、このあいだ、家にある本をあらかた処分したところなの」
 と、唐突に言ったのだった。
 その顔が、彼女の物言いが、あまりにもサバサバしていたので、逸平が思わず、
「あなたは偉いなあ…!」
 と言うと、裕子さんが人懐っこい笑顔を向けて、
「でもね、影山くん。あなたの本は捨てなかったわよ。あなたの本だけは大切に、ホームに持っていくことにしているの」
 と耳元で囁いたのだという。
 そんな裕子さんの言葉を聞いて、逸平は、「学者が蔵書を捨てるなんて、どうしてそんなことができるのだろう。自分にはとてもできなそうにない」と、彼女の潔さに感心するばかりだった。
「考えてみれば、蔵書を捨てなきゃならない日がいずれ来ると、ボクが覚悟をし始めたのも、芝山裕子の話を聞いた日からだったかもしれないな」
 と、逸平は言った。
 そして、裕子さんが老人ホームに入って1年ほどが過ぎたとき、彼女がそのホームで亡くなったという報せが、弟さんから届いたという。
「彼女にはしっかりした弟さんがいたから、ボクら学生時代の仲間も彼女の最期を知ることができたけれど、最近、老人ホームに入る人が多くなってからは、訃報も滅多に届かなくなったな」
「特にコロナ禍が始まってからは、家族葬や、お葬式の簡素化も当たり前になったしね」
「あいつ、元気でいるだろうか? と思っていたら、もう、とっくにこの世から消えていた…なんてことばっかりだよ、近頃は」

 窓から差す光が、どんどん強くなるのを感じながら、老人二人が、朝のベッドのなかで、そんな会話をしている。
 私自身はまだ70代なので、そんな話題にあまり実感が湧かないが、友達の多くがあの世に行ってしまった、もうじき91歳になる逸平にとって、「死」の概念はどれくらいの近さにあるのだろう…。
 と、突然、強迫観念にかられたような言葉が、口を突いて出た。
「ねぇ、逸平さん。長生きしてね。あと10年は元気でいてくれなきゃダメよ」
 と言いながら、泣きそうになっている。
 聞きながら、逸平が「ふふっ」と笑っている。
 そして次の瞬間、彼が突然飛び起きて、
「いかん! もう8時だ! ゴミを出さなきゃ。収集車が行っちゃうよ」
 と叫んだ。
 ベッドを抜け出し、慌ててパジャマを脱ぎ捨てると、そそくさとYシャツとスラックスに着替えている。
「なにもゴミ捨てに行くのに、通勤みたいな格好、しなくてもいいのに…」と考えながら、私はもう一度布団をかぶり直して、二度寝を決め込む。
 いまから逸平がゴミを捨てるために家を出て、数分後に戻ると、いつもの朝食の支度を始める。そして用意が整ったら起こしに来てくれる。
「多華子。ご飯だよ。起きなさい」
 その声が耳元で聞こえるまで、十分ほど深く眠る。
 朝の至福の時間が始まるのである。


第16回へつづく)

プロフィール

松井 久子(まつい・ひさこ)
映画監督・作家。
1946年東京出身。早稲田大学文学部卒。雑誌のライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年の『折り梅』は公開から2年で100万人を動員。2010年公開の3作目は世界的彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』。2013年春からはアメリカをはじめ世界各国で公開された。その後ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』『不思議なクニの憲法』を発表。2021年2月には小説『疼くひと』で75歳の作家デビュー。2022年11月に2作目の小説『最後のひと』を上梓。